第5話 街を設計する者
ギルド本部の梁(はり)に吊るされた灯火が、卓上の核石を赤く舐めていた。
深層で討ち倒した守護巨人の心臓――“設計核(アーキ・コア)”。拳ほどの結晶が、静かに拍動している。
「戻ったぞ」
アレンは短く告げ、背の《織光(オブスクラ=ルーメン)》を下ろした。黒と白が重なった銃身は静かだが、触れれば鼓動のような“演算の熱”が指先に伝う。
広間にざわめきが走る。
「深層の核だと……」「昨日“無能”と追い出された奴が?」
「いや、“設計監”って肩書になって戻ってきたらしい」「背中の銃、禍々しいぞ……」
讃美と恐怖がひとつの空間で混じり合う。
ガロム・ブレイザーが大斧を壁へ立てかけ、腹の底から笑った。
「ガハハ! 文句があるなら数字持ってこい! オーガの首でも巨人の核でも良い! ねえ奴の背中にだけ石を投げるのは、ただの酔っぱらいだ!」
笑いと舌打ち。
アレンは人垣の中の怯えた視線を正面から受け止め、静かに言った。
「これは――線で殺すためじゃない。線で救うための銃だ」
その瞬間、広間の奥で鐘が鳴った。
短く、二度。緊急の合図。
「市街で崩落! 学舎通り、建物の軒が落ちた! 群衆が交差してる、子どもが――!」
アレンは言葉を待たない。織光を背に戻し、リナと目を合わせる。
「行く」「はい!」
夜気が冷たい。扉を出た足に、街路の鼓動が絡みつく。
学舎通り。三叉路の結節点。
巡礼の列と荷馬車の列が交錯し、角の古い木骨家屋が“軋んだ”まま持ちこたえている。梁一本が落ちれば、下を行く子らの頭上に瓦礫の雨だ。
アレンは一息で世界を“青図”に変えた。
「【解析(アナライズ)】――梁の曲げ、継手の摩耗、群衆流(フロー)の密度、風の層……」
視界に線が走る。崩落点の臨界、背後から押し寄せる群衆の波、怯えが作る“逆流”。
「リナ、あそこ」
「【光紋(ルクス・グリフ)】――誘導灯!」
彼女の杖先から、青白い光の杭が三本、空に刺さる。
アレンはその光を“設計の路”に繋いだ。
「【無限設計(インフィニティ・ブループリント)】――導線仮設(テンポラリ・レーン)。【改造(リフォージ)】――歩幅最適化」
通りの石に薄い“歩きやすさ”の勾配が生まれ、人の脚は無意識に光の路へ逸れていく。押し合いがほどけ、子どもたちの帯が自然と安全地帯に抜けた。
残ったのは、耳障りな軋み。
アレンは崩れかけの家屋の基礎へ掌を当てる。
「【複写陣(コピー・グリフ)】――古継手式の模写。……【改造】――内側補強導管(インナー・ストラット)挿入!」
目に見えない“補助骨”が柱の中に挿し込まれ、曲げ応力が二手に分散する。梁の泣き声が、一段階、落ち着いた。
瓦礫の下に動く影――猫が子どもに近寄ってうずくまっている。
「大丈夫、すぐに」
リナが膝をつき、掌をかざす。
「【迅癒(クイック・ヒール)】」
子の額の血が引く。猫は喉を鳴らした。
ざわめきが安堵に変わる頃、角の酒場から短躯の男が飛び出して叫んだ。
「荷馬車が逸(はや)ってる! 南門へ! 樽が――火薬だ!」
空気が鋭くなる。
アレンは広場の空に指を描いた。
「【街路録(ストリート・レコード)】――流路投影!」
石が今朝の車輪の音を吐き、路の先の“暴走する影”を薄膜に映す。
樽を載せた荷車、手綱の切れ。御者台に立つ黒外套――規格狩り(スタンダード・ハンター)の匂い。
「止める」
アレンは織光を肩付けに持ち替え、呼気を一本に細めた。
