第5話 赤い風の月
あたしは、秋と冬の間の<青い風の月>の生まれだ。だから、守護神は<海の神フェレイラ>ということになる。でも、信仰心なんかとっくの昔にどこかに行ってしまったから、長いこと参拝なんかしていない。
「神殿に来ているんだから、たまには自分の守護神に、参拝してみたらどうだ?」
「昔、散々祈ったけれど、悪くなる一方だったから、祈るのをやめたんだよ。そういうあんただって、真面目に祈っている姿なんか見たことないよ」
「オレが信じている神は、ここにはいないからな」
ニヤッと笑ったのは、襟元がつまった黒い神官服を着た、神官だ。信じている神がいない神殿を守る神官って、どうなのよ。まあ、他の神官は、髪を肩から上の長さで切っているのに、銀色の髪を伸び放題にしている姿からして、普通じゃないからねぇ。本当に神官修行をしたのか、疑ってしまうけれど、首にかけているメダルは終了した証なんだよね。港町の下町どころか番地外にある神殿に配属されるような神官はこんなものか・・・、っていうかコイツじゃなければ、今頃殺されているね。この神殿は、<セルドの店>からまっすぐに北に歩いてくるとたどり着く。下町の人が通う神殿は、市場の近くにあるのだけれど、行ったこともない。ここを見つけたのも、偶然。店の姉さん達に評判の仕立て屋を訪ねてきたら、番地外には不似合いな大きな木々に囲まれた静かな公園を見つけて、プラプラしていたら、この神官と出会った。すぐ側に古ぼけた小さな神殿があったのだけれど、全く気づかなかった。神官の方は、あたしの事を知っていて、「寄付しろ!」ってうるさかったので、渡したのが縁。金を自分の懐に入れそうなヤツだったけれど、神殿に入ると肝っ玉母さんのような大柄な女性の神官のルーネさんに、全部渡していたので、安心して寄付を続けている。ここでは、周辺の貧しい家の子や年寄りに食事を出しているので、いくらお金があっても足りない。
「セシアさん、いらしてたんですね」
「こんにちは、パティちゃん」
黙っていても可愛い顔を、満面の笑顔にした女の子が駆け寄っていた。残念な事に、サラサラの茶色の髪は、肩の上で切り揃えられている。神官の見習いになった証拠だ。まだ、十四歳だっていうのに・・・。
「こんにちは、ルーネさん。少ないけれど、これを渡しておくね」
「いつも、ありがとうよ。セシアは良い子だよ」
ルーネさんは、神官だからというより、ただ人のために働くのが好きなんだと思う。店の旦那が死んだ時、神殿のすみで泣いていたあたしを、ずっと抱きしめていてくれた。
パティちゃんは、ここへ来てもうすぐ一年になる。愛人やら何やら人を買うことが合法な世の中でも、一応十六歳以下、成人前の売買は禁止されている。まあ、あってないような法律だけれど、見つかれば売った側も買った側も、財産没収される。だから裏取引をされることが多いうえ、売り手が身内なことがほとんどなので、表には出にくい。 パティちゃんも親に売られて、客を取らされそうになったところを逃げてきて、神官に匿ってもらった。追いかけてきた奴らと揉めているところへ、ノコノコとあたしとコラレスさんが、訪ねてきた。
「警備隊に通報されたくなかったら、ここいらで退くんだな」
コラレスさんが脅して、あたしが多少の金を渡して、退いてもらった。家に帰しても、また売られるだけだろうし、神殿で手伝いをするようになったんだけど、この間神官になる決心をしてしまった。
「セシアさん、この後は?」
「店の姉さん達に、仕立て屋に寄ってきてくれって頼まれたから、隣に行くよ」
「本当!わたしも一緒に行ってもいい?」
「あたしはいいけれど、ルーネさんはいいのかい?」
