第8話 黄金の大地の月
ツバルさんのシャツの色が、赤っぽい物から黄色っぽい物に変わった。前に部屋のタンスを見せてもらったことがあるけれど、上流階級のお嬢様のタンスでも、あんなに色とりどりじゃないと思う。あたしは、悩んでいた。この<黄金の大地の月>が、亡くなった旦那との契約が切れる月。春に若旦那と大喧嘩した後、この店をどうするのか?どうしたいのか?みんなに話すのかと思ったら、のらりくらりしていて・・・、全く変わらない。
「はあぁ、お金が欲しいなぁ」
読んでいた本から顔を上げて、なんとなく呟くと昼飯を食べていた店の人達の視線が、突き刺さった。
「セ、セシア・・・」
「女将さん・・・」
『どうしたんですか!』
全員、身を乗り出して、あたしを見つめている。ツェーラ姉さんなんか、あたしのひたいに手をあてている。
「あたしが、お金を欲しがるのって、変?」
「変よ。店からは、ほとんどもらっていないでしょう。薬師としての仕事で稼いだ金は、神殿に寄付している。着ている服は、代々の姉さん達が残していった物を直して着ていて、買うものといったら、本くらいっていうセシアが、お金が欲しいなんて・・・」
今まで、自分の物と思える物をほとんど持ったことがないから、要らなかったっていうだけなんだけど・・・。ツェーラ姉さんに改めて言われると確かに変なヤツだよ、あたしって・・・・・。
「で、お嬢様は何が欲しいのですか?いただいているものを貯めておりますので、多少の物でしたら、買って差し上げられます」
コラレスさんが、鋭い目で見つめている。
「ち、違うよ。あたしじゃなくて、お店に欲しいなぁなんてね。この店も、旦那の両親が建ててからだいぶ経つから、大修理したいなぁなんて・・・・・」
はぁ・・・、下手なごまかし方だったせいで、いくつか鋭い視線が突き刺さっているけれど、店のためにお金が欲しいのは、本当の事。せめて、来年の上納金とみんなのお給料分くらいあるといいのになぁ。そうすれば、心置きなく店を去れるのに・・・。去った後、どうするのかなんて考えていないけれど、出来るなら森の中へ戻りたい。泉に身を沈めて、鳥の声を聞き、風に吹かれたい・・・、それから考えるよ。
農地が刈り入れ時の黄金色に染まり、果物の収穫期に入ると、港町はまた商人が増えてくる。交渉がある程度まとまるまでは、遊ぶ気になれないのか、季節の始まりの頃は、そんなに忙しくない。半ばを過ぎると急に忙しくなる。商売が上手くいった馴染みの商人が、店を丸ごと借りきってくれた。
「女将さんは、客の相手をしないけれど、どうだい、わしと一晩過ごさないか?」
酒器を持っていないあたしの左手を取ると、大きなかさついた手でゆっくりと撫でてきた。旦那が亡くなってから、たまに聞かれるようになった。たいていの娼館では、着飾っている姉さん達以外にも、給仕をしている女の子でも、希望されれば相手をすることがあるくらいだから・・・。しかし、このお馴染みさんも、周りにとびきりの美女が揃っているのに、何であたしなんだ?
