違法セーラーと錆ネジ男のためのカプリチオ
志波 煌汰
1.Maestoso――序曲:違法セーラーと錆ネジ男
俺こと
涼やかで、どことなく大人びた雰囲気のある女だな――というのが初見の印象だった。
夜の路地裏で女と二人きり、しかも相手が違法のセーラー服ともくれば、「なんだかインモラルな感じでゾクゾクするね」などと友人の佐治あたりは言ったのかもしれないが俺としてはそんなことは全くなく、何故かと言えば「違法」のかかる先がセーラー服ではなくそいつの持っていた鉄芯入りの竹刀という物騒な代物であり、そしてその竹刀が今まさに俺の鼻先に突きつけられていたからだ。
「ねえキミ――」
凶器を突き付け、どこか聞き覚えのあるような声で違法セーラー服は俺に問いかける。
「錆ネジ男を見ませんでした?」
だがその内容はまるで耳馴染みのないものだ。
「錆ネジ男……?」
「知りませんか? 今話題の連続穿頭事件、その犯人ですよ」
連続穿頭事件。そちらの方には俺も聞き覚えがあった。近頃この街で発生しているという怪事件だ。
頭部に穴が開いた人間が意識を失い倒れた状態で見つかる事件が市内のあちこちで連続している――という話だったか。穴はごく小さなもので今のところ死者は出ていないが、被害者は記憶喪失や精神錯乱の症状を見せていると耳にした。
公式発表では犯人については一切不明だったはずだが、この女が言うところによるとどうやら錆ネジ男とやらがその犯人らしい。
クラスメイトから聞いたことありません? と女は言うが、そう言った類の噂を持ってくる友人は一人しかいなかったし、そいつのいない今はゼロだ。というか俺が学校で話す相手自体がゼロなのが現状だった。俺がその旨をかいつまんで告げると、「それは悪いことをお聞きしました」と女はバツの悪そうな顔をした。話しておいてなんだが若干傷つく。
「知らないなら目撃情報を聞いても仕方ありませんね。用は済んだから寄り道してないで早く帰ったほうがいいですよ。高校生がうろつくような場所でも時間でもありませんし」
自分だって高校生だろうがよ――と名も知らないセーラー服の女子を睨む。制服から見るに同じ高校のようだが、その顔に見覚えはなかった。まあうちは今どき珍しいマンモス校ってやつだから知らなくても不思議ではないが、それにしてもこんな美人でやばい女(色んな意味で)がいたら噂くらいにはなってそうなもんだけどな?
俺がじっとそいつを睨んでいると、何を勘違いしたのか女は突き付けた竹刀の切っ先を威圧するようにずい、と押し込んだ。
「もしかしてですけど、襲おうとか考えてます? やめておいた方がいいですよ、この竹刀の威力は先ほどお見せしたでしょう」
「おいとんでもない誤解かましてんじゃねーぞ、出合い頭にビル外壁を凹ますイカレ女なんてこっちから願い下げだ」
「なんて言いざまでしょう。私はただ不良高校生に対して威嚇しただけ。うら若き乙女として当然の自衛です」
「誰が不良だ誰が。武器持ち歩いてるやつに比べたら模範的高校生だよ」
「そんな真っ赤な髪をしてこんな時間に路地裏をうろつくなんて、不良以外の何物でもないでしょう」
髪に関しては染めているわけではないのだが、これについては教師どころか親からも理解を得られていないので反論は諦めることにする。ただしもう一件については釈明できる理由があるので別だ。
「俺はただ、『鍵』を探してるだけだ」
「鍵?」
女は眉を顰めた。
「何の鍵でしょうか。緊急事態なら私も探すのを手伝いましょうか」
「別にそこまでしてもらわなくてもいい。怪物を閉じ込めてる檻の鍵なんだけど、この先開けることもないだろうから無くても困りはしない。もう『戸締り』する気もないしな……」
「怪物……? 何を言ってるんですか?」
違法セーラーが訝し気な、なんなら警戒も含んだ視線を向けてくる。まあ俺も今の説明で伝わるとは思ってないし、そもそもちゃんと伝える気もない。独り言みたいなもんだ。
「探し物だとしても、こんな夜遅くにやらなくてもいいでしょうに」
「夜の方が見つけやすそうなんでね。なんせ光っているもんだから」
「キーホルダーでもつけているんですか?」
「まあそんなとこ」
セーラー服の疑問は適当にはぐらかした。
「事情は分かりましたが、とにかく帰った方が良いかと。錆ネジ男と遭遇したら危険です。お送りしましょうか?」
凶器を持った危険人物と連れ立って歩く方がよっぽど恐ろしいと言いたくなったが、俺はその気持ちをぐっと呑み込んで代わりに一つ質問をした。
「危険って言うなら、なんで錆ネジ男とやらを探してるんだよ。あんただって危ないだろうが」
俺がそう問いかけると、セーラー服の彼女は驚いたように目を丸くした。
「んだよ」
「いえ、この話をすると決まって『居もしない怪人を探すイカレ女』とでも言いたげな胡乱げな眼で見られるものですから」
「イカレ女とは思ってるよ」
「でも怪人の存在はすんなり受け入れるんですね。そうは見えなかったけど、意外にオカルトマニアなんですか?」
「質問を質問で返すんじゃねーよ。俺は動機を話せって言ってんの」
「それなら単純な話です。――戦うためですよ」
……なんて?
