間合い

晴れ時々雨

☂️

 予期せず間合いに踏み込んだとき、彼が呪われていることを知った。私には奇妙な直感が少しだけある。近づいた人に取り憑いているものを感じるというやつ。変人扱いされている彼のことを理解した瞬間だった。得体の知れない黒い影が、彼の耳許でずっとぶつくさ言っている。あれじゃあね。お気の毒さま。


 それから彼をよく見かけるようになった。今まで気にも留めなかったけれど、どうやら行動範囲が似ているようだ。一度認識してしまうと癖のように遠くからでもソレが視える。見かけるごとに影が大きく濃さを増している。教えてやろうか。でもなんて言おう。彼はいつもあさってを見ている。顔色も悪い。


 彼が傘を落としたので拾ってやった。今日はそんな予報だったろうか。手渡すと、彼は少し探るようにしてから傘を掴んだ。そしてそのまま数秒硬直した。影が私と彼を覆うようにぐにゃりと肥大した。ああ、きっとコレ対策のつもりでこんなバカでかい雨傘を持ち歩いているんだ。「お茶を飲みませんか」と誘うと、ロボットみたいに彼は歩き出した。ついてくると、思ってたような思ってなかったような変な気分だ。しかし私のあとから、喫茶店に入った。ボックス席に向かい合わせに座るしかない。だって私たちツレだから、店員が案内するんだもの。ほんとならこの状況は良くないのに、流されて流されてしかたないって言い訳をして彼の向かいに腰を下ろす。正面から見る彼はやはりどこを見ているか分からない顔をしていた。影は膨らんだり萎んだりして輪郭も安定していない。でも彼から離れない。私はテレパシーで影に、離れて、と送った。けれど能力者じゃないから無駄だった。手持ち無沙汰になって店の外へ目をやる。どうでもいい景色がベルトコンベア。肘杖をついてまた視線を戻すと、彼の目が白目になっていた。そんな彼に、影は絶え間なく話しかけている。言葉らしきものが黒い紐状になって彼の耳へ入って鼻からこんにちわしてる。こんなのは初めて見た。もうしょうがなく、影を注視することにした。影は人っぽかった。あ、これはこの人と古い結び付きのある何かだ、と唐突に気づいた。そう思って見ると、形がどんどん変わってく。若い男のようだけれど、一人じゃない。一つの影が、代わる代わる形を変える。二人いる。一人は彼と同じ顔をしていた。もう一人は別人。

「愛してる」

 突然はっきりと声が聞こえた。

 やばい視すぎた。でも遅かったみたいで視線が外せない。影は2mくらいあった。黒い男たちが代わる代わるアイシテルというような音を彼の耳に流し込んでる。店員がオーダーを取りに来ない。お通しのお冷が結露してグラスの周りに水溜まりを作っている。それはコップの中身より多いような気がした。その水に沈んでいくような感覚。

「わたしも」


 いつの間にか夜道を歩いていた。あの店でいくら払ったんだろう。全然わからないけれど、私の手は傘の先端を握っていた。その先は誰かが持っているだろう。当然だ。住宅街らしいが明かりがない。彼はどこだろう。終


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間合い 晴れ時々雨 @rio11ruiagent

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