第19話 「今日のお礼に……シてあげようか?」「……は?」



 映画を観て。

 ハンドクリームを買い。

 クレーンゲームをして。


『ほとんどデートじゃねえか』という休日を過ごした俺たちは、その後、遅くなる前に帰ろうと言ってショッピングモールから寮に戻ってきた。


「わー、ただいまー!」

「はいはいおかえり」


 部屋のドアを開け、開口一番『ただいま』と言う瑠偉に、俺も『おかえり』と返してやる。


 それから、瑠偉が自分の荷物や今日買ったものを大事そうに自分の机の上に置くと、くるりと振り返り、改まって俺に向かってきた。


「脩、今日は本当にありがと」

「……別に、礼を言われるようなことは何もしてないけど」


 ……本当に。

 俺はただ、瑠偉を映画に連れて行って、買い物に付き合っただけだ。

 プレゼントだって日頃のお礼であげただけだし。

 でもまあ、それで瑠偉が喜んでくれたのならまあいいか――。

 そんなことを思っていると。


「そんなことないよ。だって、僕のお願いもたくさん聞いてくれたし、ぬいぐるみも取ってくれたし」

「そんなの……、俺としてはたいしたことじゃなかったし」

「でも僕としては大したことだったんだよ。だから、ありがと」


 ……なんか、改まって礼を言われるとちょっと照れ臭い。

 それになんだか、瑠偉も心なしか照れているというか、もじもじして、なんだかちょっと緊張しているように見えるし……。


「……あのさ。それでさ、その……」


 そう言いながら瑠偉が、なぜか恥じらうように俺に言葉を続けてくる。

 ……どうしたんだろ。

 俺がそう思いながら、瑠偉の次の言葉を待っていると――。


「そのね、脩。あの……、今日のお礼に……シてあげようか?」

「………………は?」


 そうして瑠偉が、突然訳のわからないことを言ってきた。


 …………え?

 シてあげる?

 シてあげるって何?

 何を?

 なんか ”シ” がカタカナっぽく聞こえたのは俺だけ?


「だって……、その、溜まってない?」


 ……タマッテナイ?

 溜まってる、ってこいつ、何のことを言ってるの?

 まさか――、マジでアレのことかな?


「……いや、あの。……溜まってたらどうすんだよ」

「僕がやってあげる。実は……、そのために、用意とかもしてたし」


 えっ…………!?

 えっ!?

 ま……、マジで……?

 てか、用意してたって何を!?


 あ、あの……、瑠偉さん。

 やってあげるって、その、手……で、ですかね?

 それともその先のこと言ってます……?

 はっ!? もしかして、今日ハンドクリーム買ったのってそういう……!?


 一瞬、自分が瑠偉に手でしごかれる想像をして、ごくりと息を呑んだ。


「いい? 脩」

「……いや、い、いいって言うか……」

「大丈夫。怖くないよ」


 安心して、痛くもしないし、優しくするから――、という瑠偉に。

 俺はこれは、本当の本当のやつだと確信する。


 えっ……、マジで? 俺まさか、ここで童貞卒業しちゃう?


 ――はい。そうです。


 あんなに散々エロい想像をしておいてなんですが、俺、ぴっかぴかの童貞です。

 いやでもだって男って普通そんなもんじゃないか!?

 このインターネット社会で知識ばっかり増えるけど、実践経験はまだなんて!

 大丈夫です! ネットで増やした知識は、今後実践で生かす予定なんで!


 え……、でもって、その実践の時が今来た……、ってこと?


 混乱と緊張とドキドキで、とりとめもない思考が頭の中をぐるぐると回る。


「脩……」


 瑠偉に、何故かベッドまで追い詰められた俺は、とさりと押し倒される。

 えっ、えっ、えっ、えっ、うそ。

 これ、ギャグパートだと思ってたけど、ほんとにほんとにきちゃう?


 俺が混乱の極みにいる中、瑠偉が俺の上に乗っかってきてまたがる。


『脩。リラックスして。大丈夫、気持ち良くしてあげるから』


 そう言いながら瑠偉は、俺のズボンに手をかける。

 かちゃかちゃと音を立て、切なげな表情で瑠偉が俺のズボンのボタンを外そうとするその光景は、心臓が暴れ出しそうなほどに目の毒だ。


 暴かれるズボン。

 あらわになる俺の息子。

 ハンドクリームでなめらかになったばかりの指が、俺を優しく撫で上げ、そして――。


「……おっきいね。脩」

「……へ、へっ…………?」


 瑠偉が俺にそう囁いてきたのは、俺の息子――ではなく、耳元に向けてだ。


「……やっぱり。ここに来てから、耳掃除してないでしょ」

「み……耳掃除……?」


 どうやら瑠偉が俺のズボンを下ろすうんぬんの一連は俺の妄想だったらしい。

 ほ……ほわぁ…………!!


