光と影のラブソング#3

 翌朝、相変わらず薄暗い部屋の中でぼんやりと意識が覚醒して目が覚めた。スマートフォンを確認すれば朝の7時になった所。涼也さんから『おやすみ』とメッセージが一件届いていた。

 あの後涼也さんと出掛けて昼食を一緒に食べたが久々の誰かと食べるファストフードは嘘みたいに美味しかった。買い物終わりにトークアプリの連絡先を交換してそれぞれ家に戻ったのだ。

 喋って買い物して気が紛れたからだろうか、昨日の朝までの重苦しい気分が嘘のように消えて体が軽く、頭の中が騒めいていた。

 ああ、躁状態だなと長年この症状に付き合っているのだから嫌でも分かる。まだ寝ぼけた眠い目を擦り電気を付けて欠伸を嚙み殺す。

 精神科の主治医には散歩や日光浴が良いと聞いたがそうする気分には中々なれずに此処まで殆ど引き籠りで生きてきてしまった。肌は日焼けの気配ひとつなく真っ白でまさに不健康そのもの過ぎて苦虫を嚙み潰した様な笑いが浮かぶ。

 手早く着替えと髪のセットを簡単にするとパソコンの電源を入れてアコースティックギターを抱え、慣れた手順で配信画面を立ち上げた。配信開始のボタンを押すと平日の朝にも関わらず思いの外コメント欄が賑わう。

「結構来てくれてる……皆おはよう、弾き語り配信者のソウタです。早速だけど目が覚める一曲やっちゃおうか」

 コメント欄には配信を心待ちにしてくれていただろうリスナーたちの文字が並ぶ。それに呼応する様に躁状態の自分はいつも以上にハイになって指先が勝手に動き、歌声が部屋中に響き渡る。

 躁状態は無敵の気分にさえなれる。今なら何だって出来そうだ。いつもより数曲多めに歌い、ギターを搔き鳴らし、気持ちよさを感じて賑わうコメントにいつも以上に返事をしていく。

 そうして一時間半程した後に配信を終えると、流石に疲労感が全身を包んだ。しかしまだ全身に残る高揚感と自分が歌うと喜んで貰えるという安心感が心地いい。ずっとこの状態が続けばいいのにと珍しく自ら朝食を食べる為にキッチンに向かった。







 だが、次の日は違った。

 いつも通り部屋の遮光カーテンを閉め切ったまま、全く起き上がることもできずにベッドに深く深く沈む。心は重くて手も足も鉛のように動かない。カーテンの隙間からちら付く日差しが鬱陶しい。スマートフォンさえ見る気にならなかった。

「歌えない……」

 歌う事が自分の全てなのに最悪の鬱状態に小さく嘆く様に呟いた。気分が落ち込み何もかも全てを拒絶したくなる。

 そんな時、インターホンが鳴りドアの向こうから物音がした。察しは付く、多分あの人だ。

「奏太くん、ご飯食べれてる?」

 聞き心地のいい落ち着いた声がドア越しに聞こえる。動くのも億劫だったがベッドからのろのろと這い出して玄関まで向かいドア越しに答える。

「……放っておいてくれよ」

 自分の声は余りにも震えて酷かった。こんなんじゃやっぱり歌えない。最悪だ。

「開けて、奏太くん。少しだけでいいから」

「…………」

「入るよ」

 カチャリとゆっくり鍵を開けてドアを開くと涼也さんは黙ったまま、少し開いただけのドアを搔い潜ってそっと部屋の中に入り、俺を連れてベッドに横並びに座る。俺の肩に手を置いてただ隣にいるだけだ。

 長い沈黙の後、涼也さんは静かに声を掛けて来た。

「ねぇ奏太くん、つらい時はつらいって誰かに言って良いんだよ」

 その言葉に、ほんの少し心が揺さ振られる。考えてみればつらいとか苦しいとか、思っていてもずっと言葉にしていない。配信する時はいつも完璧な弾き語り配信者のソウタでいなければならなかったし、それ以外はずっと独りぼっちだった。

「……わかんない、どうしたらいいのか」

「人は誰も完璧じゃないから、奏太くんだって弱味を見せても誰も怒らない」

「……俺、つらいのかな……苦しいのかな……」

 声が震える。気付けばいつの間にか雫が頬を伝っていた。涼也さんに抱き締められて頭を撫でられる。ちゃんと抱き締められたのなんて子どもの頃以来かもしれない。ずっと一人で、孤独で、ギターと歌だけが俺の全てで。誰かが踏み入ってくる事なんて無いと思っていたのに涼也さんは魔法使いの様に簡単に俺の心に触れて来る。こんな事初めてで訳も分からず零れ落ちる涙をスウェットの袖で拭った。

