親愛なる君へ、告白します。
傀儡の傀儡
親愛なる君へ、告白します。
僕は、犯罪者だ。
僕は決して許されない罪を犯した。
分かりやすいきっかけがあったわけではない。ただ、思春期特有の、考え方の劇的な変化というか、それに伴う高揚感というか、そういうものが原因の根底としてあるのではないだろうか。
だからこそ、これはきっと誰にでも起こり得ることなんじゃないかと、僕は思う。
小学生の頃、僕は偶然この檻を見つけた。どういう経緯で建てられたか、誰の所有物かにはさほど興味がなかった。自分しか知らない秘密基地ができたことが心地よくて、中に何を置こうかとか、名前はどうしようかとかを考えて、何をしていても心ここにあらずといった感じだった。
違和感の萌芽。自己の非連続性。中学生になって半年経とうとするときくらいにそれを自覚した僕は、ひとまずここに逃げた。
簀の子の上にレジャーシートを敷いただけの簡単な床に寝転んで、土色の天井を見つめながら、入学してからの特に何も起こらない日常を振り返ってみた。
本当に、思い出すべきことが何もなかった。特に何もなかったことが、おかしかった。
僕は女子と話さなくなったことに気づいた。
恋愛至上主義なんてものは廃れつつある、なんて言うけれど、本能的な、ずばり言ってしまえば三大欲求的な面で、彼氏彼女の関係というものがチラチラと頭によぎるようになっていた。部活で実例をまざまざと見せつけられるせいか、より一層。
その時はまだ単に気づいただけで、さほど気にはならなかった。女子と話さなくなっただけで、学校で誰とも会話をしなかったわけではなかったから、学校生活で困ることはなかった。
しかし、そういう空気感を僕ら男子の間でも共有していたのか、三年生になるほどにはすっかり持てる者と持たざる者に分かれ、前者が後者に勝るものだという歪んだ価値観が溢れかえっていた。
ある日の放課後、僕は長らく留守にしていた秘密基地に立ち寄った。名前はもう憶えていなかった。
ブルーシートに溜まっていた二年分の土埃を落として、床に腰を下ろした。
土の天井は、昔と今とでは何も変わらない。それを見る僕か、もしくは僕の周囲が、すっかり変ってしまった。
僕は焦った。彼らと僕とは、一体何が違うというのだろうか。ひょっとしたら違うゲノム配列を有しているのだろうか、だとしたら奴らか僕らのどちらかは人間ではない、なんて覚えたての知識で見栄を張りながら頭をひねっていた。
ここで得た一応の結論が、こうだ。
先輩の誰と誰が付き合っているか、ということなら入学してそれほど日の経っていない僕でも知っているのだから、先輩がいた学年では公然の秘密になっていたはずだ。
ならば、もちろん個人の好みはあるだろうが、他人から知られて恥ずかしくないような人間を彼氏として選ぶことは想像に難くない。
つまり、その理論に則れば、僕は「他人から見て恥ずかしい人間」ということになってしまう。
その瞬間、僕は気づいた。中学校と小学校の違いに。
社会だ。社会が出来上がるほどに、人間が成熟したのだ。
もしかしたら、とっくの前に、僕の卒業の前に、既に出来上がっていたことに気づいていなかっただけかもしれない。
ただ茫然と、きっと心優しくて、スポーツができて、頭がいい人が持てる人間になのだろう、と思っていたが、そんな考えでは不十分だった。
そして、僕の知る所謂、「モテる秘訣」なるものが意味を持ち始めた。
内面的で、本質的なものを信じ続けてきた僕にとって、これは苦痛でしかなかった。
外面を整えなければ、人は認められないのか。どうして人は内面を見ようとしないのか。内面を見ないことが普通で、「秘訣」が出回るほどに美徳とされるのか。
社会的なよさに向けて自分を捻じ曲げているような気がして、えもいわれぬ嫌悪感が、心の底から湧き上がって来た。
きっと僕は、恋愛に向いていないのだと思った。
でも僕は諦められなかった。きっと、自分の本質を見てくれるような人がいるはずだ、という理想が頭から離れなかった。
僕は悩んだ。図書室に行って中学生向けの哲学書にまで手をだした(難しそうな本を読んでいることは社会的にプラスなのではないかという打算も込みで。これに関しては生理的な嫌悪感は湧き上がってこなかった)。
後から考えると、これはまさに福音だった。
