星の双奏

そらうり

第1話 雪の舞うある日

窓の外は、まるで墨を流したように曇っていた。冬の朝は、空の色すらも眠たげだ。この季節は、家の廊下がやけに冷たく感じた。


 電車はゆっくりと揺れながら、雪の積もった街を走っている。車内の暖房は心地よくて、制服の下に忍ばせた厚手のインナーが少しだけ熱い。


 水守澪(みずもり みお)は、膝の上に置いた封筒に視線を落とした。


 “夢守協会(ゆめもり) 第七東京部隊 招集通知”筆文字のような印が静かに主張している。見慣れた封筒だ。でも、今回ばかりは少し違っていた。いつもは父親宛にしか来ない封筒。夢守協会から自分宛に来るのは初めてだ。


 冬休みの最中、突然送られてきたこの紙一枚が、彼女を「実家である屋敷」から追い出し、これから向かう「現場」へと導いている。




 夢守協会とは夢と現実をつなぐ“境”に潜む妖怪・夢喰いを狩る、国家公認の能力者組織である。夢喰いは人の心に潜り込み、ネガティブな夢を食らうことで力を蓄える妖怪である。放置すれば、夢主の精神は蝕まれ、現実にも悪影響が及ぶ。ゆえに夢守と呼ばれる術者が退治し、夢の浄化を行う。


 澪は、家の伝統に従い、その末席に名を連ねる一人である。


 だけど、優秀な兄や妹に比べれば、自分はただの……控えめに言って“普通”だ。訓練ではいつも最後尾、術式の精度も安定しない。だけど――


 (それでも……やらなきゃ、だよね)


 寒さにかじかむ指先で、封筒の角をそっと撫でる。 


思い返すのは、出発の朝。


 父も兄も玄関には現れず、ただ妹だけが隅で手を振っていた。あの小さな笑顔にどれだけ救われたか、言葉にはできなかった。


 シートの向かいでは、通勤途中のサラリーマンがスマホを睨みつけている。彼らにとってはただの朝。けれど、自分にとっては、少し違う。




 この電車を降りた先で、火乃宮ヒナ――あの“噂の先輩”と出会うことになる。


 そして、夢守としての、冬が始まる。


電車を降り立つと、冷たい空気がコートの隙間をすり抜けた。


 吐く息は白く、肩に乗った雪がすぐに溶けて冷たさを残す。


 封筒に入っていた地図に従って、澪は駅前の人波を抜けていく。行き先は、夢守協会・東京支部第七部隊の拠点。小高い丘の中腹にある、白い塀と黒瓦の和風建築だ。


 門の前に立つと、ふと胸がつまる。


澪はふーっと大きく息を吸った。冷たい空気が肺の中に入り心が冷静になってきた。


 “部隊”という響きには、どうしても冷たい緊張感を感じてしまう。


 兄や妹は、こんなふうに不安を感じたりしただろうか……。


 「――水守 澪さん?」


 澪が顔を上げると、門の内側に佇む女性がいた。


 父親や兄が身に着けていた、苦い思い出を思いだす。


 黒い夢守協会の制服に、羽織をまとった柔らかな雰囲気の人。


 けれどその背筋は凛と伸びていて、年齢よりもずっと若々しい印象を与える。




 「待ってたわ。ようこそ、第七部隊へ。副隊長の柊 玲(ひいらぎ れい)です」


 玲は、澪の前に出てきてそっと微笑む。その笑みは、冬の陽だまりのようにあたたかかった。


 「あっ、えっと……! 水守 澪、です。あの、今日から、お世話になりますっ」


 慌てて頭を下げると、玲はくすりと笑ってから、そっと肩に手を置いた。


 「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。ここは、みんな家族のようなものだから。今日から、あなたもね」