「ほら見て、おっきいの溜まってる。ダメだよ、こまめに掃除しないと」


 そう言いながら瑠偉が俺の耳の中に何かを突っ込んだかと思うと、抜き出したそれを俺の眼の前にずいっと差し出してくる。


 ――黒い、綿棒だ。


「よかった。この間これ買っておいて」


 ………………ん?


「あの、もしかして。用意したっていうのはそれのこと?」

「? そうだよ?」


 俺の問いかけに瑠偉がキョトンとした顔で答える。

 ……………………………………。

 はあぁぁぁああぁぁぁあぁぁぁ………………。


 ああ、そういうことね……!

 してあげる、っていうのは耳掃除のことで!

 溜まってる、っていうのは耳垢のことで!

 用意した、ってのは綿棒のことですね!


 まぎらわしーわ!

 俺、マジで抜かれると思った! こいつに!

 手コキされちゃうかと思いました! はい!


「……どうしたの? 脩」

「いや…………」


 急激にがっくりと疲労感に襲われた俺に、瑠偉が心配して声をかけてくれるけれど、俺としてはさあ。

 よかったような、ほっとしたような、ちょっと残念なような。

 複雑な気持ちですわ! 本当に!


「……ところで、お前のその耳かきスタイルは何なんだ」

「え?」


 俺が尋ねた、瑠偉の珍妙な耳かきスタイル――。

 それを珍妙とまで言うほどなのかわからないが、とにかく、普通耳かきっていったら膝枕を思い浮かべるじゃんか普通。


 瑠偉が今やっているのは、寝そべった俺の上を跨いで、覆いかぶさるように耳の穴を覗いてくるパターンだ。

 こう、がばーっ、と俺が襲われているみたいに見える体勢。

 今更だけど、瑠偉の太ももに跨がれていると思うとちょっとドキドキする。


「……これ、変?」

「…………うん」


 俺の中ではなかったスタイルですね。

 嫌いじゃないけど。

 襲われてるみたいでドキドキするし。


「じゃあ、普通の耳かきスタイルってどうやるの?」

「普通の耳かきと言えばアレだろ。王道の膝枕だろ」

「……膝枕」


 そう言うと瑠偉は俺の上から起き上がり、少し考えた様子を見せた後に「じゃあ、膝枕でやってみよう」と言ってきた。


 ………………えええ〜。

 いいんですかね。

 俺。

 今日、こんないいことばっかりで。

 ついさっき、瑠偉から襲われた(?)ばかりなのに、今度は膝枕ですか?


 そう思いながら俺が、大人しく瑠偉の膝の上にぽすんと頭を乗せると――。


「…………違う」


 と呟かれた。


「違う?」

「だって、さっきの方が見やすかったし。脩とも距離が近くてよかった」

「………………」


 ……………………。

 個人的には、『見やすかった』という発言よりも、『脩とも距離が近くてよかった』という発言の方に意識が持っていかれそうな俺ですけれども。


「……じゃあ、耳掃除するのは瑠偉だし、お前の好きなようにしていいよ」

「うん。そうする」


 そう言って、再び先ほどの寝技スタイルに戻る俺たち。


「やっぱり、こっちのほうがやりやすいね。脩はどう?」

「…………俺は…………」


 正直に言おう。

 俺としても、こっちのほうがよかった。

 だって、俺の上に瑠偉がのしかかってきて何だか気持ちいいし、膝枕の時より瑠偉の顔が近いし。


「俺も……、こっちでいいかな……」

「じゃあ、お互い良いならこっちの方がいいね」

「………………おう」


 なんだか、新しい扉が開きそうな気がした。

 可愛らしい女子にのしかかられて襲われるシチュエーション。

 うん、悪くない。


 こうして、


「これからも定期的に脩の耳チェックするからね」


 と言われた瑠偉に、俺はまた楽しみがひとつできてしまった――もとい、瑠偉に世話をかけさせることになった訳である。


 え?

 耳掃除くらい自分でやれって?


 ――自分では怖いから無理です。


 そういうことにしておいてほしい。



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