一人、また一人⑤

 翌朝。学校へ向かう途中、スクールバッグからスマートフォンを取り出してブラウザを立ち上げると、例のブログが表示された。都度検索するのは面倒だと、ブログのページを開いたままにしているためだ。

 更新ボタンを押し、少し鼓動を速くしながらコメント欄まで指を滑らせていく。管理人の「のむらみや」からコメントが返ってきているのではないかと、登校中、昼休み、下校中、寝る前、と確認しているのだ。

 だが、あるのは春奈のコメントのみ。小さく息を吐き出すと、スマートフォンの電源ボタンを押して画面を暗くし、スクールバッグの中に仕舞った。

 コメントを残してから三日が経ったが、まだ返事はない。四年前から動きがないブログだ、春奈が縋っているのはあまりにも小さな希望。それを重々承知の上でのコメントだが、心が勝手に期待してしまうため、返信がないとまたしても勝手に気分が沈む。

 ブログのタイトルにあった「あの子の記憶」のとおり、記録として残しているだけなのかもしれない。あと四日で一週間が経つ。それまで音沙汰がなければ、諦めるより他ないだろう。

 重い足取りで歩き続けていると、学校が見えてきた。普段であれば「おはよう」と挨拶を交わす声が聞こえてくるのだが、あの首吊り事件があって以降はがらりと変わってしまった。暗い雰囲気が漂い、友人と顔を合わせてもお互いにしか聞こえない声で話している。

 唯一聞こえてくるのは、校門前に立っている教師の声だろうか。明るく振る舞い、何とか生徒達を元気付けようとしている。今日も登校してきた生徒に挨拶をしているようだが、その声を聞いた春奈はスクールバッグの肩紐を両手で強く握り締めて顔を俯けた。

 今日は最悪だ。河嶋が立っている。

 更に足取りが重くなる。できれば今すぐ家へと引き返したい。息も苦しくなり、海の中を歩いているようだ。ブログに書かれていた内容が真実であれば、あの男は冬華に──。

 とん、と右肩に手が置かれた。その瞬間、びくりと身体が震え、息が止まる。

 顔を上げなくても、この手が誰のものかがわかる。触れられている部分からぞわぞわと悪寒が全身を駆け巡っているからだ。

 口の中が渇く。唾液がうまく飲み込めない。このまま無視をして教室へと向かいたいところだが、そうしたところで追いかけられて捕まるだけだ。春奈は唇を噛むと、僅かに顔を上げて相手を視界に入れた。


「おはよう、高橋。どうした? まだ体調が万全じゃないか?」


 河嶋に会わなければ万全とまではいかないが、まだ元気だった。ゆるゆると首を横に振り、カラカラに渇いてしまった口を開いて声を絞り出す。


「お……おはよう、ございます。大丈夫です、ありがとうございます」

「本当か? 無理するなよ? 声も掠れてるし……何かあったら、すぐに俺に言え」


 返事も頷くこともせず、春奈は河嶋を振り切るようにしてこの場を離れた。

 靴箱から上靴を取り出すと、履き替えて教室へと向かう。今日も上靴が放り出されていることはなかった。それだけではない、嫌がらせがすべてなくなったのだ。

 というのも、川田との一件以来、春奈へ嫌がらせをしていた者が死んでいるのではないかと噂が広まったためだ。今では春奈の顔色を窺いながら、クラスメイトが接してくるようになった。その中には、以前まで友人だった紬の姿もある。皆、その噂を鵜呑みにし、死にたくない一心で機嫌を取ろうとしているのだろう。ちなみに、川田は欠席が続いている。登校を禁じられているのか、自ら休んでいるのかはわからない。

 教室に入ると、全員の視線が春奈へと向けられた。誰が先に挨拶をしに行くかと押し付けあっている中、春奈は自分の席へと歩いていく。


「あ……」


 教室の隅で立っている“あの子”と目が合った。にこりと優しく微笑み、右手を振っている。目を逸らし、机の上にスクールバッグを置いて席に着いた。

 彼女は、最初に首吊り事件が起きた際に「因果応報」だと微笑んでいた。二件目も同じくそう思っていて、あのときと同じように微笑んでいることだろう。

 けれど、数日前に向けられたあの冷たい目。始業式のときと同じ、敵意が込められていた。

 何かした覚えはない。以前“あの子”に訊いたときも「春奈は何もしていない」と言っていた。そうなると河嶋に向けられていたことになるが、二人の間に何かあったのか。

 強い敵意を向けるほどの、何かが。

 春奈はスクールバッグからスマートフォンを取り出し、ブログを見た。吐きそうになりながらも何度も目を通した、冬華から預かったという日記の内容に触れている部分までスクロールしていく。

 まだ“あの子”が冬華であるという確証も何もないが、あの内容であれば敵意を向けてもおかしくないと思ったのだ。

 それを確認するために見ようとしていたのだが、机の左横に誰かがやってきた。画面から指を離し、電源ボタンを押して画面を暗くする。スマートフォンを仕舞いながら、その人物へ視線を向けた。


