無能と呼ばれた俺、規格文明で世界を上書きする

桃神かぐら

第1話 無能と呼ばれた二つの外れ──規格文明の目醒め

祝宴/白光と歓声


 王都の大広間は、朝焼けのように白かった。百本の燭台が光を重ね、金糸で縫い取られた天蓋が、光と音を攪拌する。蒸し上がった肉の香り、葡萄酒の酸味、銀皿に当たる匙の音、太鼓と笛の旋律、そして人の喉の熱。

 中央の階段には、勇者ライルが立つ。白鞘の聖剣を肩に預け、耳に刺さるほど澄んだ声で「魔王軍前哨(ぜんしょう)突破」の凱歌を受けていた。


 俺──アレンは、その階段から四柱ほど外れた柱陰に立つ。

 拍手の波は確かに大広間を満たしている。だが、俺の足元だけ、潮が引いたみたいに乾いていた。


 読み上げられる戦果表から、俺の名は抜け落ちる。

 いや、違う。二度、呼ばれた。どちらも「戦果なし」。

 声が白布のように広がり、ひそひそと笑いが滲む。


「ほら、あれ」「勇者隊の“無能”」「二つもスキル持ってて、どっちもハズレだってさ」


 耳が熱くなる。だが、胸は冷えていた。

 この温度差に、俺はもう慣れている。

 俺の二つのスキル──

• 【複合権限(コンポジット)Ⅰ:工学模写(エンジニアリング・ミメシス)】

(内包機能:模写/分解/記憶/追記/補修/配線/換装/同調……)

• 【複合権限(コンポジット)Ⅱ:規格改変(スタンダード・リライト)〈封鎖中〉】

(内包機能:改造/最適化/等級換算/互換規定/位相調整/誤差許容/安全束/証跡記録……)


