異世界転生したら魔王軍の広報担当でした ― ブラック企業からの逆転人生 ―

tabibito

【プロローグ】虚構(ウソ)を売る仕事

「その一滴が、あなたの日常を聖域に変える」


……笑わせる。俺の口から出てる時点で、ただの水にウソを振りかけただけだ。


深夜二時。誰もいないオフィスに、俺――神谷悠斗(三十歳)の虚しい声が響いた。

目の前のモニターには、ミネラルウォーターの新商品プレゼン資料。キャッチコピーは、もちろん俺が考えたものだ。


聖域、ね。冗談じゃない。ただのペットボトルに神話を上乗せして高値で売る。それが俺の仕事。


ピリリリリ!


静寂を切り裂くように、デスクの内線が鳴る。発信者は斎藤部長。この時間にかけてくる時点で、ろくな話じゃない。


「はい、神谷です」


『お、まだいたか。例の件、クライアントから修正依頼だ。キャッチコピー、もっとこう……キラキラした感じにしてくれってよ。聖域とか意味わかんねーってさ』


キラキラ。はい出ました、伝家の宝刀・擬音指示。

俺は虚空を睨みながら、声だけは愛想笑いを貼りつける。


「承知しました。具体的には、どのような――」


『あ?だからキラキラだよ。パァーっと明るい感じ。プロなんだから、わかるだろ。じゃ、朝までに頼む』


ガチャン。


受話器の向こうで、六本木のネオンに消えていく部長の姿が目に浮かぶ。

プロ、ね。もし“意味不明な擬音を翻訳する職人”がプロの定義なら、俺は世界最高峰だ。


椅子に深くもたれ、天井を仰ぐ。蛍光灯がチカチカと明滅している。まるで、俺の寿命が削れていく音。

広告代理店に入って八年。いつからだろう、言葉を紡ぐ仕事が、ただの虚構(ウソ)を売る作業に変わったのは。


クライアントをヨイショして、部長の顔色を伺って、消費者の射幸心を煽る。

――俺の言葉は、誰のためにもなっていない。


「ああ……もう、全部どうでもいいや」


呟きは、誰に聞かれることもなくオフィスに溶けた。

俺はPCを閉じ、会社を飛び出す。人気のない夜道。冷たいアスファルトを踏みしめる足音が、やけに大きく響く。


もう疲れた。部長の顔も、クライアントの顔も、何も見たくない。


ふらつく足で横断歩道に踏み出した、その瞬間。


――強烈な光。


大型トラックのヘッドライト。

キィィィ! 甲高いブレーキ音。


身体が固まる。

ああ、これが俺の結末か。


まあ、悪くない。ブラック企業から強制ログアウトできるなら、それも救いだ。


目を閉じた俺の耳に、最後に届いたのは――意外にも、女の声だった。


――その“虚構(ウソ)”を売る才能、実に惜しい。


心臓が一瞬、跳ねた。虚構?ウソを売る?それは俺がさっきまで吐き捨てていた言葉じゃないか。


次に目を開けたとき、そこにあったのは見慣れたアスファルトではなかった。


薄暗い石造りの広間。燃え盛る燭台。

禍々しくも荘厳な玉座に、一人の女が座っていた。


銀色の長い髪が炎に照らされてきらめく。紅い瞳は宝石のように俺を射抜く。黒と赤を基調としたドレスに包まれたその姿は、美しくも冷たい威圧感をまとっていた。


「……は?」


夢か?臨死体験か?混乱する俺を、女は冷ややかに見下ろした。


「目が覚めたか、異世界人よ」


「いせかい……じん?」


「そうだ。我が名はルシア。この魔王領を統べる者」


魔王。なるほど、いよいよ幻覚もハイレベルになってきた。

乾いた笑いが漏れる。


「魔王様、ですか。それはご丁寧にどうも。で、俺みたいな社畜に何かご用で?」


「社畜……よくわからぬが、貴様のその舌に用がある」


ルシアと名乗る女王はスッと立ち上がり、芸術品のような立ち姿を見せた。


「死ぬ間際、こう思っただろう――『言葉を紡ぐ仕事が虚構を売る作業に変わった』と」


「……!」


なぜ、それを。背筋が凍る。


「だが、虚構を売るというのは、石ころを宝石に変える力だ。使い方次第で、世界すら動かす」


ルシアはゆっくりと歩み寄り、俺の目の前で立ち止まった。

紅い瞳が魂の奥まで見透かすように輝く。


「我が魔王軍は、力はあれど世間に誤解されすぎている。恐怖の象徴と思われている。そこで――」


彼女は妖艶に微笑み、宣告した。


「貴様を召喚した。仕事はただ一つ。我が魔王軍の《広報》だ」


「……広報?」


「そうだ。貴様の舌先三寸で、世界の認識を覆してみせよ、神谷悠斗」


こうして俺の、魔王軍広報担当としてのセカンドキャリアは――最悪にして最高にネタまみれの形で幕を開けた。

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