第5話 安い茶葉でも
「一緒にお茶をしてくれるのですよね?
あなたは何時もお話はしてくださるけれど、お仕事中だからって、お茶には付き合ってくださらなかったのだもの。
わたくし本当はいつだって、ご一緒したいと思っていたのよ。」
頬をプウと膨らませながら、まるで小さな女の子のよう。
どう見たって、これは拗ねているのだ、不満なのだと分かりやすい。
素直な気持ちが出たのだろう、ここ最近のセレスティアには無かった仕草だ。
王子妃としての教育が進むにつれて、徐々に無くなってしまっていた仕草の一つだということは、ディータが知っている。
セシルと婚約してすぐの頃には、まだこうした表情をしていたのだ。
仕方が無いことなのは分かっているが、それでも、無理に隠そうとするこうした素直な感情を、ディータとしてはずっと惜しいと思っていた。
そして、それを今こうして、自分の前でだけは隠さず居てくれるのだと知って、嬉しいと感じている。
「…まぁ、そうですね。
セレスティア様はご婚約を破棄された訳ですし、今は一緒にお茶をしても、なんの問題もないでしょう。
お茶請けと言っても買い置きしてある保存食のビスケットしかないんですが、それも摘めるように出しますよ。」
「本当?素敵だわ!」
「…素敵ですかね。
保存食の、固いやつですけど。」
腐らないよう水分が飛んでいて、とても固いビスケットだ。
何がそう嬉しいのかは知らないが、セレスティアがニコニコし始めたのを見て、ディータも微笑む。
ディータが茶器を取り出し湯を沸かす間、セレスティアはきゅっと唇を噛んで胸を抑えた。
(彼はずっとわたくしとの会話には付き合ってくれたけれど、こうして素顔で目の前にいてくれるのは初めてだわ。
いつだって姿を隠してしまって、残念だと思っていたから…嬉しい。
あんな顔で微笑むのね。)
婚約を破棄されたからこそ、彼はこうして今全てを晒して一緒にいてくれている。
セレスティアはそれがとても嬉しいのだ。
ずっとそう出来ればと、きっと心の奥で願っていた。
絶対にそれを表に出しては駄目だと知っていたから、それが周りに知られたら、彼を遠ざけられてしまうと知っていたから。
だからずっと、秘めていただけだ。
セレスティアは落ち着かない様子で部屋の中をキョロキョロと見回した。
この家はあまり大きくない、こじんまりとした家だった。
正直いうと、フェアバンクス公爵家の離れの建物よりもずっとずっと小さかった。
風呂やトイレなどの生活空間以外の部屋は3部屋ほどしかなく、一つをセレスティア用に、もう一つをディータの寝室用にしてあって、残る一つが今居るこの部屋だった。
この部屋は応接間のような作りになっている。
どうやらディータは普段はこの部屋を主に使っているんだろう、雑多なものが置いてあるのはここだけだった。
セレスティアに使ってくれと案内してくれた部屋にはベッドと机があるだけで、あとは備え付けのクローゼットのみといったシンプルなもの。
セレスティアはディータに「あとはゆっくりお休みください」と言われて一人部屋に残された際、好奇心が抑えられず一通り見て回ったのだが、クローゼットの中には女性用の服なんかは一つも存在しなかった。
中には男性用の数着の着替えらしき物だけだ。
給仕の着るような物だとか、王国騎士団の騎士服だとか。
きっとあれは、影の男の変装用の着替えなのだと思うのだ。
襲撃に遭って緊張を強いられた心は、何時だって感じていた影の男の匂いだけが満ちた部屋によって安心したようで、途端に眠気がやってきて、先程までぐっすりと休んでしまっていた訳だった。
ディータに手伝って貰ってドレスのボタンを外した時だけは、違った緊張感を感じたのは余談である。
今思えば、セレスティアに当てられたあの部屋は、ひょっとしたら普段はディータの使う寝室だったのではないだろうか。
ここに来たのは急遽といった感じだったから、本当ならセレスティア用の部屋が用意してあるはずがないのだから。
そのことに思い至って、セレスティアの胸は更に高鳴った。
そして、この家に女性物が何も無いことに、なぜかほっとして息を吐いた。
この応接間も、男の匂いだけが満ちている。
何時だってセレスティアを守ってくれる、影の男の纏う匂いだ。
これからはそこに、自分の匂いが加わるのだと思えば、なんだかソワソワするような、擽ったい気分になった。
セレスティアはほわりとした気持ちになって、その口角が無意識に上がった。
微笑むセレスティアに疑問を感じはしたものの、笑っているなら良いだろうと、ディータはそれに言及することなく、淹れた紅茶を、先程まで手紙を広げていた小さめのテーブルの上に2つ並べた。
見るからに固そうで、シンプルな見目のビスケットを皿に盛る。
早急に、楽で動きやすい簡単なワンピースドレスと甘味を手に入れる必要があるなと考えつつ、ディータはセレスティアの正面に置かれた一人掛けソファーに静かに座った。
「どうぞ、セレスティア様。
粉末ミルクしかないですが、それで良ければ使ってください。
砂糖は一つ、でしたよね。」
「はい、一つです。知ってらしたのね。」
「…何時も見てましたからね。」
何時もとか言うと、まるで変質者のように聞こえるなと思いながら、若干気まずそうに目を逸らしつつ話すディータの口調は軽やかだ。
誰の目も憚ることなく、こうして二人で堂々と、同じ席に着いてお茶をする日が来るとは思わず、ディータとしては感慨深いものがあった。
あの馬鹿王子が茶会をすっぽかす度に、セレスティアの傷付いたような表情を目にすることになって。
自分なら絶対にこんな顔をさせないものをと、歯を食いしばって見ていたのだ。
ご令嬢が持つには少々無骨な、実用性以外感じられないティーカップを手にするセレスティアの姿に、ディータはなんとも言えない気持ちになった。
今は仕方がないが、これはティーカップも手に入れなければと感じた次第である。
華やかなご令嬢と無骨なカップという組み合わせもギャップが可愛いと思うが、セレスティアの華奢な指にはこの落としても割れないカップは重いだろうから。
口元へと運んだティーカップからふわりと立ち昇る紅茶の芳香に、寝て起きて尚、まだ少し張り詰めていたセレスティアの心がほわりと緩む。
一口含むと、温かく優しい温度が、喉を通って胃に落ちた。
王子妃教育の一環で、お茶についても教育を受けていたセレスティアだから、このお茶っ葉がそう値段の張るものでないことは直ぐに分かった。
それでも、これがどんなに安い茶葉でも関係なかった。
その証拠に、セレスティアは今、これまで飲んできたどんな紅茶よりも、このお茶の味が美味しいと感じてしまっているのだから。
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