 表層しか見ない連中には、“細かくて実戦で使えない手先芸”と映る。実際、封鎖されたⅡはロックだらけで、俺もほとんど触れない。

 ただ、一度だけ、戦場の端で思ったことがある。

 ──「設計図さえ見えれば、勝てる」。


 太鼓が止み、勇者が階段中腹でこちらを見た。

 白い鞘がわずかに鳴る。

 視線だけで人を縫う男だ。

 彼は笑って、わざと声を張った。


「アレン。お前は今日限りで、パーティから除隊だ」


 空気が一枚、裏返った。

 耳元で誰かが小さく笑い、「やっぱり」と囁く。


 僧侶が胸元で印を切り、可哀想なものを見る目を向けた。

 魔導士は椅子を揺らし、わざとらしく肩を竦める。

 剣士は顎で出口を示し、酒杯の縁を指で弾いた。


 俺は、ただニヤリと笑った。

 言葉はいらない。

 言葉は、いつも彼らの武器だったから。


 踵を返す。

 人波を割る音は、刃の音と似ている。

 重い扉が開き、祝宴の白が、夜の藍に呑まれた。


夜気/廃棄場


 城門から外に出た時、胸の内側でようやく肺が動いた。

 呼吸は冷たく、夜露は薄い鉄の味がした。

 王都の外れ、廃棄場へ向かう。折れた槍、刃こぼれの剣、割れた盾、欠けた魔石。役目を終えた物が眠る場所。俺の二つのスキルが、唯一よく働く場所だ。


 月は薄く、雲が早い。

 金属の山に手を置く。


「【分解(ディスアセンブル)】」


 刃が光塵にほどけ、炭素比率/焼き入れ温度/刃角/応力線/魔素導管──すべての“数字”が脳へ雪崩れ込む。

 震えるのは手ではない。世界のほうだ。

 俺は次に掌で模写を呼ぶ。


「【模写(イミテーション)】+【補修(リペア)】+【配線(ルーティング)】」


 割れた剣を台へ寝かせ、折れ槍の芯材だけを抜き、欠けた炎核を薄く噛ませる。

 導管を編み直し、刃の芯に内膜加圧の回路を敷く。

 月光の下で、赤黒い刀身が呼吸を始めた。


「──紅牙刃(クリムゾン・ファング)」


 軽く振る。

 空気が鳴り、赤い燐光が尾を引く。

 俺の胸のどこかが、やっと温かい。


 ……と、地が鳴った。

 金属の山の向こうで、木箱が潰れる音。

 湿った息、粘つく重さ。

 月の縁をかすめて、影が立ち上がる。オーガだ。


荒事/設計の最短路


 丸太の棍棒が横薙ぎに来る。

 足が勝手に二歩引き、頭の中の図面が開く。

 皮膚厚、筋束の走行、腹腔の容積、内圧限界。

 外から斬れないなら、内側で爆ぜろ。


「【記憶(メモリー)】→【追記(アペンド)】→【融合(シンセシス)】」


 壊れ槍の穂先を分解し、貫通回路だけを紅牙刃へ伸長融合。

 脇腹へ一突き。

 同時に炎核の熱圧内膜を腹膜に沿って展開する。


「──爆熱穿破刃(バースト・インサイザー)」


 刃は触れただけ。

 次の瞬間、内側が赤く灯り、内爆。

オーガの筋が鎖のように断ち切られ、巨体が沈む。

 棍棒が指から抜け、土が鈍く鳴った。


 息を吐く。

 膝の震えは、恐怖じゃない。合致の震えだ。

 “図面どおりに世界が折れる”手応え。


 胸を裂き、中核魔石(炎)を抜く。

 棍棒の芯材は杖に上々、導管の素直さが良い。

 辺りに散った狼の牙や古剣の破片も拾う。

 素材は敵の死骸だけじゃない。敗者の落とした“癖”も全部だ。


 ふと、視界に細い線が走った。

 赤/青/白──魔石の導管、鉄の応力、筋束の可動域。

 世界が青図に変わる。


「……来たか」


《新権限覚醒──**【解析(アナライズ)】**》


 読む。

 ただ観測するのではなく、意味が流れ込む。

 芯材の継ぎ目/回路の結び目/関節の限界角。

 触れれば、書き換えられるという確信。


 俺は転がるゴブリンの短剣を拾い、刃の亀裂線を指でなぞる。

 二本の指で軽くひねるだけで、刃は音もなく砕けた。

 地面の罠符の破片に触れ、結びを四分の一拍ずらす。

 黒霧は逆流し、石屑に吸われて消えた。


「観察じゃない……改変権限だ」


 胸の内で火花が跳ね、封鎖されていたⅡの錠前のいくつかが、かすかに鳴る。


廃都の風/静かな宣言


 金属の山に座り、夜空を見る。

 祝宴の白はもう見えない。

 代わりに、薄く広がる雲の向こうに、線だけがある。

 世界は設計図。

 設計図は、書き換えられる。


 俺の二つの“外れ”は、組み合わさって**“規格”**になる。

 そして今、読む権限を得た。

 次は、創り変える権限だ。


 笑い声を思い出す。

 白鞘の音も。

 あの聖剣の回路に指を入れる自分の手を想像する。

