ヴァイオリニストと女性店員

五來 小真

ヴァイオリニストと女性店員

「こいつを売って、そこのヴァイオリンを——」

 男は持ってきたヴァイオリンを見せながら、女性店員に言った。

 女性店員は怪訝な表情で、それを受け取った。

 このやり取りは、既に40回を超えていた。

 つまり、男は女性店員に取って上客なのだ。

 

 男と女性店員の出会いは、10年前に遡る。


「ヴァイオリンに興味があるんだけど——」

「よろしければ、お試し下さい」


 男は無造作にヴァイオリンを持ち弾いたが、ろくに音が出なかった。

「難しいな……」

「お客様、ヴァイオリンは繊細な楽器です。女性を扱うようにと、よく店長が申してました」

「……なるほど——」

 男は険しい表情でしばらく考えていたが、やがて軽く頷くと楽器をその場に置き、遠く離れた。

「お客様?」

「シー!」

 男は人差し指を唇に当てて、女性店員に黙るように促す。

 深呼吸一つすると、そしらぬ顔でヴァイオリンに近づいた。

 近くにあったドラムに視線をやり、そのままヴァイオリンにひと触れ。

 一度遠ざかり、次は別のヴァイオリンに近づくついでにひと触れ。

 そして背後からそーっと近づくと、おもむろに弾き出した。

 そこで音が曲がりなりにも鳴った。

「おー、店員さんの言う通りだね——!」

 男は嬉しそうに言ったが、女性店員は怪訝な表情になっていた。

 この時から女性店員は、この男にはずっとこの表情だった。

 

 現在男は楽器も見ずに弾き鳴らす、プロのヴァイオリニストとして名をはせている。


「これこれ。替えることで新鮮な気持ちになるんだよね。——初心忘れべからずってね」


 更に男が他のプロと違うのは、三ヶ月でヴァイオリンを乗り換えることだった。

 

 <了>

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ヴァイオリニストと女性店員 五來 小真 @doug-bobson

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