宇宙美容条約

コード

無重力サロン《水鏡》

宇宙船ミルフィーユの朝は、髪アラームから始まる。

ぽん、と優しい音。ダクトが毛で詰まりかけている合図。今日も“ほどく”一日が始まる。


「今日も満員御礼だね、凪さん」

「はいはい、順番守ってくださいねー。飛び毛は命に関わりますよ」


理容航務官・蒼井凪は、無重力サロン《水鏡》を開店した。

超音波シアが空気を震わせ、ふわふわ泳ぐ毛先をピッと整える。切りくずは回収ドローン《うぶ》が吸い上げ、真空の静寂に溶けていく。


「前髪これくらいで?」

「視界クリア!酸素もメンタルも上がりました!」

「いい返事。じゃ次の人ー」


——そのとき、警報ではない別の通知。艦橋からの一報。

「未知の群体、接近。《ヴェリダ》だ」



《ヴェリダ》は、光を“吸う”存在だった。

星明かりがその輪郭を避けるように流れ、羽毛が呼吸のたびに色を変える。拍動は音の代わりに、静かな共鳴を生む。

それは“声よりも先に届く挨拶”のようだった。


外交士が小声でつぶやく。「礼儀の資料、スッカスカ。頼む」

「了解。まずは、髪と羽からはじめましょう」


代表個体のシィが、胸の羽をひと房差し出す。艦橋の誰かが囁く。「え、求婚?」

凪は笑った。「違います。“預ける”合図。音の源を私に委ねるってこと」


「理解、感謝」——翻訳機を介してシィの声が届く。

「じゃ、私も」

凪は前髪を束ねて差し出した。髪が無重力でゆらり。羽と髪が、かすかに同じ周期で震えた。


「緊張?」

「ちょっとね。でも大丈夫。刃は触れません。超音波で“ほどく”だけ」

「ほどく、良い語」



随伴個体のひとりが前に出た。羽毛が重たく垂れ、音が濁る。

医療班が測定。「炎症あり。層の比が崩れて発声が不安定です」

外交士が眉をひそめる。「ただ切るのはダメらしい。文化的に“降格”のサインに見える」

凪は静かにうなずいた。「罰の刈り取り、か……」


鏡面の星図がきらめく《水鏡》を示し、凪は言う。

「じゃ、まずは私から。あなたたちのやり方で整えて」


シィが羽先で凪の髪をなでた。一本、また一本、髪が宙に浮く。

「変な感じ?」

「涼しくて気持ちいい。上手いね」

「誇り」


凪は工具を手に取った。「次、私の番。痛かったら言って」

「不安、少し」

「大丈夫。音を聴くからね」


超音波シアを最小出力。凪は耳で七つの周期を拾い、段を合わせていく。

「ここは切らない。ここは少しだけ削ぐ。……はい、ひと息」

「息、楽。音、澄む。軽い、明るい、ありがとう」

翻訳機より先に、胸の奥で意味が響いた。



その直後、整備区画から救難コール。

随伴個体が倒れ、羽枝が癒着して音が出ない。


「刈れば呼吸は戻る。でも——」と外交士。

「罰に見えちゃうよね」と凪。

医療班が焦る。「急がないと酸素飽和度が」

「やる。やり方を変えればいいだけ」


凪は自分の髪を一本抜き、個体の胸の羽にそっと結ぶ。

「まず“いっしょに”になるね」

シィが頷く。「共編、承認」


「切るんじゃない。ほどいて、また編む。回復の手当てだよ」

凪は超音波を点で当てる。プチッ。接着みたいに固まっていた羽枝が離れる。

「苦しくない?」

「少し、楽」——かすかな音が戻る。

《うぶ》が切片を吸い上げ、静電クロークが散りを封じる。


「大丈夫」「怖くない」

凪が短く言葉を置くたび、羽の音がその言葉に重なる。

数分後、個体は体を起こし、凪の手に羽を触れさせた。

「ありがとう」

「こちらこそ。あなたの音、きれいだよ」



交渉の場は自然と《水鏡》に移った。

「爪の標準厚み、ここ。毛長の上限、ここ。ダクト前には《うぶ》を二機追加」

「感染サインの共有、合意」

「条約の前文、どうする?」

凪は笑う。「シンプルでいい。“整えることは、活かすため”」

シィが羽を鳴らす。「短く、美」


「記念に、共同スタイル作らない?」

「共同?」

「人類のレイヤーに、あなたたちの七周期をあわせる。名前は——《オーロラ・レイヤ》」

「名、すてき」


凪は髪を七段に重ね、空気の通り道を作る。

「根元は守って、先端を軽く“ほどく”。あなたは胸の羽を……そう、やさしく揺らして」

「こう?」

「そう、それ!」


髪と羽の流れがふっと同調する。

翻訳機が一拍遅れて微かなハーモニーを重ねる。

まるで理解そのものが音になったみたいだった。


「私たち、互いの毛流で読みあえる」

「その一文、条約の見出しに」と外交士。



日常も、少し楽しくなった。

「次の方ー。《ヴェリダ》の前髪ご希望?」

「前髪、興味」

「じゃ、影を作る“前羽”にしましょう」

「前羽、かわいい」


人間の若いクルーも練習を始める。

「この羽の揺らぎ、怒ってる?」

「違う違う、“照れてる”」

「へえ、便利。嘘つけなくなるね」

「そのぶん、喧嘩が減るよ」


夜。ドームの中央で凪は髪をひと房つまむ。

シィが近づく。「凪」

「なに?」

「きょう、あなたに学んだ語」

「どれ?」

「“おまかせで”」

凪は吹き出した。「最高の信頼ワードだね」


ぽん、と小さく髪アラーム。

「明日の予約、追加だ」

「追加、歓迎」

二人は顔を見合わせ、同時に笑った。


《ミルフィーユ》は静かに進む。

髪と羽の流れを整えながら、同じ方向へ。

——“ほどく”ことから生まれた条約は、今日も更新を続けている。

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