「錆ネジ男と戦うんです。戦って、ぼこぼこに叩きのめします」
俺がフリーズしていると、イカレ女はすこし恥ずかしそうに言った。いや恥じらうところじゃねーだろどう考えても。
「……あんた、陰陽師? それとも妖怪バスター的な何か?」
「面白いことを言いますね。お知り合いにそういう方でも?」
生憎そう言った人間を見たことはないが、見たことない度で言えばこの女も大概である。故にもしやと思ったのだが、どうも違うらしい。
「私は陰陽師でも妖怪バスターでもありません。見ての通り、極々普通の一般人ですよ」
鉄芯仕込みの竹刀の切っ先をゆらゆらとさせながら彼女は笑う。極々普通の一般人はそんな違法な武器持ち歩かねえ。妖怪バスターだったほうがよっぽどマシだった。どう考えてもどうかしている。
だがまあ、いくら物騒と言ってもそれは人間の範疇での話。怪異退治の専門家というわけではないのならば、
「怪人と戦うなんて、辞めた方が良い。怪我じゃすまないかもしれないぞ」
自然と、俺の口からはそんな言葉が漏れていた。
彼女は一瞬きょとん、とした表情を浮かべた後でふふふ、と柔らかな微笑を浮かべた。不覚にもその表情は可憐そのもので、やたらとドキリとさせられてしまう。相手はどう考えても危険人物だと言うのに、つくづく俺はギャップに弱い。この場に居たら間違いなく俺のことを揶揄ったであろう佐治の顔が脳裏を過ぎった。左目の泣き黒子が笑みと共に動く様を想起する。いいだろ別に俺がボーイッシュ女子や爽やか笑顔危険人物に脆弱性を抱えていようが。
佐治のにやにや顔を頭から追い出そうとする俺の努力をよそに、違法セーラーは穏やかに礼を告げた。
「ご心配いただきどうもありがとう。ですが、これは私がやらなくてはならないことですので」
「なんでまたそんな――」
と。
尋ねかけたところで、俺は二の句を失って口を閉ざした。
「どうかしましたか?」
「……なあ、アンタの言う錆ネジ男ってのは、もしかしてあれのことか?」
俺はゆっくりと指を持ち上げて彼女の後方を指し示す。
そこには人の形をした不吉がわだかまっていた。
立っている、でも佇んでいる、でもない。まるで街中の良からぬものが流れ着いた先でたまたま人の形になったような……そんな吹き溜まりじみた何かが、そこに在った。
外套らしきものを纏ったそいつの、体高はそう大きくはない。しかしその存在感は奇妙に大きく、そして身震いするほどに奇怪だった。背中を怜悧な刃で優しく逆撫でされているような怖気と不安感が視神経から流れ込む。だというのに、目を離すことも出来ない。呪いをかけられたかのように視線を釘付けにされ、俺はその悪夢を見つめた。
赤い、影だった。紅く、朱く、緋い、だと言うのに決して明るくはない、闇を纏うかのような色彩がそこに在った。そしてその不吉な赤はパラパラと全身から零れ落ちていた――まるで干からびた血が皮膚から剥がれ落ちるように。
真紅の赤錆を体中から零しながら、人間の頭のネジを外して回る怪人――先ほど聞いたばかりの説明が頭蓋の内でリフレインする。
こいつが、錆ネジ男か。
開放骨折のように各関節から突き出す大小さまざまなネジ。目深に被られた帽子のせいで人相は良く分からないが、ぎょろりとした眼光ばかりがこちらを射貫く。袖口から浮き出して見える鋭い先端は何らかの得物だろうか。
凶兆が怪人の姿を取ったようなその姿を見て、俺は寒気と同時に何故だか不可思議な懐かしさを覚えていた。
「出ましたか……っ!」
俺の指に釣られて振り返った違法セーラーが叫び、鉄芯竹刀を構える。
「私が戦っている隙にキミは逃げ……えっ?」
彼女が何やら言っていたが、俺は既にその横をすり抜けて飛び出していた。
風を切って疾走する俺は、その勢いのまま大きく地面を蹴ってその体を宙に投げ出す。両膝を折りたたみ、靴裏を怪人の体躯に向けると、弾かれたように足を射出した。
いわゆる、ドロップキックである。
渾身の飛び蹴りを受けた錆ネジ男は勢いよく吹っ飛んでいった。存外に軽い。俺はそのまま空中で体を捻り、うつ伏せの態勢で的確に受け身。素早く立ち上がり、追撃を加えようと再び前に――。
行こうとしたところで、襟を掴まれてぐい、と引き戻された。
「何をやってるんですかキミはあああああ!!!????」
……あ、やべ。
違法セーラーの叱責で俺は自分のやらかしに気が付いた。
