歪んだ愛情の行く末は

歪んだ愛情の行く末は①

 中原と会った翌日からも、春奈はいつもどおりを装って学校へ行っていた。両親には、冬華のノートについては何も話していない。

 どのような反応をするのか、怖かったのだ。村から白を黒と言われて、それを受け入れている二人だ。もしかすると、この事実さえも隠そうとするかもしれない。自分の両親だというのに信じることができないのは胸が痛むが、冬華が遺してくれたこのノートを無駄にするわけにはいかなかった。

 学校に着くと、靴箱へと向かった。今日も靴箱には上靴がある。取り出して履き替えると、履いていた靴を靴箱へと入れた。

 これまで受けていた嫌がらせが一つもないのは、川田との出来事が今でも尾を引いているのだろうと思う。クラスメイトも「死にたくない」一心から変に気を遣ってくる。そのせいで、春奈の機嫌一つで教室の空気が左右してしまうような状態になってしまった。とんだ迷惑だ。ただ、平々凡々と過ごしたいだけだというのに。

 その要因を作った川田は、まだ学校に姿を見せていない。亡くなったのではないか、と実しやかに囁かれているが、それはないと断言できる。

 何故なら、川田が亡くなるとすれば、笹山や畑中のようにあの桜の木で首を吊るだろうからだ。

 教室に入ると一斉に静かになり、全員の視線が春奈へと集中する。震える声で次々に「おはよう」と声をかけられるも、春奈は答えることなく自席へと向かう。スクールバッグを置いて椅子に座ると、少しだけ身体を傾けて後ろを見た。

 “あの子”が、冬華がニコニコと微笑みながら立っている。左目の下には、冬華にはないはずの泣きぼくろ。亡くなった今もどうして泣きぼくろをつけているのかはわからないが、あの日記を知ってからは見ているだけで胸が苦しくなる。

 もういい。もう、泣きぼくろをつけなくてもいいのだ。春奈のためにと、しなくていいのだ。

 ぐ、と奥歯を噛み締めたとき、教室の扉が開いた。いつの間にかチャイムが鳴っていたようで、ホームルームを始めるために河嶋が入ってきた。入ってくる際に春奈がいる位置を見ているのだろう。すぐに視線が交じり、笑みが向けられる。

 気持ちが悪い。最初から生理的に受け付けにくいとは思っていたが、その感覚は間違いではなかったようだ。露骨に視線を逸らすと、バン、と鋭い音が教室中に響いた。驚いて音がした方向を見ると、河嶋が手に持っていた出席簿を笑顔で教卓に叩きつけていた。

 こうやって威圧し、冬華も追い詰めていったのだろう。やり方がこすい男だ。小さく息を吐き出して、再び視線を逸らそうとしたとき「高橋」と名を呼ばれた。


「次の授業で使うプリントが多くてな、ホームルームの後、一緒に来てくれないか」

「……はい」


 またこれか。二人きりになりたくないというのに、生徒側からは無碍に断ることができないという心理を利用して強引にそのようにさせられる。

 河嶋が今日の予定を話し始めたため、机の上に置いたままにしていたスクールバッグを机の横にかけた。とりあえず話を耳に入れながら、教科書などを出して机の中に仕舞っていく。その中に、中原から預かった冬華のノートがあった。こっそりと取り出し、それも机の中へ入れる。春奈にとって、お守りのようなものだ。

 ホームルームが終わると、河嶋に笑顔で手招きをされ、春奈は気怠そうに立ち上がると教卓へと向かった。


「いつもいつもすまないな」

「いいえ……っ!?」


 肩を抱かれ、距離が詰められる。触れられることは多かったが、ここまでの接近は初めてだ。ぞわぞわとした悪寒が背筋を走り、つい河嶋の手を振り払ってしまった。慌てて河嶋を見れば、先程とは打って変わって、無表情で春奈を見下ろしている。その目を見ていると、冬華が日記に記していた河嶋にされていた仕打ちを思い出した。

