カイロスの下僕

涼月

第1話 カイロスの下僕

 ほんの一瞬、目を開けたまま寝ていたらしい。ブルリと揺れた携帯の振動に、移動中のささやかな休息さえ邪魔が入る。


『A社のCM広告に関してなんだけど』

 主任の速水さんからの社内メール。


『販売日が早まったんだよ。修正点をまとめたから、明日までに仕上げておいてくれるかな、早坂君』

『わかりました。B社の打ち合わせが終わり次第帰社します』


 仕事早っ。速水さん、流石だなぁ。

 お陰で今日も午前様になりそうだ。



 A社の工場では、徹夜で生産ラインの組み直し作業が行われていた。


「主任、なんで今更販売日が早まったんですか?」

「ん、それはな、ライバル会社で同じような商品が発売されるらしいんだよ。だったら、一日でも早く販売開始するほうが有利だっていう、上層部の決定さ」

「で、こんな大急ぎでやって、トラブルが起きたらどうするんですかね」

「だから、無いようにするんだよ」

「言うのは簡単ですけどね」


 はあぁ~と二人でため息をついた。



 とある家庭の日曜の朝。


「ねぇ、パパ」 

「ん?」


 トーストをモゴモゴ咀嚼中の旦那に、コーヒーのお代わりを注ぎながら、さり気なくねだる妻。


「今度発売されるお掃除ロボット、猫の鳴き声が付加されているんだって」

「は、猫の鳴き声だって?」

「そう、お掃除終わりましたにゃーとか、抜け出せなくなっちゃったにゃーとか喋るんだって。いいでしょう」


 それって必要なのか?

 まあ、癒しと言えば癒しなのかもしれない。でも、別に無くても機能的に問題無いよな。


「別に」

「でも、今使ってるのそろそろ寿命だと思うの」

「壊れたのか?」

「……壊れてはいないけど」

「なら別に買い換えなくても」

「んもう、ケチ」


 急にぷりぷりしだした妻に、ヤレヤレと言う顔になった夫は、その埋め合わせをしようなどとは露ほども考えず、二度寝することだけを考えていた。


 コーヒー二杯のカフェインでは、日頃の寝不足が解消できるわけも無かった。


 

 時は巡りCM放送初日。


 猫耳娘がゴロゴロにゃんにゃん言ってるだけのロボット掃除機の宣伝動画が流れた。

 主演の猫耳娘には、人気上昇中の癒し系アイドルを起用したので、そこそこ売り上げを伸ばせたようだ。


 この追加機能が、どれほど人々の役に立ったのかは定かでない。

 そこまで追跡調査する時間が、早坂には与えられていなかった。


 ただ、飽和状態のお掃除ロボット分野へのテコ入れになったと信じたいところだ。


 やりがいのある仕事かと言われたら、まあ良くはわからないが、そんなことを考え始めたらきりがないので、敢えて悩むことを避けている。


 一先ずほっとしたので、速水主任とビールで乾杯。


 彼らの今日は、まだ終わらない。



        完



※カイロス……ギリシャ語でチャンスや時刻を表す言葉。

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カイロスの下僕 涼月 @piyotama

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