「ああ、食事の仕込みはだいたい終わったから、昼休みだよ」
「じゃあ、行こうか」
神殿の外に出ると、砂混じりの暑い風が吹き付けてきた。
「港町では<赤い風の月>に、こんなに風が吹き付けるんですか?」
顔についた砂を払いながら、パティちゃんが尋ねてきた。
「さあ、どうなのかね?あたしも二回目の夏だから、良く分からないよ。コラレスさん、どうなんだい?」
「私も長く港町に居るわけではないので・・・、ただ今年はひどいような・・・」
人の出入りが激しい下町では、十年以上前の話を知っている奴なんか、そんなにいないか・・・。先週よりだいぶマシになったけれど、嫌な風だよ。
神殿の隣といっても、あたしの数少ない友だちの家は、ぐるっと通りを廻らなくてはならない。夫婦で始めた仕立て屋だけれど、数年前に旦那を亡くして、小さな男の子を抱えて、女一人で切り盛りしている。店の姉さん達は、応援の意味と実際腕がいいので、良く利用している。
「こんにちは、アイリスさん。姉さん達が注文した物を取りに来たんだけれど」
この辺りは、治安が良いって訳でもないし、警備を雇えるほどの大きな店もないので、店の扉にカギをかけておく店が多い。反応が無いので、出掛けているみたいだ。
「パティちゃん、留守みたいだから、戻ろうか」
「はい、残念です」
神殿へ戻りかけた時、カチリとカギが開く音がして、アイリスさんが入口に立っていた。いつもキチンとまとめている髪が、ぐちゃぐちゃ・・・。
「どうしたの、アイリスさん!何があったの?」
力なく垂れていた手を取ると、夏なのに冷たい・・・。すでに泣き腫らしている顔に、涙が流れた。
「あのこが、ゼクトがすごい熱で・・・」
店へ入り、カウンターの奥にある狭い階段を上り、扉が開いている部屋へ入ると、アイリスさんの一人息子、十歳になるゼクト君が、真っ赤な顔をして、荒い息を繰り返していた。
「最初は、ただの風邪だと思っていたの・・・。でも、熱が高いし、これを見て!」
上掛けを捲って見せてくれたゼクト君の脚が、大きく赤く丸く腫れ上がっていた。まさか、この街でこれを見るとは思わなかった。どのくらい翔んで来ているのだろうか。
「アイリスさん、ゼクト君は虫に刺されたとか、噛まれたとか言っていなかった?」
「・・・・・・・、言っていたわ。ちょうど先週の今頃よ」
「どんな虫だったか、言っていた?」
「たしか、赤くて、丸っこい珍しい虫だったって」
決まりだ。嫌な風が吹いていると思っていたけれど、繁殖を始めるほど、渡って来ていたとは・・・。
「アイリスさん、大丈夫。もう少し熱は続くと思うけれど、ゼクト君くらい元気な男の子なら、耐えられるよ。ただ、水分をこまめに与えて、汗をたくさんかかせて。後で、薬草を届けさせるから、煮出した物を薄めて飲ませるように。それと、赤い虫は見つけたら、すぐに殺して」
一階に下りると、パティちゃんの代わりに神官が待っていた。コラレスさんが、パティちゃんを送ってくれて、代わりに連れてきたんだな。
「原因は分かったのか?」
「うん、赤い虫が原因だよ」
「赤い丸っこい虫の事か?あれなら、毎年翔んでくるが、悪さをしたことなんかないぞ」
「元々、海を越えた砂漠の虫だから、そんなに翔んで来ないのよ。その上、湿気に弱いから夏場は霧が多い港町では増えないのだけれど、今年は乾燥していて、強い風が何日も続けて吹いたでしょう。きっとかなりの数が翔んで来たんだよ。赤い虫は、数匹だけなら問題はないのだけれど、ある程度の数が集まると卵を産もうとして、体力をつけるために、人や動物の血を吸うの。そうすると噛まれたところが赤く腫れ上がって、高熱が続く。毒で死ぬということはないけれど、痛みと熱が続くから、体力がない子供やお年寄り、元々病気の人は、負けてしまうかもしれない」
