ラッキー・ルーシー

松下スバル

第1話「3月29日」

 俺は今猛烈に後悔している――

 一年生の最後にもなって、ようやく自分の犯した罪に気づいたからだ。通う高校を変えたいなどということは、時すでに遅しにもほどがある。

 どういうわけだか俺は昔からこの七夕たなばた高校に入りたくてしょうがなかった――なのにそれがどうしてだか、今はやめたくてしょうがない。正直に言うと、もう中三の冬に願書を出しに行ったあの日からなんだか嫌だった。

 七高ななこうへ行こうと決心を固めるのが早すぎたうえに、一度そうと決めればイノシシ並みに他のことが見えなくなってしまう性格だったせいで、ほとんど他の学校を見に行くことも、考えることすらしなかった。

 願書を出しに行った日に伝統校とかこつけて一向に改修されていないオンボロ校舎や、最寄り駅とは言葉のあやで、校舎まで2・2kmも離れている事実を見せつけられたことで俺の決心はあっという間に瓦解がかいした。そうはいっても、今更「やっぱやめるわ」などとは言えず、引き際を見失って一年生が終わるところまで来てしまった。

 まあいいや、やめたところで他に行く当てもないしな。何とかあと二年間ふんばって、首尾よく卒業できることを祈ろう。いや――それもかなりのいばらの道だな。情けない話だが俺の成績は着水寸前の低空飛行で、二年生への進級だって半分お情けでさせてもらったようなものなのだ。

 考えれば考えるほど今後のことが憂鬱になって、学校からすぐには最寄りの七夕駅たなばたえきには向かわず、部活終わりでへとへとになっているのに夜の七夕市をさまよっていた。しかしさすがは県北の田舎町といった具合で、俺の傷ついた心を紛らわせてくれそうなものは何もなかった。どこまで行っても闇にのまれた田畑と住宅街、せいぜい田舎特有のバカでかい競技場があるくらいだ。

 諦めて大人しく七夕駅へ戻ろうと、東へ自転車を走らせる。バス通りを抜け、七夕市街への案内板に従って右折する。するとすぐに夜道が急に大量の街灯に照らし出され、滝のような轟音ごうおんに包まれた。七夕大橋たなばたおおはしに出たのだ。さすがは一級河川だな。大雨が降ったわけでもないのに怖いくらいの水量だ。

 白いヘッドホンでお気に入りリストの音楽を聴きながら欄干らんかんにもたれかかり、橋が高すぎてまるで光の届かない川面をぼーっと眺めていると、ふと、この橋にまつわる都市伝説を思い出した。

 ここから川へ向かって硬貨を投げ入れると、亡くなった人に会えるというものだ。別にこの世を去った人で会いたいと思っている人は、特にいないんだけどな。いて言えば、人ではないが小学校五年の終わりに姿を消した飼い猫くらいだろうか。

 まあ物は試しだと思い小銭を探してみるが、貧乏性びんぼうしょうが働いてたったの一円でも惜しくなってきた。財布の小銭入れを漁ると、なんだかわからないコインが出てきた。片面には星形が、もう片面には三日月がかたどられたものだ。何かの記念硬貨かとも思ったが、特に記憶にない。どうせ大した値打ちもないだろうと、オーバーハンドで闇夜に向かって力いっぱい投げ込んだ。数秒後に水面に落ちる音が聞こえるかと期待したが、あまりの激流げきりゅうでさっぱりわからなかった。

 がっかりして帰ろうとした瞬間、急にヘッドホンから流れてくる音楽が大きく感じられた。ポケットからウォークマンを取り出して確認したが、音量が変わったわけではない。まさかと思いヘッドホンを外すと、まるで水音が聞こえない。わけがわからず辺りを見渡し、振り返ると――、車道側の手すりに背中を預けて寄りかかっている女子がいた。

 七高の制服を着ているから、ウチの生徒なのだろう。背が高く俺と同じくらいで、透き通るような細長い首がすっと伸びている。わずかに茶色がかった黒髪を眉の辺りで切り揃えており、長いまつ毛と綺麗な二重の目元が印象的だった。

けれど俺はそんな容姿に見とれるどころか、ただならぬ存在であることを察して言葉が出なかった。

彼女の方も唖然としていたが、すぐに口を開くと小さく、

「うそ……」

 とつぶやいた。その瞬間、俺の耳には川から発せられる轟音が戻ってきた。

 思い返せばこれが俺の日常を一転させることになる、大きな渦に巻き込まれた瞬間だった――。

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