 その一言に、澪の中に張り詰めていた何かが、すこしだけほどける。


 「寒いでしょう? 中へどうぞ。隊長も他の隊員たちも、あなたに会うのを楽しみにしているの」


 澪は感じていた。


「似てる…何か、ってわけじゃないけど」


 記憶しかない母の面影を。


そんな事を思いながら玲の後を追って建物の中に入っていった。


「うちの部隊はほかのところより人数が少ないからみんなとすぐに仲良くできると思うわよ」


実家のような広い屋敷と対象的に二人が並んで歩くのがやっとの廊下に、すぐに部屋が見えるこじんまりとした建物だった。けれど不思議と居心地は悪くない。


「皆さんと仲良くなれるか不安です…。」


ぎこちない笑みを浮かべながらポツリとつぶやいた。


そんな澪を見て玲はもう一度、大丈夫よ。といった。


誰だって初めての場所は緊張するのは当たり前なのだから。


しばらく歩いた後、一つの扉の前で立ち止まり、ノックもせずにスライドさせて声を張り上げた。


「はーい。みんな~水守さんの到着したから席ついて~…隊長~筋トレ中断して事務所来てね~」


「ここが事務所兼会議室よ」


 中へ案内されると、長机が数台並べられた簡素な部屋に、既に二人の隊員と思しき人物がいた。年齢も性別もバラバラだが、それぞれがこちらに興味深げな視線を向けている。


「お~、新入りちゃん?いいね~。ヒナとまた違うかわいい子じゃん~よろしく~」


たばこを口にくわえたショートカットのきれいなお姉さんが机に肘をつきながらくすりと笑った。


軽やかな調子に澪は思わず背筋を正す。


「よろしく~浅見 夏(あさみ なつ)で~す。なつ姉って呼んでくれてもいいから~」


ショートカットの髪を軽くかきあげて、浅見はニヤリと笑った。


「柊サンもういい?観たいドラマ溜まってるから~」


そう言って、手をひらひらと振りながら部屋を出て行った。


取り残された澪はそっと視線を落とした。


(…やっぱり、ここでも迷惑だったのかな)


無意識に唇をかんだ澪の肩に、そっと手が触れた。


「大丈夫よ。なっちゃんはああ見えて、人一倍気づかいのできる子なの。多分あなたに緊張させないように、気を使って席を外したんだと思うわ」


玲の声はほんの少し笑っていてとてもやさしかった。


「おや? 浅見クンはいなくなったのかい。せっかくいいお茶を用意してきたのにのぅ」


 柔らかな声音とともに、ひときわ穏やかな香りが室内に広がる。


 部屋に入ってきたのは、白髪に紺色の羽織をまとった小柄な老人だった。


 手には丁寧にお盆を抱え、その上には湯気の立つ湯呑みが五つ並んでいる。


「おつかれじゃろう、初めての場所というのは。まあ、座って一服するとよい」


 そう言って、澪の前にそっと湯呑みを置いた。


 その所作はどこか茶道のように静かで、澪は思わず背筋を伸ばす。


 「篠原 仁作(しのはら じんさく)じゃ。この部隊におるが、理由はあまり堅苦しく考えんでよい」


 優しく微笑んだその目は、澪を見ているようでいて、その奥まで見透かしているようでもあった。


「篠原さんは、この第七部隊で一番の古株なの。ずっとここを支えてくださってて、今は後進の育成をメインに、いろいろと動いてくださってるのよ」


 玲は穏やかに笑いながらそう言った。


「何か困ったことがあったら、遠慮しないで言ってね。特に戦闘技術においては隊長や私よりも、ずっと頼りになる人だから」


 からかうように笑う玲に、篠原は「ほっほっ」と肩を揺らして笑った。


「はい。よろしくお願いします。」


そんな様子に澪はお茶を飲み、ふっと肩の力が抜けてリラックスした表情をした。


「すまんなー!」


勢いよく扉が開いて、響き渡るような声が部屋に飛び込んできた。


「あと15回で腹筋150回だったから全部やってきたぞ!…ん?浅見がいないな。挨拶はしたのか?」


大柄でがっしりとした体格の男性が中に入ってくる。


大切な場面でいない浅見にちいさくため息をつきつつ、席に着いた。


「ごめんな。挨拶が遅れた。第七部隊隊長の神谷 豪(かみたに ごう)だ。困った事があれば遠慮せず相談してくれ!」


澪は驚きながらも頷いた。


玲を暖かい太陽と例えるなら、神谷は真夏のまぶしい太陽のような人だなと澪は感じていた。


「あと挨拶してないのは…ヒナだけか?」


篠原が淹れたお茶を飲みながら神谷は言った。


「みんなに水守さんが来る日を伝えたのにね…」


玲は少し困った表情を浮かべる。


「あの、ヒナさんって…?」


何度も聞く名前に澪は不思議そうに眉を寄せた。


神谷はそうかとつぶやくとどこか思案げに教えてくれた。


「ヒナ。火乃宮ヒナ。…ここまで言えば知っているかもしれないな。詳しい事はあいつが来たら自分で話してもらおう。」


”火乃宮”この名前を聞いた瞬間、澪の心にざわめきが走った。


ーー知ってる。その名は。知らない訳がない。


火乃宮、水守、風凪(かざなぎ)、氏城(うじしろ)、星空―-


 夢喰いの元凶を封じる術式を維持する、封印の五家の名だ。


 そのうちの一つ、「火乃宮」の名を持つ人物が、ここにいる――?

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