逆立ち 逆張り お嬢さま!〜 逆さの庭で、世界は息をする。

彗星愛

逆立ちで領地開拓、はじめました

第1話:世界をひっくり返したかった夜

 アメリアはうんざりしていた。

 うんざりすることにすら、うんざりしていた。


 貴族社会の恋愛話。聞こえてくるのは――

 婚約がどうだの、持参金をもっと出せだの、血筋の証明をしろだの、ご祝儀の相場がどうだの、カエルがどうだの、割り勘がどうだの、ファミレスで喜ぶ女はどうだの、ウエディングドレスを過去に誰が着ただの、なんちゃら一桁ガチババアだの。


 どおおおおおーーーーでもいい!!


 縁談の席順、爵位の上下、領地の線引き。

 恋だの愛だのは最初の飾りで、最後に出てくるのは印鑑と契約書。


 くっっっっだらない!!!


 ……はあ。


 ため息をどれだけついたところで、腹の底に溜まったモヤモヤは吐き出せない。むしろ増えていくばかりで、「幸せ」だけが逃げていく。


 まあ、その「幸せ」だって、あの人たちの言う『生涯のパートナー』とやらで、要するに家と家の安全保障で、指には銀の輪っか、机には契約書の束、笑顔の裏には借用書――そういうやつだろう。


 ううう。

 どうすればいい、この世界。

 どうしようもないのか、この世界。


 ――限界だ。


 アメリアは走っていた。

 夜更けの中庭。誰もいない深夜の庭園。止まった噴水から滴る水音だけが響いている。


 こんなどうしようもない世界。

 いっそのこと、すべてひっくり返ればいいのに。

 何もかも、ぜんぶを、ひっくり返したかった。


 だから。

 無心で両手を地面について、足を思い切り蹴り上げた。

 視界がぐらりと揺れて、世界がそのままひっくり返る。


 ――逆立ち。


 子どものころ、男の子がやっているのは何度か見たことはあった。でも自分でするのは初めてだ。


 そのままずっこける、はずだった。しかし風の悪戯か神の思惑か、奇跡的にバランスが崩れない。腕がぷるぷる震え、頭に血が一気に集まって熱くなる。


 それに、なんだか腕も、ぽかぽか――


 違う。手のひらだ。

 じわじわと光がにじみ出し、土の上に広がっていく。まるで大地が呼吸を始めたかのように。


 ずこん。

 横に倒れて、尻餅をついた。


「……痛っ」


 なんとも情けない、みっともない。スカートはめくれ、髪は乱れて、ドレスには土汚れ。こんなところを誰かに見られたら、この貴族社会から即排除されるだろう。……別に未練はないけど。


 と、そこで気づく。あれ?


 さっきまで何もなかった石の隙間に、緑が見える。

 小さな芽がにょきっと立ち上がる。

 土はしっとり濃くなり、枯れかけていた鉢からも新しい葉が伸びていく。

 空気は透き通り、胸の奥まで染み渡る。

 世界が、ほんの少しきれいになっていた。


「……え?」


 思わず声が漏れる。手のひらはまだ温かく、指が小さく震えている。


 夢のような光景だった。けれど、この手の汚れは、確かに現実。ならば、これは、本物?


 口元が緩む。胸の奥から、何かが込み上げる。止められない。


 ふふっ、ふふふふ、ふふ――

 ふふふはっ、は、はは、ははは、ははは――

 はっはは、ははははは、ははははははは――!


 馬鹿みたいな笑い声が、深夜の中庭に響いた。

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