「これからは俺が奏太くんの事ずっと見守ってるから」

「……お人好し」

「奏太くんにだけだよ。ねぇ、奏太くん。面倒見る代わりに合鍵くれないかな?こういう時困るでしょ」

「そういう詐欺師だったりしない?」

「疑い深い割にガード緩いの矛盾してる」

 大きな暖かい手で頭を撫でられるのが何だか心地良くて荒みかけた心が落ち着く。いつもなら安定剤で誤魔化していた鬱がこんな形で癒されるとは思ってもみなかった。涼也さんの腕から抜け出してベッドから立つと壁のフックから合鍵を手に取って戻り涼也さんの掌に置いて握らせる。出会ってからこんな短期間なのに不思議とこの人なら大丈夫という信頼が生まれていた。嬉しそうに合鍵を握り締める涼也さんは本当に童話に出て来る魔法使いなのかもしれない。

「そういえば私服だけど仕事は?」

「今日祝日って知らなかった?」

「……あ」

「という訳で今日はデートをしましょう」

 カレンダーで祝日になっているのを見て合点がいったが、次いでこの男は急に何を言い始めたのかと耳を疑った。コンディション最悪の鬱状態相手に外に出ろは苦行過ぎる。

「いや、急すぎ」

「まずは部屋の換気からだね、気分滅入っちゃうでしょ」

 そう言うや否や閉めっ放しだった遮光カーテンが勢い良く開けられ、太陽の眩しさに思わず目を細めた。窓をガラガラと開け放つと心地良いそよ風が頬を撫でる。

「わ……」

「外の空気少しは気分良いでしょ?さぁ立って着替えて!」

「マジ強引……」

 チェストから適当にルーズシャツとジーンズ、靴下を掴んで洗面所に向かい、憂鬱ながらも着替えてから顔を洗って歯を磨き髪を軽く整えた。まぁ目の当てられる程度にはなると部屋に戻るなり涼也さんに押し出される様に財布と鍵だけを持ち家から出る。

「ほら、いい天気じゃない?絶好のデート日和」

「まぶし……だる……」

「あはは、ちょっと力技過ぎたかな」

「ちょっとじゃないし滅茶苦茶だし」

「ここ、家の内見で来た時からずっと気になっててさ」

「喫茶店?」

 笑う涼也さんに手を引かれて嫌々歩き出すと目的地は案外近くで小さな喫茶店だった。こんな朝早くからやっているものかと驚きつつ一緒に入ると来客のベルが鳴った。

「いらっしゃいませ、二名様ですか?お好きな席へどうぞ」

「はーい」

 店内はまだ人も少なく空席が目立つ。取り合えずボックス席を選んで向かい合わせに座りメニューを開いていると店員によって水とおしぼりが運ばれてきた。

「俺料理ヘタだから朝食作ってあげられなくてさ、奢るから好きなの食べて」

「それじゃお言葉に甘えてタマゴサンドとカフェラテ」

「それだけで良いの?」

「俺あんま食べないし」

 成程、と納得した様子で店員をベルで呼び涼也さんが幾つかオーダーする。コーヒーにミックスサンドにナポリタン大盛……と聞いている内に逆に多くないか?と目を丸くした。

 少し待っているとテキパキと店員が飲み物と料理を運んできたが案の定涼也さんの分でテーブルの半分を占領している。

「涼也さんそんなに食えんの?」

「これ位なら余裕だね。まぁ食費すごい事になるけど」

「どうせ夕飯も大量の出前とかなんでしょ、マジ出費やばそう」

「一応俺それなりの大会社だから給料良いし、そこは心配いらないんだけどね」

「へぇ……あ、いただきます」

「いただきます」

 早速出来立てのカフェラテのカップを手に取り数度息を吹きかけてから啜る。コーヒーにこだわりがあるのか風味も豊かで酸味が少なく飲みやすい。カップを一度戻し続けてタマゴサンドを掴むとひとくち頬張った。みっちりと挟まれたタマゴサラダの味の具合も丁度良くブラックペッパーが効いていて大変美味だ。

「うま……」

「ほんと?」

「ほら」

「ん-うまいね」

 特に何も気にせずタマゴサンドを差し出すとそれに涼也さんが噛り付きうんうんと頷く。先日も言っていたが本当にこの人はひとくちがでかいのだなと思い知った。フォークを器用に使いナポリタンを口一杯に頬張っているのを見ると何だか笑えて来る。

「こういうのさ、気分転換って言うの?」

「少しは気が紛れた?」

「まぁ、少しだけど」

「俺と居たら楽しいって思って貰えるまで頑張るから」

「それって頑張る事なの?」

 タマゴサンドに噛り付きながら笑う。まだ言ってはやらないがこの時間を少しだけ楽しいと思っている自分が確かに居た。歌っている時以外でも楽しいと感じられるのか、と純粋な驚きも正直ある。荒療治すぎるがこういうのも悪くないのかもしれないなんてこの時は思った。

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光と影のラブソング 川獺 @kawasekawauso

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