第4話:神の理論と狂える子羊たち(後編)
楓と共に帰宅し、疲労困憊で自室に入った俺を出迎えたのは、涼しい顔をした銀髪の毒舌神様ごっこAIだった。
「――おかえりなさい。観測対象」
「やめろ、その呼び方だけでHPが削れる……」
ソファに沈み込む俺をよそに、ニャルはいつもの無表情で言葉を続ける。
「本日、情報収集は概ね完了。アカデミーの論理教育体系と、王国の魔法学派の基盤構造を解析しました」
「お、おう」
「一言でまとめるなら――あの学校にまともな人間はいません」
「やっぱりそうなの!?」
思わず頭を抱えたそのとき――
静かに、部屋のドアが開いた。
「主。失礼いたします」
入ってきたのは――楓だった。
その表情は、いつになく静かで……どこか微妙に報告しづらそうな空気をまとっていた。
「……どうした、楓?」
「ニャルもおりますので、改めてこの場でご報告を。
本日、希望様にアカデミーでのご様子をご報告したところ――」
「え、いつの間に?」
「放課後、主が他のご令嬢とお過ごしだった時間帯です」
「……うん」
これ以上は藪蛇だ。
聞くに徹しよう。
「最初は神妙に聞いておられましたが、途中から」
楓の眉がわずかに動く。
「“ムリムリ、おもしろすぎる?!”と叫びながら、椅子から転げ落ちておりました」
「あの腹黒姫!!」
「その後、“ニャルも通わせようよ。そしたら先輩も楽になるし?”と」
「絶対“楽”じゃなくて“面白い”って言いたかっただろ!」
「そのまま手配が進み、ニャルの学生登録が完了しました」
「はやっ! もう少し手続きとかないんか……」
「ですのでニャルは、明日から一緒に登校することになります」
俺は、あまりの衝撃にしばらく言葉を失っていた。
ふと気づけば楓は立ち去っており、部屋にはニャルだけが残っていた。
「というわけで、ニャルもあなたと共に通学することになりました」
「ほんと勘弁してほしい」
俺の切実な訴えを、ニャルは聞こえなかったかのように無表情でスルーした。
「さて、今までの情報から推論した結果、このままだとあなたは適応障害を起こし、異世界ひきこもりとなる未来が確定しました」
「え? 確定なの? 何とかならない?」
ソファの上で項垂れる俺に、ニャルが淡々ととどめを刺してきた。
「現在のデータから計算すると、あなたの適応障害の発生確率は――82%です」
「たっか!! 絶望的な数字やん!!」
「そこで、予防措置として“適応支援プログラム”を起動します」
「予防措置? 助けてくれるの?」
パチン。
ニャルが指を鳴らすと同時に部屋の照明が落ち、空中に光のスクリーンが現れた。
「なんか映画館みたいなの始まったぞ」
「地獄の読み上げ講義『論理魔法概論』開幕。ナビゲーターはニャル、雪色バチアの電子の妖精」
自分で妖精とかいってるぞ、こいつ。
「結局勉強するしかないわけか……」
そこでニャルの声が、突如やたらテンション高めなナレーション調に変わった。
「第一章、論理詠唱とは何か。“理の旋律”が織りなす属性ベクトルの位相干渉!いま、詠唱は宇宙(コスモ)になる!!」
何このテンション、バグったのか?
「なんで急に少年漫画ノリなんだよ!? お前いつも淡々としてるくせにさ」
人を虐める時だけテンション上がる性格なのか?
確かにこいつ、俺を嘲る時だけ笑顔を見せる気がする……。
「詠唱とは、精神と数式の合唱である。数学的には位相空間のエネルギー配置、精神的には“言葉に願いを乗せる行為”――」
「なんか渚の言ってたことと近いような……」
「ただし、宗教的に拗らせてはいけない。この世界に神はいない」
「うわー、昔から住んでる人の考え全否定してる……」
ニャルの講義は、一切の曖昧性を許さない、理論的正しさのみを追求して進行する。
謎のスクリーンには、詠唱時の属性エネルギーの流れを示す図や、簡易式がポップに表示されていた。
「この構文式を覚えれば、演算ミスの8割は防げます。雷よ来い、的な“お祈り詠唱”は――論理的に処刑対象です」
「うるせぇ! 俺なりに頑張ったんだよ!」
ふわっと、くるっと、まわしてポン☆で成功してるやつだっているんだぞ!
