第3話「KAIZEN、城の業務は非効率すぎる」

異世界の空にも、朝日は昇る。

徹夜で仕上げたドラゴン討伐に関する詳細見積書とWBS(工程表)の束を抱え、俺、山崎健二は朝日を浴びていた。その目は、三徹明けのプログラマーのように虚ろだった。

「スローライフ…とは…?」

自問自答しても答えは出ない。とにかく、この書類を財務大臣に叩きつけ、承認のハンコをもらわねばならない。俺はふらつく足で、城内の部署を回り始めた。そして、そこで目の当たりにしたのは、前世のブラック企業ですら裸足で逃げ出すレベルの、驚愕の業務フローだった。

まず、承認フローがカオスすぎる。

財務大臣の承認を得る前に、なぜか園芸管理局の庭師長や、王宮料理長のハンコまで必要らしい。理由を尋ねると「昔からの慣習じゃ」の一点張り。おまけに、ハンコを押す位置は個人の気分次第。右に押したり、左に押したり、しまいには羊皮紙の裏に押す者までいる始末。書類の可読性はゼロに等しかった。

次に、情報伝達が遅すぎる。

部署間の連絡は、すべて伝令兵の足が頼り。CCもBCCもない世界では、関係者全員に同じ内容の羊皮紙を配って回るしかない。しかも、担当者が不在だった場合、書類は机の上に放置され、別の書類の山に埋もれて忘れ去られる。先日も、食料庫のネズミ駆除の要請が3週間放置された結果、王様の夕食のパンがかじられていたらしい。インシデント報告書はまだ提出されていない。

そして極めつけは、ファイリングの概念が崩壊していることだった。

全ての書類が保管されているという古文書管理局の書庫は、まさに魔境だった。分類ルールは存在せず、膨大な羊皮紙の巻物が天井まで無秩序に積み上げられている。

「5年前の防壁補修の予算書? ああ、確かあの棚の…ハシゴをかけて登った先の、一番奥にある木箱の中の、下から3番目あたりに…たしか…」

書記官長であるバルタザールという老人は、己の記憶だけを頼りにそう言うが、結局半日かけても見つからなかった。

堪忍袋の緒が、音を立てて切れた。

俺の脳内に、前世の上司の「PDCAを回せ!」「報・連・相を徹底しろ!」「5Sはビジネスの基本だ!」という怒声がフラッシュバックする。

そうだ。俺はスローライフを送りたい。のんびりしたい。

そのためにはまず、この無駄と非効率に満ち満ちた労働環境を、徹底的に改善(KAIZEN)しなければならない!

「もう我慢ならん!」

俺は国王の元へ直談判し、半ば脅すようにして「王城内業務効率化推進プロジェクト」の最高責任者の座をもぎ取った。

早速、各部署の責任者を集めてキックオフミーティングを開催する。

「皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます! アジェンダは三つです!」

俺は壁に貼り付けた巨大な羊皮紙をビシッと指した。

【山崎からのKAIZEN提案】

* 稟議書フォーマットの統一と回覧ルートの最適化

* 申請・承認・決裁のフローを明確化。不要なハンコは全て撤廃!

* 書類はA4サイズ(に近い羊皮紙)に統一し、ファイリングを前提に全て「右上」にハンコを押すこと!

* 城内連絡用「伝書鳩」システムの導入

* 緊急度に応じて鳩を色分けし、情報伝達のスピードを向上させる!

* 通常連絡は「白鳩」、急ぎの要件は「灰鳩」、そして炎上案件は「赤い鳩」で!

* 古文書のデータベース化(※手書き台帳)

* 全ての書類に管理番号を振り、誰が・いつ・何を申請したのかを台帳で管理! 俗人化をなくし、業務の標準化を図る!

俺の熱弁に対し、会議室の空気は冷え切っていた。

特に、書記官長のバルタザールが、忌々しげに俺を睨みつけている。

「若造が、知ったような口をきくでないわ! このやり方は、建国以来500年続く由緒正しき伝統なのだ! 書類の場所など、このわしの頭に入っておれば、それで十分事足りる!」

「あなたの頭がもしクラッシュしたら、この国の行政は機能不全に陥るんですよ! それはもはや伝統ではなく、ただの『属人化』であり、組織として致命的なリスク管理の欠如です!」

俺がバッサリ切り捨てると、バルタザールは顔を真っ赤にして震えている。他の部署長たちも「今さらやり方を変えるのは面倒だ」「新しいことを覚える時間などない」と不満の声を漏らし始めた。

プロジェクトは、開始わずか15分で暗礁に乗り上げた。

だが、俺はここで引き下がるほど甘くはない。ブラック企業で培ったのは、プレゼン能力だけではないのだ。

俺はにっこりと、悪魔のような笑みを浮かべて言った。

「結構です。ご賛同いただけないのなら、こちらも実力行使するまで。まずは皆さんの無駄な残業時間と、それによって消費されているロウソク代、夜食のパン代、そして書類を探すためだけに費やされている人件費を全てデータ化し、どれだけのコストが無駄になっているか、『可視化』するところから始めましょうか」

俺の手には、データ収集のための新たな羊皮紙の束と、先を尖らせた木炭が数十本握られていた。

それを見た部署長たちの顔が、サッと青ざめていく。

異世界のホワイトカラーたちよ、思い知るがいい。

KAIZENの第一歩は、常に現状の非効率さを数字で突きつけることから始まるのだ、と。

新たなデスマーチ(終わらないデータ入力作業)の鐘が、今、高らかに鳴り響いた。

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