旅立ちの朝

ゆうきまる

旅立ちの朝

 ミケは毎朝、家の縁側から敷地の庭へ旅立つ。

 地方の田舎の家だけに、広さだけは十分。

 庭には花壇や野菜畑がさまざまな彩りを景色に添えている。


「いってらっしゃい」


 今日も庭に降りるミケを見送りながら、一日をはじめる。

 この子はある日、庭に迷い込んできた野良猫だった。まだ小さな身体で鳴いていたところをわたしが保護した。


「にゃあ」


 こちらの呼びかけに小さな声で答えてくれる。あの頃よりは大きく、立派になった身体。縄張りを守るために日々、奮闘し、小さな傷跡が全身に残っている。

 くたびれたヒゲが過ごしてきた歳月の長さを実感させた。


「気をつけるのよ」


 尻尾を上げて庭を動き回るミケ。

 その後ろ姿にわたしは呼びかけた。

 ミケは縄張り意識が強い。保護した当初は家猫として飼うため、家中の窓を閉じ、外へ出さないようにした。

 でも、そもそもが野良猫だ。

 庭に自分の知らない別の猫がやってくると、興奮して外へ出ようとする。

 不妊手術を受けてから、ナワバリ意識はさらに強くなった。


「好きにしなさい」


 根負けして、ある時から自由にさせた。

 幸い、隣家までは田畑を越えていくような距離だ。

 よそさまの家に迷惑をかけることも早々ないだろう。

 ある時、二日ほど家に戻ってこないときは本気で後悔した。でも、気づけば家の中で餌を食べていた。


「あまり、心配させないでね」


 以後は外に出て、長く姿を見せないことがあった。そして、気づけば家の周囲にいる。結局、猫にとっては縄張りすべてが自分の居場所なのだろう。


 しばらく前からミケの動きが変わった。じっと家の中で静かにして、フラフラと庭先に出ては用を足して戻って来る。

 餌をなかなか食べなくなった。時折、激しく咳き込む姿が多くなる。

 獣医さんは、「病気ではない。歳も歳だ」と、静かに教えてくれた。わたしは病気でないことには安心した。ただ、それだけが心配だった。


「ミケ……?」


 その朝、ミケが縁側に座っていたわたしの膝に乗ってきた。


「今日は散歩に行かないの?」


 背中を擦りながら、そう尋ねると、ミケは返事もしないで膝の上で丸くなる。

 しばらくそのままでいると、ミケが不意に膝から降りた。

 激しく咳き込み、ついには身体を横にして息苦しそうにする。全身が小刻みに震え、最後に大きな声で鳴き声を上げた。

 そして、彼女はもう動かない。

 わたしはまだ温かいミケの背中を擦りながら、とめどなくあふれる涙を拭きもしなかった。


「いってらっしゃい……」


 それまでは不安であったが、ようやくと安堵した。この子は生涯を全うした。

 後悔はない。わたしはミケの旅立ちを静かに見送った。


                 了





 

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旅立ちの朝 ゆうきまる @yukimaru1789

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