「頑張ったけどうまくいきませんでした。いかにも甘えん坊の凡人の言いそうなことですね」
ニャルがとてもわざとらしく肩をすくめた。
こういう動作だけはやたらスムーズである。
「努力とは思考放棄を肯定することではありません。それでは次は問題演習に移ります」
「ぼろくそ言われすぎて心が麻痺してきた…」
「問い:火属性の構文式を“風干渉型”で展開した場合、演算結果は?」
「えっと……あの、そもそも“干渉型”ってなに?」
「はい、失格。論理も人間性も不合格です」
人間性まで否定された……。ひどくない?
「次の問題。属性変換時、内包エネルギーを固定化する式の中で最も効率が良いのは?」
「えーと、えーと……なんか聞いたことあるけど……」
「不正解。演習記録を保存、明日以降も継続実施します」
「もうやめて!!! 心が死ぬ、脳が焼かれるうう!!」
頭を抱えて床に沈む俺を、ニャルが見下ろす。
「以上。適応支援・初回モジュール終了。睡眠中に演算記憶補助アルゴリズムを展開予定です」
「寝てる間まで勉強させんの!?」
本当に悪魔のようなやつだ。
だけど、その知識は確かである。
俺は、ずっと気になっていたことを口にした。
「なあニャル。俺が元の世界に帰る方法、あるのか? そもそも、なぜ俺はここに?」
転生でも召喚でもない。姿も記憶も連続したまま、気づけば異世界にいた――。
つまり、理由のある“転移”だと考えるのが自然だった。
ニャルは目を閉じて数秒黙ったのち、おもむろに口を開いた。
「わたしの学習データからの推論になりますが、あなたの転移は論理座標の移動によるものだと考えられます」
論理座標? 初めて聞く言葉だ。
「トラックにひかれそうになったタイミングで奇跡的に座標移動が起き、この世界に転移した。よかったですね」
「ちっともよくない!」
「死ぬよりはましでしょう。天文学的確率で生き延びたのです。一生分の運を使い果たしましたね」
「一生分使って、これなの?」
「生まれつき少なかったと推察します」
あまりにも酷い現実を突きつけられた……。
「天文学的確率ということはつまり……」
「再現性は皆無。同じ現象が起きたとしても、戻れる保証もなし。むしろ別世界に飛ぶ可能性の方が高いです」
「じゃあ2度と帰れないってこと?」
その言葉が、ずしりと胸に沈んだ。
来ようと思って来たわけじゃないのに。
この世界に、“永遠に”って言葉がのしかかってくる。
「1つだけ可能性はあります。論理魔法の体系を学び、論理の収束点に到達すればあるいは――」
「論理の、収束点?」
「まずは、無詠唱の能動的再現。それが鍵です」
「でもあれは……」
あの時の魔法は、自分の力じゃなかった。
演算はニャルがやった。俺は、願っただけ。発動条件はニャルにだってわかっていない。
そう思ってじっと見つめると、ニャルがわずかに眉を動かした。
「なんですか。ロリコンは犯罪ですよ」
「そういう目じゃない!」
「論理座標の再定義……それは“世界における存在の証明”そのものです。あなたのオツムですと……100年ぐらいあれば辿り着けるかもしれませんね」
実質帰れないってことじゃん……。
「今日はこの辺でおしまいとしましょう。眠りについたら5分後に睡眠学習が開始されますので。それではおやすみなさい」
そう言い残して、ニャルは部屋を出ていった。
「今日は? ええ、これもしかしてずっと続くの……?」
無表情のニャルが部屋を出ていったあと、俺は深くベッドに沈んだ。
「……うちに帰りたいな」
論理の収束点まで――100年かぁ。
無理だと思った。
けれど――それでも、いつか辿り着けたら。
どこまでも深いため息が、夜の天井へと消えていった。
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