第3話 下手くそ

雪姫ゆきひめ」という名前が恥ずかしかったのは小学生までだ。

 幼かった彼女は地黒で丸々とした体型。名前と外見とのギャップを恥ずかしく思っていた。小太こぶとり姫だの何だのと笑われるからだ。

 なぜこんな名前をつけたのか、親に八つ当たりしたこともある。癇癪かんしゃくを起こすたび、母は「そんなこと言わないでよ」とさびしそうに言った。

 変わろうと思ったのは中学生の頃。クラスで浮いている子がいた。太っていて、地味で、髪もボサボサ。その子は少しずついじめられるようになった。


 雪姫は可哀想かわいそうと思うより先に、「同じ目にいたくない」と思った。


 その日から勉強そっちのけで美容ケアやファッションを覚え、サプリを飲み、ダイエットにいそしみ始める。長期的な進路より今いる小さな社会を乗りこなす方が、当時の彼女には重要だった。

 そうして時間と努力をかけた今、尾賀雪姫はその名にふさわしい容姿を16歳にして手に入れている。

 柔和で可愛い、雪のような白い肌。でも仲のいい子には少しくだけた様子を見せる、そういう女の子。友達の数は人並み。好きな人もいる。興味のない男子に告白もされた。勉強は苦手だけど、さっさと誰かつかまえて専業主婦にでもなればいい。


 それが雪姫の世界である。







 一芝居はいつも打っている。

 迷子の子猫ちゃんを演じてやり過ごせばいい。命の危険を脅かすようでない限りは、流れに身を任せてみる。

 帰れる手がかりがあるかもしれないのだから。


「どこから来た?」

「それが、記憶なくて」


 記憶喪失きおくそうしつという設定は本当に便利だ。これで細かいところを何でもかんでも誤魔化せる。この言葉、額縁がくぶちの絵にでもきざんで飾るべきだろう。

 実際のところ、造語をパッと思いつけなかったのが彼女の本音である。機転があるようでない。

 雪姫は、それとなく相手の反応をうかがってみた。


 男は無表情であった。

 どこの表情筋も変化を見せず、目玉だけを雪姫に向かってジロジロと動かした。


「……………………」


 長い沈黙が訪れる。

 雪姫はそのあいだ、頭の先から爪先まで何度も執拗しつように眺められていた。

 その視線にえられず、どんどん肩が内巻きになってしまう。へっぴり腰になり、瞳がキョロンキョロンと不自然にゆらめく。もしもこれが演技なら、雪姫は主演女優賞を貰えることだろう。


 対して、青年は例の無表情で何を感じていたかというと。

 好奇心と警戒心である。


 人生で初めて見る服装だ。

 百合ゆりの花とそっくりな色をした布を身にまとい、手の甲まですそを伸ばして隠している。胸元には赤い飾り物がひとつ。帯を再利用しているのだろうか。

 腰から垂れる墨色すみいろの布はしっかりしているが、白色のそれとは正反対に、なんともすそが短い。脚があらわになってしまっている。

 足元は足袋たびにしては妙に真っ黒で形も違う。しかも草履ぞうりを履いていない。

 生白い肌は、妖か病人のような雰囲気を想起そうきさせる。体型は細いが、髪は清潔にうるおっていた。健康なのか不健康なのか、貧乏なのか裕福ゆうふくなのか判別がつかない。

 言葉が通じている、ということはこの国の者か。だがやはり服装が。


 男は考えて。

 こういう時は大体アレではないか?と思った。時間を使った割には歯切れのいいトーンで問いかける。


「もしや異国の者か?」


 雪姫は、「異国?」とまぶたをパチコリさせて繰り返した。

 まあ広義的にはそうかもしれないけど──とにかく、この場をはやく切り抜けて安心したい。今はその解釈に乗ろう。


「はっはい、実は……あー、仲間とれちゃって、どうしたらいいか分かんなくて、えーっと」


 男は、「フム」とうなった。見れば両腕を組んで眉をひそめている。

 まずくなったら逃げよう、と雪姫は逃走のシュミレーションをした。後ろに急旋回きゅうせんかいして全速力で走る。小道があれば抜けて抜けて抜けまくって、どうにか拡散させよう。

 そのような脳内練習を男が一言で破った。


「一晩泊まっていけ」

「えっ」

「曲者であれば討つかと警戒していたが……」


 ずい、と男は相手へ顔を近づけた。驚いた雪姫は、つい肩を上げて後ろにのけぞる。

 斜めに登るしっかりした眉毛と、射抜くたかのような目つき。芸能人のように作り込まれた顔つきではない。それでも、絶対的な自信と頼もしさを感じさせる表情にどこか惹かれるものがあった。

 鼻息がかかってしまいそうで、思わず息を止めてしまう。

 すると男は、「っくく」と喉奥で笑ってみせる。そのあと投げかけられたのは、「あっはっは!」という大きな笑い声であった。


「そのように身を震わせて、まるで濡れネズミではないか!」


 雪姫は頬をピクリとさせて、「はあ?」と言った。言ったというか、喉からそういうものが出てしまった。

 

誰が濡れネズミだ。せめてウサギとかネコとかにしろ。


 美容を意識する雪姫にとって、彼の言葉は自分を貶しているようなものである。しかし、目の前の男に悪意は感じられない。

 本当にただただ面白い、といった反応だ。

 男は体勢を整えながら、いまだ笑みをこぼしている。


「もしその様子が嘘であれば、随分とに長けているな。すまんが……ふは、はははっ、俺にはお主が騙し討ちの才覚を持っているようには見えん、よほどの臆病者おくびょうものとみた!面白い。そら、屋敷まで案内してやろう」


 先ほど男が見ていたのは、雪姫のひらいた瞳孔どうこうだった。夜目やめがきくのか、焦点をきっちり合わせていたらしい。

 彼女のそれと雰囲気を手がかりに、怪しい者ではないと判断した。それゆえの大笑い。

 雪姫が困惑していると、「屋敷は橋の向こうだ」と告げた縞柄しまがらの浴衣は、背を向けてすいすいと歩き始める。少しすると、振り返って後ろ歩きをしながら、「そうだ。お主、名はなんと言う?」と明朗めいろうに聞いてきた。

 雪姫は、男について行きながら逡巡しゅんじゅんする。本名を迂闊うかつに言うのはいかがなものか。


「ユキです」


 悩んだ末、そう答えた。

 母がいつも自分を呼んでくれる時の愛称。そして、元いた世界を心の軸に置いておきたい。

 そういう無意識の決断だった。


「ユキか、そうか」


 頭の後ろで手を組んだ男はしっとり微笑ほほえんで、彼女が告げたそれを、「良き名だ」と言った。


「俺は鷹丸たかまるだ。六灯寺鷹丸ろくとうじ たかまる


 彼はそう述べて、体の向きを前に戻す。

 女の華奢きゃしゃな線とは似ても似つかない、広くて厚い背中に彼女は安堵あんどを覚えた。六灯寺鷹丸ろくとうじ たかまると名乗る男がどんな人物かも知らないのに、きっともう大丈夫だ、と思える。


 そうして雪姫──ユキは鷹丸にならって、「良い名前ですね」と返すのだった。

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異世界転移女子高生ユキ イグチ変渡 @guest_guest

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