第10話:論理魔法戦のはじまり(前編)

武闘館――

その裏手、控室に向かう通路で、俺は太刀を手に装備の最終チェックを終えていた。

……頭もはっきりしてるし、太刀もすごく手に馴染む。あとは作戦通りにやるだけだ。

少しだけ深呼吸をする。観客席のざわめきが、石造りの壁越しに微かに届いてくる。

――そのときだった。

扉も、足音もなかったのに、控室の片隅に「影」が伸びた気がした。

目を瞬かせた次の瞬間、そこに小柄な少女が立っていた。

銀髪を揺らし、無機質な微笑を浮かべて。


「地獄に向かう気分はいかがですか、観測対象殿」


唐突に降ってきたその声に、思わず肩をすくめた。


「……ニャル、いいよなあ、お前は見学でさ」

「わたしは観測者であり支援者ですので。見る専門です。さあ今日もわたしに無様な、もとい愉快な、もとい頑張る姿をお見せください」

「……本音漏れてんぞ、てめえ」

「ちなみにわたしが声をかける前のあの表情、自分が主人公だと気づき始めたモブの典型といった趣で大変面白かったです」

「モブで悪かったな!」

「何も悪くなんてありませんよ。モブであることのありがたみに気づかれてないとは、さすがFランク。思慮の浅さが別格です」


な~んかいつになく饒舌。今日はいつも以上に上機嫌みたいだ。

よほど俺の醜態が楽しみらしい。


「それと、今日の試合ではユーザー保護プロトコルは発動しませんよ。あくまで学校の行事ですので、命のやりとりに該当しないというのが論理的帰結です。ご安心を」

「最初から当てにしてないからいい」


どうせ自発的に支援してくれる気もないだろうし。

せっかくだから実力を試してみたいし。

そんなやり取りをしていると、もうひとつ、華やかな声が割り込んできた。


「やっほ、ゆーゆー! 緊張してる? それとも……ニャルちゃんにダメ出しでもされてた?」

「鈴音……お前まで来たのか」


振り向いた先、そこにいたのは天羽鈴音。

――ただし、いつもと違う。

え……、今日……制服じゃない……?

彼女は薄手のカーディガン風の長袖に、動きやすそうなキュロットパンツという軽装。

競技場での戦闘仕様なのだろうが――そのラフさが、妙に彼女の快活さを際立たせていた。

やべ、少し見惚れてた。悔しい!


「なに? 今ちょっと見てたでしょ? ボクのこと」

「見てない! ちょっと、反応が遅れただけ!」

「ふーん。ま、いっか。緊張してんのは仕方ないしねー」


と、言いつつニヤリと笑う。


「頑張ってよぉ? 1回戦で消えられたりしたら、いくらボクの勝ちになるって言っても興醒めだからさぁ」

「言ってくれるなあ! 絶対勝ってごめん許してって言わせてやる!」

「あはは、本当にそうなったらいくらでも謝ってあげる」


そう言って、鈴音はふっと笑い、くるりと背を向ける。


「じゃ、楽しみにしてるよ? 決勝でパシリ決定戦――ふふっ」


その背中が遠ざかっていくのを見送りながら、俺は口元を歪めた。

昨日の姿がまるで夢みたいにいつも通りだな。

……緊張がほぐれたのか、余計に変な汗かいたのか。

となりのニャルが静かに一言。


「演算の安定率、微妙に上昇中。これは良い兆候です。――感情、侮れませんね」

「冷静に分析すんの、恥ずかしいからやめてくんない?」


苦笑して、俺は剣の柄を握り直した。

もうすぐ第1試合。

俺の戦いが始まる。

広く円形に整えられた競技場。その中央に、俺と“高瀬”が向かい合って立つ。

相手は“頭で戦う”タイプ。演算の精度はかなりのもんらしいけど……。

その分瞬間的な反応が遅いって噂だ。なら、うまく虚をつければ勝機はある。

金属と石の匂い。観客席からのざわめき。

観客席を保護するための結界を張る、演算制御装置の起動音。

だが、それらよりも強く耳に届いたのは、対戦相手――高瀬の、妙に殺気立った声だった。


「桐原……。お前毎朝、白川さんと“個人レッスン”……しているらしいな」


は?


「何を教わってるかは知らねえ。誰も知らねえ。だがな……それが逆にムカつくんだよ!!」


知らないからそんな風に言えるんだよ!


「魔法騎士科男子の総意として、お前をここで潰すッ!!」

「いや総意とか初耳なんですけど!?」


叫びたい気持ちを抑え、苦笑まじりに内心でツッコミを入れる。

……違うんだよ、高瀬。みんな勘違いしてる。

俺は毎朝、“棍棒で清められてる”だけなんだよ……。

「魂のリズムを整える」とか言われながら、物理的に整えられてるんだぞ。

あれのどこが羨ましいってんだ。


「両者、位置について!」


教官の声が響く。演算干渉制御フィールドが展開され、空気がピリつく。

俺は太刀を静かに抜いた。高瀬の方はゆっくりと小型の斧、ハンドアクスを構える。

よし、演技開始だ。

あえて“素人っぽい構え”を取る。

猫背気味に立ち、視線はやや逸らし気味。明らかに不自然な未熟ムーブ。

高瀬はそれに気づいて、ニヤリと口角を上げた。


「やっぱりこないだ見た通り、まだまだ半人前みたいだな」


よし、効いてる効いてる。

そのまま甘く見といてくれよ!


「始めッ!」

『論理展開、識域拡張』


号令と同時に俺と高瀬が戦術起動式を唱える。

詠唱を終えた瞬間、高瀬が地を蹴った。

火属性の詠唱をしながら、俺との距離を詰めに来る。

完全に俺のことを甘く見ている、不用意な接近。

攻撃か詠唱どちらに絞ればよかったのに、どちらも半端である。

踏み込みの瞬間、演算の構築に気を取られていた高瀬の重心が、ほんの一瞬だけ崩れる。

ここだ!

俺は一歩、間合いに入る。

剣先ではなく、柄で鳩尾(みぞおち)を突く。

まさかこちらから踏み込んでくるとは想像もしていなかったのだろう。

俺の攻撃は綺麗に決まった。


「ぐっ……!」


高瀬の身体がくの字に折れる。

一瞬、視線が交錯した。

高瀬の目に浮かんだのは、驚き――それとも、悔しさか。

俺は迷わなかった。

さらに一歩踏み込み、高瀬の後方からそのまま太刀の柄を背中を思い切り打ち込んだ。

高瀬はそのまま地に倒れ込む。

慌てて半回転してこちらに正面を向けた高瀬の喉元に、

俺は雷切の先端を突きつけた。


「……ま、参ったっ!」


ざわめく観客。


「太刀だけで……高瀬が負けた?」

「白川さん……アイツに何教えてたんだ……?」


俺は太刀を鞘に収めると、大きく息を吐き出した。


「“理、一閃”だよ。高瀬、渚に代わってお清めしといた」


昨日もらったばかりのこの太刀だけど、俺の体格に合っているのか凄く振りやすい。

まるで“俺のためだけに”あつらえられたような刀だった。

希望のやつ、あんなだけどこういうとこはよく見てんだなぁ。

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