【第3話】爆弾は思春期のせいなのか、それとも
数年後中学に入学した私は、近所に住む2学年上のとある女子先輩と仲良くなった。
今でこそ2歳差なんて僅差だと思うが、中1当時の自分から見た中3、って遥かに大人びて見えたものだ。そんな憧れの先輩と仲良くなれたのが心底嬉しかった。
登下校ルートが同じで、特に帰りは毎日のように一緒になった。そして別れ際、どんなに短くても30分、盛り上がると平気で1時間超えの他愛もない立ち話…それがおよそ1年間、ほとんど毎日。一緒に過ごす時間に比例して、着実に仲を深めていたと思う。
いつしかそれが学校生活での一番の楽しみになり、毎日毎日帰りの時間をワクワクドキドキ待ち侘びるようになっていた。いつしか「2人で毎日一緒に帰る」ことは、都度約束する必要もないほどお互いにとっての暗黙の了解になっていた。
隣を歩きながら、この帰り道がなんかのバグでいきなり無限ループの迷路になってくれないだろうか?なんて痛々しい妄想をするほど、一分一秒も長く一緒にいたいと思った。別れ際の立ち話が30分を過ぎる頃には、どうにかこの幸せな時間を繋ぎ止めたいと、とにかく話題探しに必死になっていた。
そこからさらに数年後、十代後半になり初めて男性とお付き合いしたとき、ふとこの"中1の帰り道"のことを遡って思い出したことがある。
人は違えど、いま目の前にいる相手に対して"まったく同じ感情"を、あのときの先輩(=女性)にも今目の前にいる恋人(=男性)にも同等に抱いているという事実を、妙に俯瞰して照らし合わせている自分がいた。
また、小2の"初バレンタイン"のときにはまだ分からなかった「好意」の意味合い、感覚を理解し始めたのも、やっぱりこの"中3の先輩"と過ごすようになってからだったと思う。つまり私の正式な初恋の相手は「同性の先輩」だったと言えるかもしれない。
この中1の"初恋"の頃から次第に、自分の感覚と社会通念のズレを感じることが増えていったように思う。
中学生にもなると「自分は女としてこの世に生を受けた」という事実が曲げられないことにも、「なのに自分の恋愛指向は同性に向いているかもしれない」という自分の矛盾にも気付き始めていた。
世の中に溢れる数多の"常識"っぽいものを覚え始めた年齢だったからこそ、コモンセンスのレールから"はみ出しているかもしれない"自分をうっすら自覚してしまって、誰にも言えないショックをジワジワと溜め込むようになっていた。
今思えばあれは丁度年齢的に思春期に差し掛かる頃だったので、自分に限らず誰しも等しく経験した感覚なのか、それとも自分の場合"セクシャルマイノリティとしてのアイデンティティ"が相まって、そうでない人よりもよりブーストが掛かった感覚だったのか…いまだによくわからないけど、とにかくあの時期に言語化できないカオスやフラストレーションを爆弾のように抱え込むようになったことは間違いない。
そしてそれらを小刻みにアウトプットする術を知らなかったばっかりに、後に表現活動に傾倒するようになる自分にとっての、"創作の起爆剤"となったことは紛れもない事実だった。良くも悪くも。
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