#2 波紋の知らせ
昼前の湖畔は、陽射しが強くなり始めていた。
水面はきらめき、オルカヌーたちはそれぞれの気ままな動きで漂っている。
訓練生たちは陸での基礎を終え、順番に水上実技へと移っていた。
「次、青に乗る組、準備して」
ミネスは声を張る。
「乗る前に背びれを確認。ポジションを正確に。足の位置、重心、姿勢。まずは乗ることに慣れて、何も考えなくても正しい乗り方ができるようになっていこう」
訓練生たちは緊張した面持ちで頷き、順番に青のオルカヌーへと向かっていく。
その様子を見守りながら、ミネスは記録盤に目を落とす。
今日の進行は、今のところ順調だった。
そこへ、マーカスが早足でやってくる。
顔が少し険しい。
「ミネス。ちょっと、耳貸せ」
「……何かあった?」
「他所の湖でやったオルカヌーレース、事故が起きたらしい。騎手が落水して、オルカヌーが暴走。観客が巻き込まれて、怪我人も出たって」
ミネスは言葉を失った。
風が、少しだけ冷たく感じた。
「魔力障壁の展開が不完全だったらしい。騎手も、乗り方を知らないまま走らされたって。……うちの名前も出てる。『ハマナー湖の真似をした』って」
「……そう、か」
ミネスは湖を見つめた。
青のオルカヌーが、訓練生を乗せてゆっくりと進んでいる。
その背は安定していて、風を受けて滑るように走っていた。
「うちは、ちゃんと教えてる。でも……広がるのが速い」
「領主の配下が対応してるけど、噂はもう街に届いてる。『危ない競技だ』って言い出す奴もいる」
ミネスは頷いた。
胸の奥に、重いものが沈んでいく。
「午後の訓練も予定通り進める。……僕はできることをやるよ」
マーカスは何か言いかけたが、黙って頷いた。
午後。
水上実技が始まり、ミネスは一人ひとりの乗り方を見て回る。
姿勢、バランス、視線――細かく指示を出しながら、必要なときは手を添えて修正する。
「もっと背中を預けて。オルカヌーの動きに逆らわないで」
「そう、それでいい。今のターン、きれいだったよ」
訓練生たちは汗をかきながらも、少しずつ形になっていく。
ミネスはその様子に、ほんの少しだけ救われる気がした。
夕方。
訓練が終わり、オルカヌーたちは湖の奥へと戻っていく。
見物台の貴族の若者たちも、満足げに帰り支度を始めていた。
緑のオルカヌーと戯れたナディアは、最後の片付けをしていた。
水辺に残った備品を整理し、魔力計を収納箱に収める。
ミネスも記録盤を閉じて、静かに立ち上がる。
すると、視界が、少し揺れた。
「……あれ?」
訓練生も、マーカスも見物人もすでに引き上げていて、ミネスは一人、湖畔の奥へ、木陰の方へと歩き出す。
少しだけ、風を感じたかったのだ。
でも、なんだか足元がふらつく。
風が、耳鳴りのように響く。
その様子を、ナディアは見ていた。
ミネスの様子が少し、違って見えたから。
じっと見ることはないが気にはなる。
「……ごめん、ちょっと、」
誰にでもなくつい、癖で口を開き、言い終える前に視界が暗くなった。
ミネスは、静かに膝をつき、そのまま倒れ込む。
備品を抱えたままのナディアはミネスの背が崩れるところを見届けてしまった。
一瞬の出来事でとっさに動けなかったのだ。
「ミネス!」
声を上げて、荷物を放り出し、駆け寄る。
ナディアの足音が、ミネスの乱れた呼吸だけが静かな湖畔でよく聞こえた。
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