 鍔元の応力溜まり、剣身の位相ズレ、祈祷紋の冗長。

 「最適化してやるよ」


 俺は立ち上がり、紅牙刃を鞘に戻した。

 夜は長い。

 まだ素材が足りない。


狩り/群れの数学


 森の縁で風向きが変わる。

 灰色狼の群れ──十、二十、三十。

 包囲の輪が狭まる。先頭と後列が交互に膨らみ、波になる。

 俺の視界では、足幅・肩振り・尾の角度までが関数だ。


 四体が同時に飛ぶ。二体は囮、二体が本命。

 右へ半歩、左に半拍、位相を崩す。

 紅牙刃が赤の弧を二つ描き、喉と肩に**×印(クロス)**を刻む。


「──双牙裂刃(ツイン・ファング)」


 足元の枯枝を掴み、導管を通す。


「──爆裂枝(ブラスト・ツィグル)」


 乾いた破裂で狼の顔が崩れ、怯んだ首に氷線→熱の順で切り込み、凍膨張で裂く。

 群れ頭の太い吠えが来る。

 刃に閃光石を薄噛みさせ、視覚阻害を一拍。


「──閃光刃(フラッシュ・ブレード)」


 白光の刹那に喉へ一手。

 群れは崩れ、狩りは終わる。


 牙(ファング)、毛皮(フェル)、小核(スモール・コア)。

 牙には冷素の痕跡、毛皮は静電が乗りやすい。

 全部、記憶に沈める。

 使える。式になる。


工房の幻──手の記憶


 街に戻る前に、俺は片手を空の金床に乗せた。

 “机があれば、一晩で刃を三段進化させられる”と、骨が知っている。

 溶解/鍛接/配線/位相調整──手の記憶が勝手に並ぶ。

 だが今は、手元の道具だけだ。


 紅牙刃を台へ。

 狼小核(冷)/古剣の氷流派の癖/炎核の熱圧内膜。

 導管を交互に呼吸させる相転記憶の薄片を、刃中に挟む。


「──紅雷氷刃(クリムゾン・ストーム)」


 刃渡りに紅(熱)/青(冷)/白(雷)が同居し、呼吸する。

 振ると、空気が裂け、焦げと鉄の匂いが同時に立つ。

 笑う。

 やっと、俺の手に似合う音になった。


夜明け/ギルドのざわめき


 翌朝、袋を抱えてギルドへ。

 扉を開けると、酒の匂いより先に視線が来る。

 昨日の祝宴で俺が“無能”になった噂は、もうここにある。


 カウンターに素材をあける。小核がざらり、中核が赤く灯り、毛皮が光を跳ね返す。

 受付嬢の声が上ずった。


「こ、これ全部……あなたが?」

「昨夜のうちに」


 ざわめき。

「昨日切られた奴だろ」「無能がオーガを?」

 嘲りが驚きに変わる速度は、数字が決める。


「小核二十二、中核一、牙と毛皮多数。査定、お願いします」


 奥の扉がバンと開き、赤毛の巨躯が出て来た。

 背に人の胴ほどの大斧。ガロム・ブレイザー──ギルドマスター。


「オーガの中核に狼の山……ガハハ! 面白え! てめえ一人か?」

「俺と、夜と、廃棄場」


 ガロムは満足げに鼻を鳴らし、俺の肩をドンと叩いた。


「数字が出た奴の背中は、俺が押す。地下の専用工房(ワークベイ)、鍵を渡す。使え」


 空気が変わる。

 勇者の白とは別の“評価”が、ここにはある。

 俺は頷き、鍵を受け取った。


 ……と、袖を引く手があった。

 栗色の髪、擦り切れた靴、真っ直ぐな瞳。

 ヒーラーの少女が、喉を鳴らしながら言う。


「リナ・ハートです。お願いがあります。……一緒に、組んでください」


 ざわめきが一瞬止まり、すぐに渦になる。

 俺は彼女をまっすぐ見返し、短く答えた。


「条件が一つ。俺は前に出る。君は支える。どちらが欠けても倒れる。それでいいか」

「はい」


 その「はい」は、薄い殻を割る音だった。


冷たい影/勇者の視線


 背に、視線を感じる。

 振り向けば、二階の手すりの影。

 白い鞘の輪郭が、一瞬だけ光った気がした。

 だが俺は見ない。

 見ないことが、最短路だ。


 俺は鍵を掲げ、ガロムに言う。


「借ります。今夜には、“規格”を形にする」

「ガハハ! 好きに暴れろ。結果だけ置いてけ」


専用工房/呼吸する刃


 地下の工房は、心臓だった。

 金床、魔法炉、壁に組み込まれた導管。

 空気が鉄と魔素で重い。

 俺の視界では、すべてが青線で拍動している。


 紅雷氷刃を台へ、狼小核と炎核を再配線。

 相転記憶鉱(昨日拾った微粉)を薄片にし、呼吸の節を自動化。

 詠唱のない呼吸剣になる。

 リナの古い杖も台に載せ、導管の冗長を削る。


「──癒光導杖(リファイン・スタッフ)」


 彼女が試す。

 治癒(ヒール)が一拍で発動し、光が滑る。

 リナの目が丸くなる。


「……早い。間に合う……!」