あたしは、カウンターにあった紙をもらって、薬屋さんへ手紙を書いた。
「これをカイユさんに届けて。在庫があるといいんだけれど・・・」
コラレスさんは、手紙を受け取ると店を出ていった。
「さてと・・・、これからどうすればいいんだ?」
「とにかく、赤い虫を見つけたら、すぐにこ殺すこと。水に弱いから、水が流せる所は流して、床を掃除するといいかも。あるいは、家で一番の大鍋に水を入れて、湯気で家の中をいっぱいにするとか・・・。噛まれたところが、真っ赤に腫れ上がるから、風邪との区別はすぐにつくはず。無理に熱を下げるより、水分をたくさん取らせて、汗をたくさん出すようにした方が楽になると思う」
「神殿に来ている子供達にも、同じ症状が出ているそうだ。これからも増えるぞ。俺は顔役に伝えてくる」
「お願いします・・・」
神官が出ていく音を聞きながら、あたしは神ではなく、あの人に祈った。
「どうか、薬草が手に入りますように」
神官の予言通り、子供を中心に病人が増えた。顔役から通達が出て、申し出てくる者が増えたせいだ。番地外と下町に多いのは、どうしても清潔とは言えない環境と路地や空き地など、赤い虫が吹きだまりやすい場所で遊ぶことが多いから。薬屋のカイユさんは、あの人の友人なので、さすがに知っていたけれど、実際に経験するのは初めてで、次々と持ち込まれる相談に、どう対応すればよいのか、悩んでいたそうだ。恐れていた通り、薬草の在庫は少なく、とても皆に十分渡せるほどはなかった。他の店からもかき集めたけれど、ありったけの量を薄めて配るのが、やっとだった。
「セシア、薬草がどこに生えているか、知っているか?」
「知っているけれど、往復で十日以上かかるし、結構山の中だよ。慣れていない人には、分かりにくいし」
神官はしばらく考えていると、出かけて行った。
「セシア、あんたは一度帰りな。この辺りの子供達は、手当てが早かったから、みんな回復し始めている。ほら、お迎えが来たよ」
ルーネさんが指す方を見ると、コラレスさんとツバルさんが、立っていた。
店へ帰るとそこら中が濡れていて、大掃除をした後だった。
「みんな、ごめんね。留守にしてしまって。赤い虫に噛まれた人はいないね?」
「ああ、大丈夫だよ。元々セシアのおかげで、マメに洗濯や掃除をしているからね。近所の店にも伝えて、この通りはみんなで掃除をしたよ」
ヴァル姉さんが、大きな胸に抱き寄せてくれた。
「セシアはとりあえず、風呂だね。ちょっとひどい臭いだよ」
「ご、ごめん。ヴァル姉さんに移らなかった?」
「いいから、早く汚れを落としてきな」
お尻を叩かれて、二階に上がり、落ち着いて自分の姿を見ると、確かにひどい状態。くせっけの髪はペッタリ張り付いているし、服は薬草の染みだらけ・・・、とにかく臭いがひどい。風呂にお湯をはり、薬草を詰めた布袋を浮かべた。香りが良くて、さっぱりするものを入れている。頭から何度もお湯をかぶり、身体を湯の中に沈めた。あの人と、薬師だったヨハス・ロート、ヨハスおじさんと旅した一年と少しの間に経験した事が、こんなにもあたしを助けてくれる。やっと出会った大切な人達を助けてくれる。生きることも、死ぬことも、どうでも良かったあたしを導いてくれる。