僕は哲学にあまり向いていなかったようで、すぐに読み飽きて、巻末についていた哲学者の名言集だけでも見てみようと思った。そこにある記述が偶然目に留まった。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい」
はっとした。女子の中にも僕と同じような人間がいるかもしれない。そんな簡単なことにどうして気づかなかったのだろうか。
僕は、女子のことをあまり知らない。だから、まずは知ることからだ、と奮い立った。
簡単に言えば、これは失敗だった。同時に、なぜ人は内面を見て恋愛をしないのかがよく分かった。
人の本質は、醜いからだ。人はそれを、隠したいと願うからだ。
クラスの女子の間に、入学して割とすぐから、いじめがあったらしい。いじめに加担した人間は評価に値しないだとか、そんな極端なことを言いたいわけじゃない。僕は「いじめる側がたいてい何か問題を抱えている」といった陳腐な文言も知らない馬鹿ではないのだ。
話題を適当に見つけて、何人かの女子に話しかけてみた時に、誰一人としてそのことをはっきりと口に出さないことが、むしろ僕にとっての問題だった。
誰も、僕に自分を知られることを、望まなかったのだ。僕の同類は、いなかった。
そして、僕はこの偏狭な社会の外様なのではないか、だから誰も僕に重要な何かを話そうとしないのではないか、という疑問が首をもたげはじめた。
外様でなくなるためにはどうしたらいいか。その答えは簡単だ。外様と思われないように自分を変えればいい。
この時点で、僕の論理は堂々巡りになった。何もできることはないのだと、悟った。
見えない場所で、静かに蟠りが渦巻いていた。
僕は高校生になった。
もう他人を知ろうとは思っていなかった。他人に自分を知ってもらおうとも思っていなかった。だから、クラスで完全に孤立しない程度に関わりを保った。
孤独だった。それ程度の関わりしかない、友達と呼べるのかよく分からない人たちと徒に時間を過ごしたところで、僕の心は埋まるはずもなかった。薄く黒い皮に覆われた僕を、誰もその皮を破ってまで理解しようとはしなかった。
居もしない彼女に振られた夢を見て飛び起きた日があった。家族によれば、僕はその時寝ながら叫んでいたそうだ。全くの笑い話だ。笑えない。
僕はさらに焦った。意味もなく休み時間に校舎を歩き回った。
ここではないどこかに、この膠着した状況を打破する何かがあると信じて。そして、僕は遂に見つけた。
彼女は、僕と同じ中学にいた。いじめる側のグループにいたと記憶している。ただそこにいただけで、主犯格というわけではなかったはずだ。
そんな彼女が、校舎の隅で一人、弁当を食べている。
おもしろいと、思った。
彼女の本質を、覗いてみたいと思った。
その後、彼女に話しかけて、連絡先をもらった。度々話すようにもなった。
しかし、彼女の話を聞けば聞くほど、彼女のことは分からなくなっていった。全くつかみどころがなかったと言っていい。
例えば、いじめについて。いじめに加担したこと自体を責める気は更々なかった。ただ、どうして加担したのか、一人でいることを苦に思わないような人間が、そこまでして集団に属していたのはなぜか。それは知りたかった。きっと並々ならぬ事情があるに違いないと思って、僕は控え目にその旨を伝えた。
すると彼女は、特にない、とはっきりと一言だけ答えて、口をすっかりつぐんでしまった。
彼女が、ある時に、あることをして、ああいう風に思った、とかいうことは分かる。けれども、同じような出来事に対して真逆の行動を取っていたり、真逆の心情を抱いていたりして、一貫性がまるでない。彼女の本質には、俄然として靄がかかっていた。
しかしながら、僕が彼女のことを嫌ったかといえば、そういうわけではない。
僕の質問に答えるときの彼女の淡々とした語り口や、あまり動かない表情は、一種の誠実さを感じさせた。彼女は僕が聞けばたいてい答えてくれた。話したくないのか、それとも覚えていないだけなのか、生返事で済まされることも多々あったが、そんな些末なことはどうでもよかった。頻度はそれほど多くなかったものの、彼女が聞いてきたことに対して、僕は嘘偽りなく何でも答えた。
むしろ、僕は彼女のことを気に入ってしまったのかもしれない。