銃身の黒がわずかに白へ透け、内部に走る“闇光”の格子が合焦する。
「非致死、回生運用。――【織光:回生斬(リジェネ・エッジ)】」
引き鉄が呼吸の深さで落ちる。
光の弾丸は“貫かない”。車輪の軸を撫で、摩耗と熱変形を“巻き戻す”。
軸は瞬時に“使い古し”の状態へ老い、応力で自壊した。車輪が外れ、荷車は腹ばいで石を擦り、火花と共に止まる。
御者台の黒外套が余勢で投げ出される。
アレンは二発目を撃たない。代わりに指で空を弾いた。
「【改造】――空気層屈折帯」
見えない帯が地面スレスレに張られ、男の落下角がわずかに寝る。肩から転がり、骨は折れない。樽の栓は弾けかけていたが――リナの光紋が覆う。
「【封紋(シール・グリフ)】!」
火薬は静かに寝た。
群衆の息が戻る。
「……今の、撃ったのに、壊してない」「線で止めた……」
遠巻きに見ていた商人が震える声で言った。
「こんな銃、街に向けちゃいけない……はず、なのに……助かった」
アレンは銃口を地へ落とし、頷いた。
「武器は人を殺す道具じゃない。線を引き直す筆だ」
その夜。王城の作戦室。
地図卓の上に王都の縮尺模型(スケール)が広げられ、四色の小石が置かれている。
戦(赤)、商(青)、信(白)、学(緑)――街の“目的”を示す印だ。
王は立ったまま言った。
「設計監。今日の“即応設計”で犠牲者はゼロだ。市は動揺しているが、お前の線は効く。……試験を一段上げよう」
「試験?」
「街路そのものに“仮の設計”を敷け。期限は一夜。剣を抜かせず、商を止めず、祈りを妨げず、学びの足を挫かぬ――そんな路を、紙ではなく、石に描け」
無茶だ、と誰かが呟いた。
アレンは否と答えない。
織光を卓に置き、指で模型の通りへ触れる。
「やれます。……やります」
王都の屋根の上。
夜風に石の匂いが混じる。灯が落ち、猫が路地を渡る。
アレンは都市全体に“手を置いた”。
「【無限設計】――網羅展開。
【演算掌握】――市声収束(シビック・コーラス)/衝突遅延(ディレイ・ノード)/避難導線(セーフ・レーン)」
空に、薄い線が走る。
見える者には光の糸、見えない者にも“歩きやすさ”“行きたくなる方向”として働く設計。
市場の露店の間隔が数寸動き、巡礼の隊列が自然に曲がり、居酒屋の吐き出す人の流れが裏路へ分散する。
祈祷院の階段には踏破リズムの紋が薄く敷かれ、年寄りの膝が痛みを訴える前に休憩へ誘導される。
学舎へ向かう朝の路には、子どもの歩幅で刻まれた細かな“足音の誘導”。
リナが隣で息を呑む。
「――街が、歩きやすい……」
「剣の代わりに、動線で刃を抜く」
だが、抵抗は必ず来る。
正午前。港通り。
規格狩りが扇動した“商の怒号”がぶつかった。
「路を勝手に動かすな! 売り場は血の場所だ!」「設計は権力だ! 見えない手で首を絞める気か!」
アレンは逃げない。
木箱の上に立ち、織光を抜かず、声を張る。
「路は“勝手に”動いていません。あなたたちの足音で動いてます。
【街路録】――今朝の流れ、投影」
空に薄膜が張られ、露店の前で詰まった流れ、押した肩、転びそうになった幼児の姿が“実測データ”として映る。
続けて、今の設計導入後の映像――肩は触れず、幼児は転ばず、売上の“滞留時間”も改善している。
「設計は、あなたが歩いた通りに寄り添います。誰かの利を削る線じゃない。誰も“こぼれない”線です」
沈黙の後、最初にうなずいたのは、頑固な八百屋だった。
「……午前の売上、確かに増えた。怒鳴る回数が減った分、喉が楽だ」
