第29話 期待するということ、されるということ

人生には二種類の「期待」がある。


一つは、自分自身が自分に期待すること。

これは気楽なものだ。無理だと思えば、いつでもやめられる。


「よし、今日から腹筋百回!」と期待しても、三日後には「まあ、ぼちぼちでええか」となる。



プレッシャーは、ない。



厄介なのは、もう一つの期待。他人が自分に期待することだ。

これは、重い。



「マァアさん、期待してるよ!」



と言われると、真面目な私は「はい!一生懸命頑張ります!」と応えてしまう。

この「一生懸命」が曲者で、どんな些細なことも

「一生懸命」やらねばならなくなり、やがてストレスになる。


そんな時、魔法の言葉がある。それは、「ほどほど」だ。



「マァアさん、期待してるよ!」

「はい、ほどほどに頑張ります」


こう言うと、相手も「ほどほど」にしか期待しなくなる。



さらに強力な呪文がある。それは、「ぼちぼち」だ。


「頑張ってるかい?」

「いやあ、ぼちぼちですわ」



「ぼちぼち」のあなたには、もはや誰も何も期待しない。

プレッシャーもストレスも、雲散霧消する。


「どうやミーちゃん、この処世術! まさに現代社会の荒波を乗りこなすサーフボードや!」

「あなたの場合、ただの責任逃れの言い訳でしょ」




先日、孫のダイスケ君が初めて寝返りを打った。

娘夫婦も、ミーちゃんも、そして私も、その歴史的瞬間に立ち会い、歓喜の声を上げた。


「やった!ダイスケ! ようやった!」


その時、私はダイスケ君の瞳の中に、キラリと光るものを見た気がした。

それは、我々家族からの「期待」という名の、重圧の光だったのかもしれない。


「ダイスケよ…」と、私は心の中で語りかけた。

「お前は、じいじのようにはなるな。期待されたら、

 『ぼちぼちでんな』と、生後三ヶ月で達観した顔で言うんやぞ。

 そして、誰にも何も期待されず、のびのびと、健やかに育つんや…」


すると、ダイスケ君が「あーうー」と、何かを訴えかけるように言った。

ミーちゃんが通訳する。


「『じいじこそ、そろそろ孫に期待するより、

 自分の老後に期待したらどうなの』って言ってるわよ」




…ぐうの音も出ない。


どうやら、我が家の最強のツッコミ担当は、この孫に引き継がれることになりそうだ。

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