異世界へ来ちゃいました


『スキル【異世界言語翻訳トランスレイト】を獲得しました』


 突然、そんな声が聴こえてきて、レイカは咄嗟に辺りを見回した。


(えっ、何、今の?)


 抑揚に乏しくて、どこか機械的な印象がする女性の声だった。

 薄暗い室内を見回しても、自分の他に人の姿なんて見当たらない。

 声はレイカのすぐ耳もと、いや、頭の中で鳴り響いたような気もしたけど……。


「どうかしたのか?」


 いつの間にかアイクもこちらへ来ており、レイカのすぐ背後に立っていた。


「い、今、ヘンな声が」

「声?」

「スキルがどうのって……」

「もしかして、【異世界言語翻訳トランスレイト】か?」

「うん、それ」

「俺と同じだな」

「えっ?」

「どうやら、必ず与えられるスキルらしい。異世界へ転移した者に」

「い、異世界ぃ?」


 そ、それって、アニメとかでよくある……。


 レイカは、ぐるりと辺りを見回す。ただの荒れ果てた狭い廃屋である。

 ここが「異世界」とか言われても、全然、実感なんて持てないけれど。


「足下に、気をつけろよ」


 アイクはレイカにそう注意を促してから、扉のある方へと歩いて行く。


 床は腐っているのか、所々に穴が空いており、細かな硝子らしき破片も散らばっている。

 アイクから忠告された通り、レイカはそれらを避けつつ扉の所までやってくる。


 外へ出ると、辺りは木々に囲まれていた。

 高く垂直に幹が伸びた樹木が、鬱蒼と生い茂っており、弱い木漏れ日が差し込んでいる。


「俺は町へ戻るが、お前はどうする?」


 アイクに問われて、レイカは即答する。


「ついて行く。私もッ!」


 こんな所に、一人きり置いて行かれても困る。取り残されるのは、もうイヤだし。


 小屋の前から、木々の間を小径が続いている。そこを歩き出すアイクを、レイカは追い掛けた。


 すでに、日はだいぶ傾いている。

 歩きながら、ふと空を見上げたレイカは思わず目を見張った。


(……つ、月が、二つあるんですけどッ!)


 錯覚かと思って、指で目を擦ってみた。

 けど、枝葉の隙間から覗く夕闇色の空には、やっぱり二つの球体が浮かんでいる。

 一つは青みがかっており、もう一方はそれよりひと回り程度小さくてやや赤かった。


(ほ、本当に異世界に来ちゃったみたい)


 すぐ手前を黙って歩くアイクの背中に、レイカは問い掛ける。


「ねえ、また戻れるの?」

「ん?」

「もとの世界へ」

「ああ。さっきまでいたあの場所へならば、いつでも転移ができる」


 それを聞いて、ひとまずレイカは安堵する。


「ていうか、どうするつもり?」

「ん?」

「あのペットボトル」

「ペットボトル?」

「アイクが持ってこようとしていたあの瓶だよ」

「あれは、こちらへ持ってくれば、きっと……」

「きっと?」

「売れる」

「ただのゴミでしかないアレが?」

「ああ」


 アイクは確信を込めた様に言う。

 レイカには、俄に信じがたい話だった。


 一時間近く歩いて、小径の先にようやく木々の途切れ目が見えてきた。森の出口らしい。

 アイクは平然とした様子だ。けど、普段、歩き慣れていないレイカはもはやヘトヘト。


 すっかり日も暮れかけている。

 森の外は、だだっ広い草原が広がっていた。森から続く道の先には町の灯が見える。

 それなりに大きな町の様だ。といっても、東京や大阪のような規模ではなく、日本でいえば地方の大きな街という程度である。


(久しぶりに見る、街の灯……)


 あそこで、たくさんの人々が暮らしている。

 それを思うと、レイカはどこか温かな安心感に包まれた。


 町は、周囲をぐるりと壁が囲んでいる。

 頑強そうな石造りで、見上げる程の高さだ。

 壁の一角に、アーチ型の大きな門が設置されている。その手前に、鎧を身に着けて槍を携えた厳つい見た目の男が二人立っていた。


 門の中は、短いトンネルの様で薄暗い。

 ぼんやりと柔く白い光を放つ球体が、レイカの目を引いた。西瓜くらいの大きさのそれは、腰の高さ程の台座に置かれている。


 兵士らが睨みをきかせる前で、市民と思われる若い男性が、その球体に自らの掌を置く。


「あれは何をしているの?」

「一言でいえば、町に入るのに相応しくない者をあぶりだしている」

「相応しくない人って?」

「例えば、前科もちだ」

「ぜ、前科」

「安心しろ。この世界においての前科さえなければ、問題はない」

「て、いうか、あっちの世界でもないから」


 男性は、町へ入る事が許可されたようだ。

 次は、レイカの番である。

 白く輝くその球体に手を触れて、変化がなければオーケーらしい。

 やましい事が無くても、鎧姿の人がそばにいると緊張する。おまわりさんから、職質をされている気分だ。そんな経験もないけど。


 恐る恐る、レイカは球の上に右掌を置いた。

 球体は白いまま。ホッと息をつく。

 門を潜り抜けようと歩き出すと、兵の一人から予想外の言葉をかけられる。


「通行税として、銀貨一枚納めてもらう」

「へっ?」


 レイカは頓狂な声を発してしまう。


 お、お金がいるなんて、聞いてないんですけど。


 もちろんレイカは、この世界のお金なんて一円も持っていない。焦っていると、アイクが黙って銀貨を一枚、置かれている壺に投入してくれた。

 本人は、小さなカードの様なものを提示して門を奥へ進んでいく。

 彼の後を追いつつ、レイカは言う。


「あ、ありがと」

「気にするな。銀貨一枚くらい、きっと簡単に取り戻せる」


 アイクはそう言って、笑みを浮かべてみせた。

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