異世界転移女子高生ユキ

イグチ変渡

第1話 ベストタイミング

「また異世界転移もの?見飽きたんだけど」


 ストリーミング・サービスの画面を眺めて、女は気だるげに呟いた。

 ボブカットの黒髪がつややかに光る。スワイプする指の爪は綺麗に切り揃えられていて、その色は唇とともに桜をしていた。


 尾賀雪姫 おが ゆきひめ16歳。都会に住む高校1年生だ。


 彼女はおもむろに、学習机へ置かれた小さいゼリーに手を伸ばした。つるんと喉に落とせば、それで間食は終わり。

 スナック菓子なんて食べない。日焼け止めも毎日塗るし、髪のケアだって怠らない。自分の顔に似合うメイクもばっちり勉強済み。名前負けしないような見た目でいなければ。

 そういう強迫観念きょうはくかんねんが雪姫にはあった。

 今は、夕飯までの暇つぶしにちょうどいい作品がないか、制服姿のままチェックしているところである。


「全然見る気しない、どうしよっかな」


 たくさんありすぎて、逆に何を見ればいいのか分からない。

 そう思いながら、車輪のついた学習椅子を左右に回転して遊んでみる。回ったのは気だるい精神だけだった。

 今はテスト期間中のため部活がない。

 放課後、駅前のコーヒーチェーンで友達と雑談をした。「えテストやばいんだけど」「ウケんね笑」と女子高生らしい史上最強の無駄話を連発。

 そのあと、ふらっと文房具メーカーに立ち寄ってモチベーションを上げる。ボールペンを試し書きして、ノリで付箋ふせんを購入。

 帰宅。


 以上。


 メイクを落とした雪姫は、勉強もろくにせずスマホを惰性的に見つめて呆けていた。







 日は沈んで、くもった街が薄暗がりに染まる。雷が空間を撃った。今にも雨が降りそうだ。


 雪姫は窓から外の状況を横目で流して、そろそろ1階へ降りようか思案していた。

 美味しい夕飯を食べたらお風呂に入って、SNSに写真を載せよう。ああでも、テストが終わるまで投稿頻度は下げておこうかな。

 ふわついた矢先、タン、タン、タンと下から音がした。

 母が階段を登っている。


「ユキー!あんた勉強してるのー?」


 というセリフ付きでだ。

「うげっ」と雪姫は面倒な気配を感じ、慌ててカバンをひっくり返した。

 ばさばさとノートや教科書を机に落とすと、手当たり次第に1冊開く。板書したページを開いて、適当なペンを持って、とにかく勉強している風に見せようと必死だった。


「ちょっと、ユキ」

「何?やってるって」


 扉を開けた母とは目を合わせない。

 雪姫は、今集中のピークだったんだけど?とでも言いたげに、ため息をついてアピールした。それを見た母は頬に手を添えて、「えー?そう?」と疑問符を浮かべる。


「そろそろご飯出来るから、冷めちゃうから」


 つぎはいだフェルトのような言葉を続けて発した。

 雪姫は、「んー」と曖昧に返すと、クマちゃんのかわいい付箋ふせんをいい感じにノートへ貼ってみせる。今日の放課後買ったアレだ。その時は確かに勉強のやる気があったはずなのだが。

 まあ、なんにせよ使うタイミングがあってよかった。

 夕飯のお告げというタスクを終わらせて満足した母は、「何で勉強してるのに赤点取るのかしら?」と呟きながら扉を閉めて降りていくのだった。


 親の疑問に対する答えは明白。

 勉強をしていないからでしかない。


 雪姫は母がいなくなってからも教科書をしばらく眺めて、やはりやる気が出ないのかペンを放り投げた。

 そんなことよりも、今の興味感心領域にあるのはご飯である。毎日ダイエット生活の雪姫だが、元々は美味しい料理が大好きなのだ。ぐうう、と腹がお茶目に鳴る。

 立ち上がりながらスマホを持つと、いつの間にか邦画ドラマが再生されていることに気づいた。何かの拍子にタップしてしまったのだろうか。それを止めるのが億劫になった雪姫は、そのまま部屋を出ることにした。


 扉を開けた先は、両親の部屋へ続く廊下。階段は彼女の部屋のすぐ右手にある。なめらかに体の向きを変えて、ドラマをなんとなく見ながら降り始めた。

 画面をスクロールして、作品情報なんかも読んでいく。


「時代劇だ。それも5年前のやつ」


 映像の中では、古い家が立ち並ぶ道を雨に濡れながら人間が走っていた。

 暗くてよく見えない。明るさを調整しようとしたら指を滑らせて設定が最大になってしまい、「うっ」と目を細める。

 その瞬間、映像内からピカッと稲妻いなずまが走った。雨ととどろきが鼓膜を揺らす。


 目がくらんだ雪姫は足を取り違えた。


 靴下が階段板を滑り、体が前のめりに投げ出される。「あっ!」と声を上げる間もなく、視界がぐるりと反転した。

 本能でつい目を閉じてしまう。

 ドサッ!という強い音と体の痛み。それだけを理解して、彼女の意識はゆっくりと失われていく。


 ──ああ、ご飯を食べるのが遅れてしまう。次に目覚めるのは病院のベッドの上だろうか。


 思考は妙に静かだった。

 そうしてついに気が途絶とだえる。

 寸前、外で鳴り響く雷鳴を、雪姫の耳はかすかに聞き取っていた。







 全身に痛みを感じる。

 雪姫は、「う……」と呻りながら記憶をたどった。そうだ、階段から落ちて気を失っていたのだった。

 後ろ全体に感触と圧を感じる。なるほど仰向けか。そう思って目を開けた少女は、狐につままれたような顔をした。

 呆然として起き上がらない。


 なぜか。


 視界いっぱいに映る世界。

 それは病院の天井でも、心配する母親の顔でもない。

 満天の星がきらめく夜空だったからだ。

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