「私伝えましたよね!? あの子がどんだけ危険かって、散々!! なのにどうしてドロップキックなんかかましてくれやがってるんですかあああ!!!!??」
「いや、なんというか……ついうっかり、癖で」
「どんな癖ですかどんな!! 根っからの戦闘民族ですかやっぱり筋金入りの不良じゃないですか!!」
「それよりさっさと逃げようぜ。まともな武器もないのにあんなのと戦うべきじゃない」
「自分の行動を客観視する機能が欠けてます!?」
高校生って誰も彼もこんなに向こう見ずなものでしたっけ!? と騒ぐ違法セーラー。中学生よりは向こう見ずではないが、大人よりは向こう見ずなものではないだろうか、知らないけど。
そんな騒がしい会話を続けているうちに、吹き飛ばされた錆ネジ男が起き上がってくる。まずい。さっきのは不意の先制攻撃だから効いただけで、次も通用する保証はない。戦う術がない以上、すぐにここから逃げなくては。
「おいあんた、さっさと――」
だが怪人というものはこちらの都合を斟酌してくれるほど甘くはない。
立ち上がった錆ネジ男は滑るように音もなく距離を詰める。予想以上の速さ。左手に光るのは大きなネジ先に見えた。姿勢からしてあれによる刺突が攻撃手段か、受けるにも逃げるにも暇がない、仕方がないせめてこいつの盾代わりくらいには――。
高速で稼働する俺の思考を遮るように、金属音が響き渡った。
「まったく。予想外のことに慌てましたが……ようやく予定通りに戻りましたね」
俺が違法セーラーを庇おうと動くより先に、閃光のごとく振りぬかれた鉄芯竹刀が錆ネジ男の攻撃を受け止めていた。――疾い。
片腕で錆ネジ男を押しとどめた彼女は、そのまま人間離れした膂力で怪人を弾き飛ばした。柄を両手でしっかりと握り直し、こちらに一瞥もくれずに言葉を放つ。
「庇ってもらう必要なんてありません。言ったでしょう。私の目的はこの子と戦って――ぼこぼこに叩きのめすことだと」
そこから繰り広げられたのは、まさに人外の闘争だった。
吹き荒ぶ夜の風となった違法セーラーが残像を作りながら竹刀を叩きつける。赤錆の怪異がそれを避け、捌き、受ける。瞬きの刹那に幾合もの剣閃が交差し、それぞれ独立しているはずの金属の衝突音はあまりの速さに一連なりと化して路地裏の闇を斬り裂いていく。神速の応酬で形成された剣戟結界は傍で見ているだけの俺にも凄まじいプレッシャーを浴びせ、前髪が先端から焦げていくような錯覚に襲われた。
割り込む余地は一片もなく、俺はただ呆然としながらその死闘を見守っていた。
一進一退の攻防は永遠に続くかにも思われたが、幕引きは呆気なく訪れる。
「はあああっ!」
裂帛の気合と共に振りぬかれる竹刀。それを受けた錆ネジ男は大きく後方に飛ばされ、たたらを踏んだ。態勢を整えなおした錆ネジ男は一呼吸ほど沈思した後、そっとその体を引き下がらせた。
「あっこら! 待ちなさい!」
違法セーラーの制止も聞かず、錆色の怪人は自らの輪郭を夜闇に溶けさせていく。一瞬の後に違法セーラーが飛び掛かった時には、既にその姿は煙のように搔き消えていた。
「……逃げられましたか」
違法セーラーのその一言で周囲を支配していた異様な緊張感が融解し、俺は大きく息を吐いた。いつの間にか呼吸をすることも忘れていたようだ。ということは、あの剣劇はそれほど長くはなかったのだろうか。到底そうは思えなかったが。
「……なんだったんだ今の」
思わず口をついて出た言葉に、違法セーラーが振り向く。
「今ので分かったでしょう。これはあなたが関わるべきことではありません」
「あんたは一体……」
「これに懲りたら夜中に出歩くのは辞めることですね、不良少年くん」
彼女は一方的に告げると、スカートを翻して去っていった。
何も分からぬ間抜け面の男子高校生だけが一人ぽつんと取り残され、どうしたものかと俺は頭を掻いた。
「ああ言われはしたけど……我関せずで頬被り決め込むのもな……」
そんなダサい真似をしたら佐治の奴に何を言われるか分かったものではない。あいつに失望されるようなことをするわけにはいかないのだ、俺は。何せほぼ唯一の友人なのだから。
とはいえ、何をどうしたものか。さっぱり宛てのない俺は、諦観を込めて溜息を零した。
「とりあえず明日にでも博士のとこに行くとするか……」
少しばかり、気は重いが。
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