9-3

 勢いよく飛び出すトラックが目の前を通り過ぎて、エンジン音が遠のいていく。


「今……何しようとしたの……?」

「もう……終わりだから……」


 温度のない声で、ただ車道を見つめて緋空ちゃんは言っていた。


 雨でも降ったかのように、全身がいやに寒い。

 震える。神経から冷えていく。


 人のいない、静かなところでトラックの前に飛び出そうとした彼女は機械のように力なく言葉にしている。


「だから……飛び出したの……?」

「うん」


「本当に……死にたいの?」

「うん」


 もう一度聞くよ。と、真剣に伝えるように彼女の肩に手を当てて膝を折り曲げ、緋空ちゃんと目線を合わせる。


「なんで……?」

「もう……1人は嫌なの……」


 乾いて、光を失った穴のような瞳は僕すらも映していないように見える。


 死神が住んでいる瞳は、あの時を超えた恐ろしい


 それがとても胸を締め付けた。


「だから死にたいの……?」

「うん、だから彩陽ちゃんも一緒に————」


「僕は死なないよ」


 そうやって遮った瞬間、彼女の瞳に僕が映った気がした。


「なんで……?」

「僕はもう、一人じゃないから」


「なんで……? なんでなんで……? あの友達の人がいるから? 私だけひとりぼっちにするの?」


 強く感情が漏れ出てくるのを感じる。

 肩が震えて、唇が震えて、繋いだままの手が震える。


「花蓮ちゃんは友達だけど……まぁ違うよ」

「それじゃあ……!」

「僕には緋空ちゃんがいるから」


 出来る限り、柔らかく顔から力を抜いて笑って見せた。


「死なない限り、生きてる限り……この世界に僕はいる。寂しくても一人じゃないよ」


「彩陽ちゃん……」


 会いたい人は死んでしまったから、もう会えない。


 でも生きてさえいれば、きっと会える。


「僕だってお父さんにお母さん……大好きだったお姉ちゃんも死んじゃったけど、緋空ちゃんがいる。生きていてくれれば、一人じゃない」


 そう口にしていると、視界が歪んでいく。


 喉元まで堰き止めていた涙が回るように、声に湿度が乗る。


 それを見られたくなくて、僕は緋空ちゃんを抱きしめた。


「死ぬなんて言わないで、君は……賢い子なんだから」

「……でも」


「緋空ちゃんは本当は死にたくないんだよ……! そうなんでしょ……! 教えてよ。僕は緋空ちゃんがいないと寂しいから、緋空ちゃんの生きてる世界で生きていたいよ……!」


「彩陽……ちゃんっ」


 グズリと、耳元でなにかを飲み込むような声が聞こえた。


「うぅ……生きたいよぉ……」


 肩が震え、強く体を抱きしめられた。

 彼女の弱々しく柔らかい力は僕の心を温かく包んでくれる。


「死にたくない……でもパパやママがいないのは寂しかった……とても寂しかったの……」


「大丈夫……大丈夫だからね……!」


 頭を撫でて、彼女の言葉を受け止める。

 瞼にどれだけ力を込めても、目尻から溢れ落ちる感情の粒は止まらない。


「私ね、彩陽ちゃんといて楽しかった……私にはいたことないけど、彩陽ちゃんは本当のお姉ちゃんみたいで……ずっと笑ってくれて……暖かくて……」


「うん……うん……!」


「オムライスを一緒に作ったの楽しかった。運動会で応援したの頑張った。夜におにぎりを作って食べたの……美味しかった……」


 ぐすんぐすんと喉を鳴らしながら、力を込めて伝えてくれる緋空ちゃんの想いを身体と一緒に強く抱きしめた。


 僕も嗚咽が混じりそうなほどに、心が彼女を求めて止まらない。


「僕もだよ。僕も……楽しかった……! 最初一緒に死のうって言われた時は怖かったけど、君はずっと優しくて楽しい子だったね……!」


「私、幸せだったの……彩陽ちゃんとずっといたかったの……でも、もうお別れになっちゃったらって思うと……寂しいの……!」


「大丈夫。きっと大丈夫だよ……もう少し、あともう少しだけ僕が大人になったら迎えに行く。だから待ってて」


 その言葉に緋空ちゃんはまた強く、抱きしめる力を強めた。


 優しくて、柔らかく、暖かい。


 人間の温度を久しぶりに感じた気がする。


 大好きな人を抱きしめるとこんなに心地がいいんだと、緋空ちゃんの力を感じながら思う。


 両親やお姉ちゃんからもらった愛情という名前の、いつまでも浸っていたくなる暖かい体温を、緋空ちゃんからも受け取った。


 家族が送れなかった分、たくさんの気持ちや感情を、僕から送るよ。


 この小さい身体に、僕からの温度は届いているだろうか。


 両親とは違うだろうけれど、僕の愛情はこんな温度なんだよ。


「緋空ちゃん……生きようね……死にたいなんて言わないで……」


「うん……私も、彩陽ちゃんがいれば苦手な家でも頑張れる……!」


 グッと顔を首をもたげて、僕は緋空ちゃんと目を合わせた。


 大丈夫。涙で瞼は赤くなってるけど、その中の澄んだ青鈍色の瞳には沢山の光が蓄えられている。


 それはきっと、僕も同じだろう。


 きっともう緋空ちゃんの瞳から光が消えることは、決してないだろう。


 神経がじんわりと安心で熱を持っていく。


「ハハっ……僕も緋空ちゃんも、顔がぐしゃぐしゃだね」


「うん、お揃いで同じ顔……!」


 そうやって笑い合うと、冬の風が僕たちの間を吹き抜ける。


 冷たいはずの冬の息吹は、不思議と僕たちの体を冷やすことはなかった。

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