チープライフ

乃木言

第1話

「おはよう」

と。誰に対してでも無く、強いて言うならば自分に向かって宣言するものの、いつものように1人であることを自覚して侘しさを感じるばかりだ。そうやって目を時計に向けるとすでに7時をまわっていたので、不良品のような自分のものであると仮定すらしたくない自分の体を布団の外へと引き摺りだした。コーヒー、引いてはカフェインとは毎朝のことながら偉大だなと、そう思ったのは7時半をまわった時だった。いくら偉大なカフェイン様でもそこまでの即効性を求めては不躾というものだろう。特に感想がある訳でもなく機械的に、或いは義務的に朝飯代わりのヨーグルトを食べる。壁にかけられた作業着を乱雑に鞄の中に押し込み、家の鍵を閉め、バスに乗り込み、工房に向かい、そしてついた。

住宅地のハズレに位置している、とてもとてもボロくて汚い自分の工房。ただ工房はといってみたものの、別に仕事をする訳でもなく何かしらを使って何かしらを作っているだけだ。と言うのもその辺のものを拾って来て、この世にある、蝶だかキュウリだかを作っている。しかし極論、親の遺産のおかげで、自分1人であれば一生遊んで暮らせる金が手元にあるのだから、これを仕事と表現するのには幾許かの抵抗がある。これが特段必要のないことである以上、仕事というよりかは趣味といった方がより正しくはあるだろう。ただこの工房も親の遺産で、初見時はそのボロさにそれなりに驚いたし、まわりにいた蠅どもは、途端に顔を伏せ出していた記憶がある。少し経って、日が頭の上に位置したところで一旦休憩として座りっぱなしで固くなった体を動かすためにその辺を散歩することにした。する事に、とは言ってみたものの、ほとんど習慣じみているのか或いは義務感におそわれているのかは分からない。自分自身それを自覚しているのでたまには道を変えてみようとおもった。なので絵に描いたような脇道に興味と体が持っていかれた自分を誰も責めはできまい。ただ、今はその時の自分を呪うばかりだ。そして過去形なのはもう散歩ではなくなっているからで、より正確に表現するとするならば迷った。迷ってしまった。いつもの事なのでケータイは置いてきてしまったし、なんだったら財布すらない。油断とは、ひいてはこのような同じような景色の連続の見られる場所とは恐ろしいもので、自分の居場所がわからない、方向感覚がわからない。踏んだり蹴ったり。ぽつぽつ。と雨が、降ってきた。とりあえず雨宿りのできる場所を求めて少しばかり上等そうな、平たく言えば金のかかっていそうな公園で雨宿りをした。少しお腹が空いてきた。

屋根付きのベンチのある公園でよかった。一旦落ち着いてから周りを見てみようと思ったので、見る。そうするまではあまり気にはしていなかったもののよく言えば絶妙な、悪く言えば周りに対して中途半端な馴染み具合だった。なんとなしにぼーっとしていると、周りよりもやけに明るい色の石を見つけた。持ち上げてみると異常な程だと、そう感じるレベルで軽い石だった。近くに川も無いのに何故だろうとそんなふうに思ったがとりあえず気に入ったので持ち帰る事にした。持ち帰るとは言ったものの、何故か帰りたいとは思えず、腹の音が五月蝿く思える。代わりに少々微睡んできた。この公園の名前すら、知りはしない。


もう日が傾いていた。この世界から青色が奪われ、ジメッとした陰鬱なはずの空気も、今はただ眠りの誘いとなっているようだ。近所の通行人に道を聞いてみるとすぐに問題は解決した。やけに馴れ馴れしく物を話す人物で、それでいて道案内に慣れているようであった。そんなわけで今はすでに工房に居て、日も暮れているのでここで寝泊まりをする事にした。起きて、軽く朝飯を摂ったら早速作業に取り掛かる。調子が良い。いつもと比べて格段に調子が良いようであった。しばし疲れてきたので、今日は恣意的にあの公園に足を運ぶ。昨日は当然ながらがらんどうだったが、今日はいかにも平凡といったみたところの40半ばほどのオッサンがタバコを吹かしていた。ただ、悲しげだった。倣ってベンチに座ると、

「話し相手になって欲しい」

 と声をかけてきた。特段暇なのでとりあえず了承した。どうにもこのオッサンは無職のようだ。無職同士だなと思った。声には出さなかったが。

「私はね、逃げてきたんですよ。あのままなあなあで働いていたらいつの日かおかしくなってしまう。そんな気がしたんです。自分を殺して生きていました。」

 あまり容量の得た言葉でこそなかったものの、脱サラニートだということは伝わった。あなたは自由が欲しかったんですか。

「いえ、まあでも…はい。きっとそうだったのでしょう。でもいざこうやってやらなければいけない事が綺麗さっぱり消えると、どうしたらいいかわからない。何もをしたくはないんです。今が幸せなんて思えません。でも前に進みたいとは思わないんです。」