「あ、あの、おはよう、春奈」

「……おはよう、紬」


 なんて、ぎこちない笑みだろう。

 噂というのは、真相がどうであれ効果絶大だ。誰もが「次は自分の番かもしれない」と思っていて、死にたくない一心で春奈へ媚びへつらう。

 これまで、嫌がらせを見て見ぬふりをしてきたのは自分達だというのに。


「きょっ、今日はさ、一緒にお昼食べない? ほら、春奈が好きって言ってたお菓子持ってきたんだ」


 何も、心に響いてこない。

 紬の気持ちは理解しているつもりだ。嫌がらせを受けている春奈と一緒にいると、いつ紬自身が標的にされるかわからない。他のクラスメイト同様、距離を置いて関わらなくなって当然だ。そう、冬華に寄り添い続けた「のむらみや」のような人物は稀なのだから。

 しかし、理解と感情は別だ。

 怒り、悲しみが入り混じっている。自ら離れていったというのに、よくも何事もなかったかのようにやってこれるものだと思う。見放されたときの気持ちがどんなものかわかるだろうかとも。

 庇ってほしかったとは言わない。助けてほしかったとも言わない。ただ、傍にいてくれるだけでよかった。

 春奈は無言で立ち上がり、スクールバッグの肩紐を左肩へかける。


「え? 春奈?」

「気分が悪いから帰る」

「まっ、待ってよ。来たばっかりだよ?」


 左腕を掴まれるも、勢いをつけて振り払った。


「……っ、都合のいいように、わたしを利用しないで」

「利用なんて、そんなつもりないよ! 春奈だって、ほら、一人は寂しいでしょ? みんなもちゃんとわかってるから、一緒にいてあげようと思ってるんだって」


 紬は口角を上げ、ヘラヘラと笑っている。教室の中を見渡せば、クラスメイト全員が同じ顔をしていた。紬の言うとおりだと。

 一人は寂しいなんて、当たり前だ。寂しいに決まっている。嫌がらせもされて、どこにも居場所がなくて。ここにいてもいいのかと思いながら、それでも両親に心配をかけたくなくて学校に来て。

 何も知らない者達が。見て見ぬふりをしてきた者達が。どうして、笑ってこのようなことが言えるのか。

 怒りが込み上げてくるのに、それ以上に胸が苦しくて紬に何も言い返すことができない。


「ね、これからは一緒にいるからさ。だからさ、ねえ……あたし、死なない、よね?」


 引き攣った笑みを浮かべながらにじり寄る紬に、春奈は立ち尽くすばかり。手が伸びてきて再び腕が掴まれそうになったとき、視界の端に“あの子”が映り、そこでようやく我に返った。視線だけを動かせば、彼女はあの冷たい目を紬へ向けている。

 怒りたくても言葉が出ない春奈の代わりに、怒ってくれているのか。“あの子”もまた何を考えているかわからないが、当初言っていたとおり春奈の味方には違いないのだろう。

 伸びてきた手を躱すように、後ろへ一歩下がる。


「春奈?」

「……わたしが紬に一緒にいてほしかったのは、今じゃない」

「あ……ご、ごめんってば! それは謝るから!」

「もういいよ。じゃあね」


 来た道を戻って教室を出る。待って、死にたくない、と言った叫び声に近いものが聞こえてくるが、春奈は振り向かなかった。

 廊下を歩いていると、教室に向かう途中の河嶋と出会した。咄嗟に顔を背けて横を通り過ぎようとするも、右腕を掴まれて止められる。


「高橋、どこに行くんだ?」

「ぐ……具合が悪いので、帰ります」

「一人で大丈夫か? 親御さんは? ホームルームをすぐに終わらせてくるから、俺が送って行こうか?」

「大丈夫です。一人で帰れます。失礼します」


 強引に前へ歩を進めると、河嶋の手が腕から離れる。走るまではいかずとも、早足で廊下を歩き、靴箱へ。靴を履き替えて校舎を出ると、春奈は先程河嶋に掴まれた箇所に左手を当てて埃を払うようにしてはたいた。気休め程度だが、これで綺麗になったような気がする。

 校門を出てからはいつもどおりの歩くスピードに切り替え、学校を休む旨を母親に連絡を入れておこうとスマートフォンを手に持った。画面を開くと、途中で見るのを止めていたブログが表示される。

 ついでだと、更新してみた。どうせ返事はないだろうと思いながら、コメント欄を見にいく。


「え……!?」


 思わず声が出てしまった。

 見慣れた自分のコメントのすぐ下に、新しい文字列があったのだ。あまりにも驚きすぎて息が止まりそうになり、スマートフォンを落としかけた。


『今日の十七時、隣町の駅近くにある喫茶店で』


 立ち止まり、指定された場所はどこだろうかと急いでマップを立ち上げて確認する。


「ここかな。会ってくれるってことは、やっぱりブログに出てきた冬華って……」


 期待と不安で鼓動が速くなる。今日と指定してきたということは、これを見逃していれば二度と会えなかった。それだけ相手も慎重なのだろう。

 春奈は、手にしていたスマートフォンを強く抱きしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る