第38話:藤沢 亮

 その夜、私は知人と渋谷で会食をしていた。

 オフィスの近くに新しい展望の良いレストランができたと話題になり、一度行こうということになったのだ。

 食事を終え、席を立ってお手洗いに行き、戻ろうとしたとき——視界の端に思いもよらぬ光景が飛び込んできた。


 通常のテーブル席より少し高い位置にある、VIPスペース。

 そこに見慣れた姿があった。


 沙良。

 そして——詩織。


 だが、彼女たちは私の知らない男と一緒に食事をしていた。

 しかも次の瞬間、目の前で信じがたいことが起きた。


 詩織が、その男に抱きつき、頬にキスをして——。


 「パパ大好き!」


 ——頭を殴られたような衝撃。

 鼓動が乱れ、血の気が一気に引いていった。


 詩織は昔から他の弟たちとは違っていた。

 落ち着きがあり、勉強も自分で計画を立ててさっさと取り組む。

 ——これは沙良に似たのだろう、と私は考えていた。

 しかし、高校に入ってからますます大人びていく娘に、正直、寂しさも覚えていた。


 だからこそ、その娘が目の前で「パパ大好き!」と抱きついている姿は許せなかった。

 あの男は何者だ。

 沙良とこの男が不倫して……その結果生まれたのが詩織なのか?


 怒りと疑念が一気に膨れ上がった。

 気づけば私はVIPスペースに駆け上がり、その男の胸倉を掴んでいた。


 「貴様——!」


 拳を振り抜いた。

 男の頬を殴った瞬間、詩織が泣き叫んだ。

 「やめて! パパを殴らないで!」

 ―パパ?パパってどういう事だ!


 沙良が慌てて私を制止する。

 「亮、落ち着いて!」


 レストランのスタッフまで駆けつけ、私を取り押さえようとする。

 周囲の視線が一斉にこちらに突き刺さり、場は修羅場と化していた。


 殴られた男——啓介と呼ばれていたその人物は、乱れたネクタイを直し、落ち着いた口調で言った。


 「……人目もありますから、個室を取ります。そこでお話しましょう」


 まるで状況を支配するかのようなその冷静さが、さらに私の怒りを煽った。

 だが同時に、理性の奥で囁く声もあった。


 ——この男、ただ者ではない。


 そう悟らされながら、私は重い足を個室へと向けた。

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