「どうだ?お小遣いをあげるよ」
「はあぁ・・・」
お小遣いって、どのくらい貰えるのかなあ・・・なんて考えていたら、お馴染みさんが急に手を離した。
「失礼致します。お嬢様、お出掛けになるお時間です。お客様、申し訳ございません」
「い、いや、いいんだよ。こ、この店の女将として、色々付き合いもあるだろうから・・・」
コラレスさんは、右手を胸にあてて、深々と頭を下げているけれど、お馴染みさんの手が震えているのは、気のせいだろうか・・・。
「ヴァル姉さん、あたし出掛ける時間みたいだから、後のおもてなしをお願いします」
「ああ、分かったよ。気をつけて行って来るんだよ」
ヴァル姉さんは、あたしが座って居たところへ腰を下ろすと、酒器を手に取った。
店の奥に入ると、コラレスさんがあたしの買い物かごを持って、仁王立ちしていた。
「今日、出掛ける予定なんて、あったっけ?」
「あっても、なくても、出掛けますよ」
「じゃあ、薬屋にでも行く?ツバルさん、後はよろしくね」
「ええ、行ってらっしゃい」
裏口から出て、表通りを歩いていると、とまり木に座っている姉さん達が、手を振って見送ってくれた。
「みんな、あたしに甘すぎるよ。店にいる限り、売り物なんだから・・・」
「お嬢様は、お嬢様です。売り物ではありません」
コラレスさんは、あたしの方を見もせずにそう言うと、通りを渡るためにあたしの背中を押した。何だかいつもと町の見え方が違う・・・。そうか、いつも朝早く歩いているんだ。夕暮れ時は忙しくて、ゆっくり出歩くことなんかないもの。
「この下町にも、街灯なんてあるんだね」
籠を持った男の人が、カンテラに油を足し、灯芯に火をつけると、長い棒にぶら下げて、地面からにょきにょき伸びている細い柱の先に器用に引っかけている。港の方は、すでに灯されているみたいで、ぼんやりと明るい。
「二年もここに居るのに、こんなことも知らないなんて、今まで何を見ていたんだろうね・・・」
「お嬢様・・・」
コラレスさんが、心配そうに顔を覗き込んできた。こんなに寂しく感じるのは、あたしの中で、この町を去る決心が出来たということなのかな。
「こんばんは」
「あれ?セシア、珍しいな、こんな時間に来るなんて」
薬屋の中には、梯子に登って、高いところの薬箱を片付けている、ディーしか居なかった。
「今、あんただけなの?」
「ジュスティは、自宅の方で夕飯の支度中。親父は、薬屋の集まりに行っているよ」
「ふ~ん、じゃあいいや」
「お、おい、待てよ。何か用事があったんだろう・・・、イテッ!」
梯子を飛び降りるようにおりてくると、カウンターから身を乗り出して、あたしの腕をつかんだ瞬間、コラレスさんに叩かれて、また痛そうにさすっている。懲りないヤツだねぇ。
「大丈夫かい?」
「セシアが、俺の心配をしてくれるなんて!ウッ!」
懲りずにあたしの手を取ろうとしたけれど、鞘ごととはいえコラレスさんの短刀が、ディーの首にあたっていた。バカだねぇ。
「時間つぶしをしたかっただけなんだ。じゃあ、親父さんとジューによろしくね」
「お、おい、セシア」
「またね」
店の外に出ると、街灯の灯りは、さっきよりもハッキリしていた。
「コラレスさん、ぐるっと回って帰ろうよ。あたし、街灯が点った町が、こんなにきれいだって知らなかった」
「分かりました。ただ、昼間とは全く違いますので、私のそばを離れないように」
「はぁい、言いつけは守ります」
そんな返事をして、利き腕じゃない方の腕をつかむと、かすかに笑ったような気がした。屋台で買ってもらった串焼きをかじりながら歩いていると、コラレスさんが女の子が好きそうな小物を売っている屋台の前で立ち止まり、何かを手に取り、お金を払った。
「これをどうぞ、お嬢様の瞳の色に似ている」
「あ、ありがとう」
首にかけられた細い革ひもに、みどりがかった青い玉がついている。
「宝石エッセンシアの輝きには、程遠いですが、今晩の思い出にはなるでしよう」
「・・・・・ありがとう、コラレスさん。嬉しい大事にするね」
見上げると、コラレスさんが微笑んでいた。あれ?遠い昔、父様も母様も生きていた頃、同じようなことが、あったような・・・。
「さあ、戻りましょう。これ以上遅くなると危険ですから」
差し出された腕につかまって、歩き始めたけれど、あたしは頭の中の霞の向こうに光っているものをつかもうと、必死だった。結局、つかまえる前に、光が消えてしまったけれど・・・。
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