笑いが漏れる。怒号は消えないが、角は落ちた。
夕刻。
市場の外れで、良くない足音。
アレンが振り返るより早く、荷馬車が路の角を噛み、樽が跳ねた。
今度は火薬ではない。黒い液――揮発油だ。倒れれば、一帯が火の舌に飲まれる。
御者台の影が笑う。
「“線”で救えるか、設計監」
アレンは走りながら織光を構えた。
「【織光:慣性封緘(インパルス・ロック)】」
白と黒の格子が銃身内部で反転し、弾は“速度”そのものを噛み砕く。
樽は空中で、羽虫のようにふわりと“止まった”。
落ちた瞬間、リナの光紋が地を滑る。
「【吸紋(アブソーブ・グリフ)】!」
揮発油は石の目地へ吸われ、地下の“安全導管”へ流れ出す。
(昨日、下水導線を一本組み替えておいた――アレンは頭の片隅で確認する)
御者台の影が飛び降り、短剣を抜く。
アレンは引き金へ指を掛け――撃たない。
人差し指を空で弾く。
「【改造】――筋紡錘遅延(ディレイド・スピンドル)」
男の脚が自分の反射に遅れ、膝から崩れた。
ガロムが角から現れ、首根っこを片手で持ち上げる。
「おっと、商売の邪魔は無銭飲食より嫌われるぜ」
規格狩りの残党が路地影に散る。
アレンは追わない。追うべきは“恐怖”そのものだ。
振り返れば、市民の顔。
驚きと、安堵と、わずかな誇り。
老石工が帽子を取り、頭を下げた。
「道具で人を殺すのは易(やす)い。道具で人を生かすのは、手間だ。……その手間を、見せてくれた」
アレンは肩の力を抜いた。
「まだ、始まったばかりです」
夜。王城への帰途。
屋根の上で、リナが歩幅を合わせる。
「アレン。今日、あなたは一度も“決定打”を撃たなかった」
「撃たないで済む設計を描けたから」
「でも、それはあなたの頭痛を、増やす」
彼女はそっと小瓶を差し出す。冷たい香草の液だ。
「ありがとう」
アレンは小さく笑い、瓶を受け取った。
脳の奥で、古い声が薄く囁く――
――道具で殺すな。道具で生かせ。
――線は、人が渡るためにある。
◇
王城の作戦室に戻ると、予想外の客が待っていた。
銀縁の外套に王章。国王の側近、政務卿が書状を掲げる。
「設計監。陛下の密令だ」
封蝋を割る。文は短い。
『――地下主脳との直結を許す。
王都の“根”に降り、設計の権能を試せ。
剣なき秩序は、設計から始まる。』
政務卿は続けた。
「明朝、祈祷院の下へ。王国軍第七連隊が護衛につく。……ただし、敵も動く。お前の頭を狙う“規格狩り”は、今日止めた分だけ本気になるだろう」
ガロムが壁にもたれ、牙を見せる。
「上等だ。俺と大斧が暇をしてたところだ」
リナが杖を握り直す。「地下の空気は冷たい。けど、光は届きます」
アレンは織光を肩にかけ、書状を胸にしまった。
街へ敷いた薄い線が、夜風にたわむ。
明日、地下の“根”へ降りる。
そこで描く線は――街ではなく、世界の“基礎配線”に食い込む。
撃たずに済む戦いを、どこまで増やせるか。
剣のかわりに、設計で。
アレンは息を整え、短く、笑った。
「行こう、リナ。今夜の線は、朝まで持たせる。――その先に、もっと太い線を引く」
鐘が一度、遠くで鳴り、王都の石畳が静かにそれを覚えた。
⸻
次回予告(ブリッジ)
第6話「地下主脳」――祈祷院の地下、都市の“根”で待つ黒い演算端末。規格狩りの強襲、王国軍との協働、そして主脳との“設計対話”。
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