 日々をなあなあで過ごしている自分からすると。耳の痛い話だ。でも人間、諦めて命でも投げ出さない限りなんとかなると思いますよ。

「ええ。知っています。でも理解はできません。どうしても、どうやっても。知ることと理解することは別だとは、使い古されたセリフですけどね。」

自虐的なセリフとは裏腹にその顔には笑みをたたえていた。

「そうですか。わたしは今、笑えていますか。」

 意外な事に、意外なようだった。

「私はね、平凡なんです。」

 妙に否定のし難い台詞を吐いてきた。

「赤点だったことなんてありませんでしたし大きなミスもありません。でも大きな成功も、100点もないんですよ。私は、いわばモブキャラ然とした人間でした」

 痛い程によくわかる。解ってしまう。どうしようもない無力感に苛まれ、余計な思考に沈んでいく。考えまいとすればするほどに、おぼれてしまいそうになる。

「私はね、それでもいいと思ってはいたつもりなんです。でも最近になって、私もそうなってきました。いっそのことこのまま首で括ってしまう方が楽なのではないか。何て言うふうに。」

 貴方はきっとつかれているんですよ。休みましょう。楽になるためにではなく、明日をいきるために。そうしないと、壊れてしまう。死んでしまったら、それこそこのままで終わりですよ。

「少し、エピソードトークをしてもいいですか。できるだけ短くはしますから。」

 もちろんだ。

「私には妻がいました。……何かいいたげですね。」

 いいえなんでも。

「ありきたりですけどね、つい半年前にその妻が死んでしまったんですよ。そのまま仕事も辞めて鬱屈とした日々を送っていました。何も手につかず、ただ妻の骨壷に祈っていました。誰も助けてはくれませんでした。痴がましいとは重々わかっているんです。………私は凡人だったと話したでしょう。だから私自身、そういった人を助ける余力があったことはありませんでした。その時になって初めて私は因果応報と言う言葉の意味を全身で理解しました。やりきれないまま、今でも私には空っぽのコップが握られているんです。」

「…有り難うございます。こんな得たいの知れないオッサンの愚痴を聞いてくれて。心持ちが楽になりました。どうです?お礼にコーヒーの一缶も奢りますよ?」

コーヒー一缶の思わぬ収穫だ。でも遠慮しておきます。貴方と話した会話の価値はコーヒー一杯と等価などでは決してなかった。

「そうですか。それでは少々のお暇を頂きます」

そう言って席を立った男の顔は、何かしらの決意を抱いているようだった。ベンチの近くには二つに割れた石があった事に、男は気づかなかった。

 1日ぶりの我が家である。柔らかい布団は何時だって恋しくなる。疲れていたからか、テレビをつけたまま眠ってしまった。朝起きて、そのままニュースを流しながらラジオのようにして支度をすすめる。どうやらデカい道路で飛び出し自殺をした人がいるらしい。物騒なものだ。こんな感想しか出てこない自分が情けない。いつものように工房にいき、いつものように仕事をする。この間の石が二つになっていた。その異常に気づかずに、仕事をする。

 

他人の言葉ひとつで変わるほど、人間は甘くない。少なくとも、今回は。


 いつもの散歩に目的地ができたのはいいことだと思う。いつもはその辺を徘徊して結局は何もせずに帰る、何て言うかぼおっとしたお散歩ライフを送っていたから。今日は誰もいなかった。当然だ。こんな真っ昼間から公園でやさぐれている方が異常なのだ。方が、というのはもちろん自虐でもあるし同じような、昨日のオッサンのような人の事である。なんとなしにベンチに座ってみる。特段疲れてもいないが、何となく額に手の甲をあててみる。なんと痛々しくもドラマ性のありそうな絵面なことだろう。あとはそのドラマ性さえあれば、不審者脱却の道は近い。いい年したオッサンが公園のベンチに一人で佇んでいるのだ。近所の子供達に公園の妖精扱いされても文句を言えない。しかし、やけに落ち着く公園だ。静かで、純粋で、何よりこの空っぽな感じがたまらない。

 昨日の一件で気がついたことがある。それは[何もない]と言うことだ。特に  悲惨な過去を背負ってないし、一番の親友がいないし、高め合うライバルもいないし、大きな出会いもないし、大きな別れもないし、一生をかけて愛したい人はいないし、何かに一生懸命になれた事はないし、記憶喪失になったことはないし、スゴい人も落ちこぼれも近くにいなかったし、熱いやつとなんて会ったこともない。

 だから私はこの公園を気に入っているのだ。親近感。

 となると当分の目標はそこからの脱却だ。一歩一歩すすんでいこう。なんかこう、とてもスッキリとした。自己理解が深まるとはこういうことを言うんだろうな。人生これから。特別になれるように頑張っていこう。


 確かに公園に行く前に、石は二つになっていた。しかし増えてはいない。ただ割れていただけだ。とどのつまりはそう言うことで、この男は二日後に死んだ。なんてことのない、ただの飲酒運転の巻き添えだ。死にたくても生きたくても、誰であろうと死ぬ時は死ぬし、死んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チープライフ 乃木言 @Nogigon7722

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