 これまではなかった露骨な接近。今までは何もなかったが、これからは何かあるかもしれない。誰も見ていないところで叱責され、叩かれることも考えられる。

 何か、何か言わなければ。思考を巡らせ、春奈は口を開く。


「す、すみません。こういうことに、慣れていなくて」


 本当のことだとはいえ、教師相手に何を言っているのだろうか。少女漫画でもあるまいし。

 しかし、河嶋には一定の効果があったようだ。目を僅かに見開いた後、嬉しそうに口元を綻ばせた。


「そうかそうか、すまなかった。俺がつい急いてしまったな」


 冬華のノートにあった「河嶋の理想の春奈」の回答だったのだろうか。わからないが、何とかやり過ごすことができた。

 それにしても、春奈に対する仕草に態度。この男は、春奈にとって自分はどのような存在だと認識しているつもりなのか。どうせ都合のいいように解釈しているのだろうが、全くもって理解ができない。一年もの間、冬華はよく「春奈の代わり」として耐えたものだ。

 教室を出る寸前に、春奈はいつも“あの子冬華”がいる場所へ視線を向けた。やはり、暗く冷たい目でこちらに敵意を剥き出しにしている。

 何も知らなければ、またその敵意に怯えていたことだろう。だが、真相を知った今ならわかる。冬華が向けている敵意は、河嶋へと向けられたものだと。

 大丈夫だから、と心の中で告げ、春奈は“あの子冬華”に小さく微笑んだ。

 廊下に出ると、春奈は河嶋から三歩ほど後ろを歩こうとしたが、歩調を合わせられてしまい、隣に並んで歩かれる。肩がぶつかるような距離で、これもまたうんざりだ。

 そんな春奈に気付いていないのか、河嶋は矢継ぎ早に話しかけてくる。話題に事欠かないようだが、どれも興味がない。適当に相槌を打っていると、職員室に着いた。河嶋が中に入り、春奈は廊下で出てくるのを待つ。

 いつ、冬華の話をしようか。早く、“あの子冬華”も解放してあげたい。嫌だが、どうやって河嶋を呼び出すか。そんなことを考えていると、それほど多くもない書類を持って河嶋が出てきた。これくらいであれば、わざわざ春奈を呼ぶ必要はなかっただろうに、この男は。


「じゃあ、この半分をお願いしてもいいか」

「はい」

「助かるよ」


 なるべく手に触れないように受け取ろうとするが、河嶋の方から指先を撫でるように触れてきた。振り払いたい気持ちを我慢して受け取り、教室へと戻るために元来た道を歩いていく。

 その間も河嶋は何かを話しているが、春奈は適当に相槌を打って返すのみ。ひたすら河嶋が会話のボールを投げているだけで、春奈は拾いにすら行っていないというのに、この男は興奮気味に話している。話せることに意味があるのか、春奈のこの態度こそが理想のものなのか。

 すると、突然河嶋の足が止まった。あと少しで教室だというのに、どうしたのか。春奈も足を止め、後ろを振り返る。


「先生?」

「……さっきから、会話に身が入っていない」


 明るかった様子から一点、河嶋の顔からは表情が消え、空気が張り詰める。あの話し振りでは気付いていないかと思っていたが、どうやらしっかりと察していたようだ。

 どう答えるべきか。最悪なことに、すぐ近くに空き教室がある。答えを間違えれば、どうなるか。少しして、春奈は小さく息を吐き出し、持っていた書類を抱き締めるように抱え直すと顔を俯けた。

 河嶋の顔は見えないが、息を呑んでいるのが伝わってきた。パタパタと足音を立てて、春奈の前にやってくる。


「……っ、もしかして、何かあったのか!?」


 引っかかってくれてありがとう。春奈はそう胸中で吐き出すと、小さく頷いた。

 以前、川田との騒動があった際に、保健室で河嶋がこう言っていたのだ。


『俺は絶対にお前の味方だから。傍にいるから、俺を頼ってほしい』


 嫌がらせに気付いていて、いけしゃあしゃあと。

 こうやって何かあったような素振りでも見せればすぐに反応してくるだろうと踏んだのだが、正解だったようだ。

 そして、今が絶好のチャンス。これを逃すわけにはいかない。

 春奈はゆっくりと顔を上げ、いかにもしおらしく河嶋へ声をかけた。


「お話を、聞いていただけませんか。もう、河嶋先生にしか、話せなくて」

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