第3話 森の隠れ家
「ここは?
どこなのかしら?」
到着しましたよ、と馬車から降ろされたセレスティアは、目の前にある少し古びた小さな小屋を見ながら、影の男に問いかけた。
この男との付き合いは長い。
セシル第一王子殿下との婚約が整い、すぐについてくれていた影の守り。
婚約期間中ずっと、身を隠し、時に変装をしながら、セレスティアを守ってくれた、今ではセレスティアが誰よりも信頼する男。
その男が連れて来た場所なのだから、セレスティアは一切の不安も感じてはいなかった。
なのでこれは、純粋な疑問だった。
「あー、ここは俺の隠れ家…というか、そういう場所ですね。
何かあった時に利用する目的のセーフハウスなので…俺たち王家の影は、個人的に各地に数箇所、こうした部屋を持ってるんですよ。」
「えっ!?あなたのお家なのですか!?」
「…何をそんなに驚いてるんです?
セレスティア様は今は色々お疲れでしょうから、とりあえず何も煩わされる事なく、ちょっと長めの休暇だとでも思ってゆっくり過ごして下さい。
後のことは俺に全てお任せくだされば良い。
然るべきモノを、然るべき場所に。
正しく配置してみせますから。
全て終われば、安全になるはずなので。
そうしたら、ご実家の方にお送りできますよ。」
影の男はそう説明を続けるが、セレスティアが声を上げて驚いたのは…、否、動揺したのは、そこでは無かった。
その情報の何もかもが機密に当たる『影の男の家』だと言うから、そしてそこに連れて来て貰えたと言うことに驚いたのだ。
これまでずっと守ってくれていた、影の男の所持する家。
自分はこれから、今回のことが終わるまで、この家で…彼の家で生活するのだ。
動揺しないはずがなかった。
セレスティアは、その謙虚で誠実で生真面目な性格上、一切表に出すことは無かったし、それを願うことも無かったが、彼女が大事に、大切に、心の奥に深く沈めて隠した彼女の心とは、実のところ、影の男に対する恋情であったから。
ずっと見守ってきた影の男にすら気付かせ無かった、固く閉じられた扉の鍵が、今開いたのだ。
******
今でこそこうしてセレスティアの警護を任されている影の男だが、彼の正体とはこの国のコムストック伯爵家、そこの四男として生まれて来たディータ・コムストックだった。
この家は代々、後継である長男と、そのスペアとなる次男以外の子供たちは全員秘密裏に王家の影として教育されるという、そう定められた特殊な立場の貴族家だった。
一応ディータの存在自体は、表社会でも公表されては居るのだ。
ただ、この王家の影として育てられる人間は、そこに病弱だの足が悪いだのといった理由をつけられて、社交の場には出てくる事がないせいで、基本的には他家の誰にも顔を知られてはいなかった。
何かの縁で婿養子にでたりすれば話は別だが、生涯に渡り影のまま、密やかに生きて死んで行くと言うことも少なくはない。
外向きには、普通のランクの普通の伯爵家で、特段目立った特産品も何もない家として知られていた。
とはいえ運営も問題がなく、派閥も中立、毒にも薬にもならないとして細く永く存在してきた(と思われている)家である。
裏の家業…と言うべきか、コムストック伯爵家が『王家の影』だと言うことは、国王両陛下か王太子以外には知らされないこととなっている。
とはいえ例外というものはここにもあり、今の宰相は陛下からの信頼が厚く、裏切ることはないと判断されているため、特別に知らされている。
こうした裏の顔を与えられている家というのは他にもあって、そのことは互いに何となく「あそこの家がそうだろうな」と気付いていても、それを口に出す機会など無いので、これまでも、これからも、語り合う日はやって来ないだろう機密である。
そんなディータのセレスティアとの最初の出会いは、丁度セレスティアとセシルが婚約締結するために茶会を開くこととなっていた、その日である。
元々ディータは、年齢的にも丁度いいだろうと第一王子の婚約者となるご令嬢に付けられる予定であったので、王城の応接間にトゥワイニング王家とフェアバンクス公爵家の両家当主、婚約する本人達両名が集まって婚約届けの署名捺印を行う際にも随行していた。
その日からすぐ着任せよとの、陛下からのお達しがあったため、ディータは給仕のフリをして、セレスティアとセシル二人の茶会の席を窺い見ていた。
第一印象はきっと、二人とも悪くは無かった。
二人で目を合わせ、はにかみながらも立派に挨拶を済ませ、会話を弾ませた。
そうして正式な婚約者となり交流を続ける中で、凡庸と言われた第一王子と、才気ある控えめなセレスティアとの間に、少しずつ心のズレが生じていたのには、ずっと見ていたディータだけは気付いていたのだ。
周囲の、己と婚約者との評価の差に。聞こえないよう潜められた噂話に。
まるでガッカリしたとでも言いたそうな相手の目線に、セシルの心が少しずつ歪んでいったのだ。
あるいは歪まされたのか。
コンプレックスを抱えるようになっていたセシルは、学園に入る頃にはセレスティアから心が離れていた。
毎週あった婚約者としての交流の茶会に出なくなり、誕生日には従僕に選ばせたのが見え透いたプレゼントとカードを贈り、パーティーでのエスコートはおざなりなものに変わっていった。
『誰に対して説教すると?』
『お前に何の権利があって』
『口を開けば小言ばかりで可愛げがない』
『自分の実力とやらをひけらかして、一体何のつもりなのか』
『そんなに私を見下したいか』
セシルがセレスティアにそう言い募るのを、ディータは影でずっと見ていたのだ。
募られ、置いていかれ、一人ポツンと残された令嬢が、ポロリと涙を流すのを、ずっと。
「ねぇ、いつもいらっしゃる影の方、」
セレスティアが寂しそうにそう呼び掛けてきたとき、ディータは黙っている事など出来なかった。
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