十五歳の春だった。今、思い返しているから分かるだけで、あの時は自分がいくつだとか、季節が何だとかどうでも良かった。ただ、もうこの世から消えてしまいたかった。フォラティーレ王国の王都に近い、その辺りの中心地だった町の人市場にあたしは居た。そこは、ある程度の規模の大きな町ならば、必ずあるところで、男も女も年寄りも子供も売られていた。あたしは十五歳だったけれど、見かけは成人していたから、奥で取り引きされることもなく、売場に並んでいた。人目を引く容姿の持ち主は、すぐに風呂へ入れられ、小綺麗な格好をさせられて、店先へ並べられていたけれど、普通の容姿で小さな袋を握りしめて、ひと言も口をきかないあたしは、放っておかれた。買い取った方も、だだで手に入れたわけではないから、病気になったり、死なれたりしたら大損なので、なんとか飲み食いをさせようと、なだめたり、怒ったり、何度か殴ってきたけれど、あたしは目を閉じて、ただひたすら消えてしまいたいと思っていた。頭がぼんやりしてきて、身体を支えることも出来ずに壁に寄りかかっていた。そんなあたしの前に、立ち止まる人がいた。最初の頃は、一応若い女なので話しかけてくる男もいたけれど、誰も寄り付かなくなっていたので、かすむ目でぼんやりとその人の足を見ていると、森の香りがして、大きな手が頭の上に置かれた。ゆっくりと顔をあげると、四十代くらいの男の人が目を細めて微笑み、あたしを見つめていた。
「君にしよう」
その人から懐かしい森の香りがしたせいなのか、頭の上にのった大きな手が暖かかったせいなのか、あたしは素直に差し出された腕になんとかすがって立ち上がった。売れるとは思っていなかった店の男達が驚いた顔のまま、料金を告げて、金を受け取っていた。
「さて、君に必要なのは、食事と寝床と風呂だな」
宿にでも行くのかと思ったら、荷馬車で郊外へ向かう農家のおじさんを呼び止めた。あたしの事を上から下まで、嫌そうに眺めながらも乗せてくれて、森の近くで下ろしてくれた。数日間飲まず食わずだったあたしは、ここにくるだけで疲れきっていたけれど、小川の水音と風が運んでくる森の香りに元気をもらって、新しいご主人様の後について、森へ足を踏み入れた。この森を良くしっているみたいで、迷うことなく奥へ進むと立ち止まった。
「さあ、ここがとりあえず今晩の宿だ」
背中に背負っていた四角い箱を下ろし、ふたを開けて、少し赤い干からびた物を差し出していた。
「これを口に含んで、水をゆっくり飲みなさい。いいかいゆっくりとだよ。それをお腹に入れたら、あの奥に小さな泉があるから、この布袋でこすって、汚れを落としなさい。着ている服は、泉につけておくといい。今日は、私のシャツで我慢しておくれ」
ずっと心を閉ざしてきたので、一度にたくさん命じられて、訳が分からなくなって、ポカンとしていると口の中に干からびた物が突っ込まれて、手に水筒を持たされていた。
「甘いけど・・・、かたい・・・」
「良かった、口をきけるんだね。全く話さないから、話せないのかと思ったよ。どうやって気持ちを伝え合えばいいのか、考えていたところだった。それは、ビアーノの実を干したものだよ。かたいから、口に水を含んでゆっくりと柔らかくして食べなさい」
水筒の水を口に含むあたしを見て、満足げに頷くと、小さなバケツを持って、泉があると教えてくれた方へ歩いて行った。あたしに逃げる気力も体力もないけれど、買ったばかりの人間を一人で置いて行くなんて、あの人何を考えているんだ?二口目の水を口に含んで、モグモグしているとようやく柔らかくなってきた。身体を洗うようにと置いていった布袋を手に取り、口元にあてて息を吸うと新しいご主人様から漂っていた香りと同じものがした。ようやく飲み込めるくらい柔らかくなった口の中のものを、水筒の水で流し込んだ。
「水って、こんなに美味しかったんだ」
あたしは、布袋を握りしめたまま、眠りに落ちた。
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