 俺は頷き、刃の呼吸を耳で数える。

 紅/青/白──1:1:0.5。

 悪くない。

 あとは、戦場で合致させるだけだ。


闇色の来訪/八の影


 夜の工房は赤く浅い。

 炉に薪は少なく、金床はまだ温い。

 小瓶、予備導管、位相指輪の設計紙。

 帳面に最後の記号を書き足した時、窓硝子がパリンと鳴った。


 影が三、いや六、屋根から二──八。

 黒外套、短弩、毒霧。

 笑い声はない。

 仕事の手だ。


 俺は前に出、リナを背へ押しやった。


「【解析】」


 刃文の溝、刻印の始点、導管の回り癖。

 短剣の芯に応力黒点、鎖鎌の節に共振ズレ。

 窓外の矢は風層の屈折帯で散らす。

 床板の軋み──背後に二。


「【改造(リフォージ)】──逆流/共振偏移/空気層屈折」


 短剣は自壊し、鎖は自己絡み、矢は砂になる。

 足首だけを**斬光裂破(ライトニング・ブレイド)**で断ち、光鎖(ルクス・チェイン)で縛る。

 屋根の二人は雨樋を導流鞭(コンダクト・ウィップ)にして安全落下。


 息を吐く。

 八人は全員、生け捕り。

 棚の角が欠け、窓が割れた。

 工房は、守った。


 拾った模造武器の刻印は、同じ手癖。

 命令主は一人、印章は逆位相。

 勇者派の紐だ。

 胸の内側が、氷よりも冷たくなる。


「朝一でギルドへ。記録を取る」


 炉の赤がもう一段暗くなり、外の街灯が斜めに差し込む。

 俺の掌の古傷は、薄く疼いた。

 星炎の余熱だ。まだ使える。


広場/数字と証言


 朝。

 八人を縛具で繋ぎ、ギルドの広間へ。

 出勤の冒険者たちが足を止め、空気が重くなる。


「夜襲撃。模造武器多数。同一刻印、命令主は勇者派の監督役」


 ガロムが立ち上がり、顎をしゃくった。


「──尋問だ。今なら軽い。誰の命令だ?」


 沈黙。

 若い刺客の喉が鳴る。

 俺は足元の石を指でなぞった。


「【街路録(ストリート・レコード)】──局所展開」


 石の薄膜に、昨夜の足音/門前の逡巡/印章の押印が浮かび上がる。

 若い刺客の目が割れた。


「……監督役の……印章……受け取りました……」


 広間に波が走る。

 ガロムが柄で床をゴンと鳴らす。


「聞いたな。数字と証言が出た。あとは正しく引き渡す」


 その時、窓の外がざわめいた。

 旗、怒号、紙の巻物。

 包囲だ。


 偽の監察状を掲げ、人を煽る声。

 俺はリナを見る。


「行こう。終わらせる」


広場戦/刃を抜かずに勝つ


 矢の一斉射。

 空気層を屈折させ、帯で矢束を絡ませる。

 弓隊二段目は捻りが違う。調弦の手で位相を崩す。

 槍の箱陣は、三歩目の踵浮きに合わせて石畳を微傾斜。

 列の節へ薄雷を流し、神経遅延で崩さず止める。

 騎兵は路面の逃げ勾配で外へ流し、光杭で馬を傷つけず留める。

 上空の黒球は、詠唱を複写して逆流・減圧・分配。

 扇動の巻物には逆位相溝。

 石畳は覚えている。

 俺は幕に昨夜の賄賂/密談/押印を投影し、群衆の目を取り戻す。


 最後に、終戦設計(エンド・ブループリント)。

 刃は抜け、詠唱はほどけ、脚は止まる。

 そこへ王国軍第七連隊。

 隊長セレス・アルダインが馬上から宣言し、法が場を引き取る。


 ガロムが俺の肩を拳で小突く。


「ガハハ! 壊すだけじゃねぇ。止めやがった」


 俺は頷く。

 設計は、最後まで描き切って完成する。


夜の塔/白い線


 夜。

 高塔で、勇者ライルは一人、聖剣を振っていた。

 白い線が空気に残り、月光が刃を洗う。

 彼は遠くのギルドの屋根を見下ろし、静かに言う。


「次は、俺が出る」


 塔の鐘が一度だけ鳴った。


尾灯/心の奥で


 その夜、俺は城壁の上で街を見た。

 灯は橙で、人は生きていた。

 俺は掌を見下ろす。

 解析の線がまだ薄く脈打ち、改変の錠前が少しだけ軽い。


「俺は無能じゃない。規格で世界を上書きする」


 言葉にすると、胸の奥の疼きが静かになる。

 祝宴の白い光はもう遠い。

 代わりに、工房の赤と、刃の呼吸がある。


「次に会った時、勇者の聖剣は俺が最適化する」


 風が石を撫で、夜が一段深くなる。

 廃棄場のがらくたから始まった遊びは、もう世界の設計に触れている。

 俺は笑い、鞘を叩いた。

 **紅雷氷刃(クリムゾン・ストーム)**が低く応えた。


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