第5話「最初の成功と、最初の敵」
「おすそ分け会」から、数日が経った。
コーダ村の空気は、以前とは比べ物にならないほど和やかなものに変わっていた。
「わっしょーい!」
「こら、あまりゴルズ殿を困らせるでないぞ!」
村の広場では、ゴルズ隊長が子供を肩車してやっている。
強面の隊長は、照れ臭そうにしながらも、その表情はどこか嬉しそうだ。
近くの井戸端では、村の女たちがオークの兵士に
「これ、余ったから持っていきな」と
野菜を差し入れている光景もあった。
「いやあ、大成功じゃないですか、カミヤ様!」
「まあ、第一段階としては上出来だろ」
少し離れた木陰からその光景を眺めながら、隣に立つリリィが自分のことのように喜んでいる。
俺も、口では皮肉を言いつつ、まんざらでもない気分だった。
押し付けられただけの仕事だったが、自分の仕事が目に見える形で誰かの笑顔に繋がるのは、素直に嬉しい。
ブラック企業にいた頃は、こんな感情、とうの昔に忘れていた。
その穏やかな空気を破ったのは、一台の馬車だった。
村の入り口からやってきたその馬車は、王都から来た行商人らしく、広場に着くと荷台から様々な商品を並べ始めた。
村人たちが物珍しそうに集まっていく。
ごくありふれた日常の風景。だが、俺は見逃さなかった。
行商人が商品の片隅で、携えてきた一枚の掲示物を広場の掲示板に貼り出したのを。
「リリィ、ちょっと見てくるぞ」
「はいっ!」
俺たちが人だかりをかき分けて掲示板の前にたどり着いた時、そこに貼られていたものを見て、俺は息を呑んだ。
これまでの古ぼけた手配書とは、何もかもが違っていた。
上質な紙に、色鮮やかなインク。
それは、もはや「掲示物」というより「芸術品」と呼ぶべきクオリティだった。
そこに描かれていたのは、一人の少女。
神々しい光を背に、民衆に慈愛に満ちた微笑みを向ける、金髪碧眼の王女。
俺が以前、例のプロパガンダポスターの隅に描かれているのを見た、エレナ王女その人だった。
そして、その肖像画の横には、美しくも計算され尽くした書体で、こう綴られていた。
『魔族の甘言にご注意を。真の平和は、聖なる王女と共に』
「うわあ…きれいな絵ですねえ」
「エレナ様だわ…」
村人たちが、そのポスターに魅入られたように呟く。
リリィでさえ、その美しさに我を失っている。
だが、俺の背筋には冷たい汗が流れていた。
美しい?違う。これは、広告だ。
王女の背景に描かれた光輪は、彼女を神格化するための視覚効果。
微笑みの角度は、最も民衆の庇護欲を掻き立てるよう計算されている。
そして、このキャッチコピー。
俺たちが行った「おすそ分け会」を、巧みに「甘言」という言葉で貶め、王女こそが「真の平和」の象徴であると刷り込む、完璧なカウンタープロパガンダだ。
「くそっ…いい仕事しやがる」
俺が思わず呟いた、その時だった。
「ほら、太郎!いつまで魔族なんかに構ってもらってるの!」
さっきまでゴルズ隊長に肩車をしてもらっていた子供が、母親に腕を引かれ、無理やり引き離される。
その母親の目は、明らかにゴルズ隊長を警戒していた。
その光景が、まるで狼煙だったかのように、村の空気が一変した。
兵士たちに野菜を渡していた女たちは、そそくさとその場を離れ、子供たちは親に手を引かれて家路につく。
さっきまでの和やかな雰囲気が嘘のように消え去り、広場には再び、人間と魔族の間の見えない壁がそびえ立っていた。
リリィが、目の前の光景が信じられないといった顔で立ち尽くしている。
だが俺は、ただ静かに、エレナ王女の肖像画を睨みつけていた。
なるほどな。
村人との小さな触れ合いに、少し浮かれていたらしい。
これが本当の戦争か。
銃でも剣でもなく、たった一枚の紙とインクで、人の心を支配する。
「……面白い。やってやろうじゃないか」
俺の異世界広報ライフは、どうやら本当の開幕を迎えたらしい。
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