年月が経って、卒業も間近になっていた。僕も彼女も進学先は決まっていた。偶然揃うとか、揃えるとか、そういったことは一切なかった。僕はまだ、彼女の全体像を掴めてはいなかった。中学の彼女と高校の彼女が、いくら話を聞いても繋がらない。
だから僕は、また焦っていた。彼女にとって僕はさほど重要な存在でないからこそ、自分についてべらべらとしゃべっていたのではないかと疑いもした。
とにかく、彼女の内面がまだ分からないから、なんて理由で彼女と離れるのはもったいないと感じていた。彼女のことをまだ知りたいけど、お互い大学に行ったら疎遠になるかもしれない。そこで、大胆な行動に出ることにした。
卒業式が終わって、事を起こすには今しかないと思い、「見せたいものがある」と伝えて彼女を呼び出した。
誰もこない二人きりの場所なら、素の彼女が、まだ知らない一面が、見えるかもしれない。そう思って、僕は例の檻がある洞穴に彼女を連れて行った。
山道を登っている途中にすっかり汗ばんでしまうほどに、3月にしては暑い日だった。
それでも高勾配の道を飄々とした表情で登る彼女は、一層アンニュイで、ミステリアスな雰囲気を纏っていた。
とうとう檻の入口に着いた。
いつかに教えた秘密基地をずっと見せたかったんだ、なんて適当なことを言って、彼女を中に誘導した。
中は3年前に行ったときと変わっていなかった。せめて前日にブルーシートだけでも綺麗にしておけばよかったと登りながら後悔していたのだが、不思議とそこまで汚れていなかった。
彼女が奥に入っていくところを確認して、僕は出口を塞ぐように立った。
それに気づいたのかは分からないが、彼女は僕の肩をつかんで押しのけようとした。が、僕はその手を掴んだ。
このとき僕は興奮していた。小さな感情のさざ波が、猜疑心の岩で共振して、情動の津波へと変わる。
彼女は僕の目を見ている。ずっと残っていた蟠りを吐き出すように、一つ一つ言葉を紡いだ。
大きな岩を細かく砕いて、礫にし、砂にする。そうして初めて、僕の思いは声になった。
彼女は何も言わない。彼女が突然滔々と語りだすだろうなんて都合のいい妄想は現実にならなかった。
やがて僕は口を閉ざした。彼女の手を掴んだまま。
それでも、彼女は僕の目をただ、愚直に見ていた。
僕は、空いた手を彼女の背中へ回して、抱き寄せた。
互いの汗の匂いと、自分のものではない匂いが混ざり合って、僕の鼻腔を刺激した。
いつの間にか彼女の手を掴んでいた方の手も、背中に回していた。彼女は、口を真一文字に結んで、まだ、僕の目を見つめている。
三年間で初めて、まじろぎもせずに彼女の顔を見つめた。美しい顔だった。少し切れ長の目。整った鼻筋。小さな顔。僕が知りたいことはここにあったのだと思わせるほどに、神秘的だった。
仄暗い洞穴の中で、もはや互いの呼吸音と葉が揺れる音しか聞こえなくなった。
僕の唇は、彼女のそれに触れていた。
少しして、僕は自分のやってしまったことの重大さに気づいた。それに気づいてなお、真っ先に彼女の表情を確かめた。期待に反して、今日会ってから彼女の表情は変わっていなかった。
僕が回した腕を緩めたのと同時に彼女は僕を突き飛ばした。
僕はよろけて壁にぶつかり、尻もちをついてしまった。彼女は僕の方へ近づいてきて、腕を振り上げた瞬間――
僕の頬をぶった。
それでも彼女は表情一つ変えていなかった。怒りすらも滲んでいなかった。ここまでくると、逆に恐怖を感じた。左頬に感じる痛みなんて、気にならないくらいに。
そして、彼女は僕の額にキスをした。
もう、訳が分からなかった。立ち上がった瞬間風が吹き込んできて、砂が目に入った。
目を擦って外に出た時はもう、彼女の姿は見えなくなっていた。
シンと静まり返った山の緑しか、見えなくなっていた。
――これまでの経緯を簡単にまとめてみた。大体この内容で彼女に送ってみようと思う。一応彼女への釈明のつもりで書いたのだが、これでいいだろうか。(長文になってしまったことはこの際気にしないでくれ)
少し表現をぼかさせてもらったが、大方伝わっただろう。
出会ってまだそれほど日が経っていないのは百も承知なのだが、君にしか頼れない。
僕は、矛盾していただろうか。
親愛なる君へ、告白します。 傀儡の傀儡 @puppetandpuppet
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