第6話 垣間見た弱さ

缶ビールを半分ほど空けた頃、結衣はふっと視線を落とした。

ついさっきまでの冗談めかした調子が、急に弱まる。

声の張りも消え、空気がひとつ沈んだように感じられた。


俊太郎は、缶をまだ開けられずに握ったまま、その変化に気づく。

声をかけるべきか迷い、喉がひとりでに鳴る。


「…長く付き合ってたのに、結局ダメだった」


結衣は小さな笑みを浮かべた。

笑みといっても、自嘲じちょうに近い。

目尻がわずかに下がり、遠くを見つめるようなその表情に、俊太郎は胸がざわつく。


「もう35よ。今から新しい人見つけるなんて、どれだけ大変か…」


語尾はかすれて、床に落ちるように消えた。

ベッドの端に座った彼女の肩が、ほんの少しだけ小さく見えた。


俊太郎は返す言葉を探すが、頭の中は空白だ。

普段の毅然とした結衣の姿が脳裏をよぎり、今の彼女との落差に戸惑う。


「結局、仕事しかしてこなかったのかなって」


結衣はそう言って足を組み替え、視線を膝の上へ落とした。

靴を脱いだ足先が、かすかに揺れる。


「人より早く出世したって…」


指先で缶をくるくると回す。

アルミが小さな音を立てるたび、空虚さが部屋に広がるようだった。


俊太郎は口を開こうとして、閉じた。

慰めの言葉も浮かばない。

無理に「そんなことないですよ」と言えば、彼女の孤独に触れずに通り過ぎるだけになる気がして、声が出なかった。


「人並みに、幸せな結婚…してみたかったな…」


その言葉は、結衣がふっと息を吐いたあと、時間を置いてこぼれた。

声はかすれ、空気に溶けて消える。


シングルルームの狭さが、余計に沈黙を濃くした。

外からは、かすかな車の音だけが聞こえる。

居酒屋で笑い合っていたときの喧騒けんそうが、遠い幻のように思える。


俊太郎は、心臓が高鳴るのを意識しながら、ただ黙って彼女を見つめるしかなかった。気の利いた言葉も、慰めになるはずのフレーズも見つからない。

結衣の孤独があまりに生々しくて、軽い言葉で触れるのがためらわれた。


ベッドに座る彼女は、普段の「上司」でも「先輩」でもなかった。

ひとりの女性として、弱さをさらけ出していた。

俊太郎はその素顔を垣間見て、胸の奥を締めつけられる。


缶を開けていない自分の手が、不自然に重く感じられた。

視線を逸らすこともできず、ただその場に座っていることが精一杯だった。


やがて、結衣は小さく笑う。

酔いのせいか、それとも自分の言葉を誤魔化すためか。

けれどその笑みは、どこか壊れそうなほど頼りなかった。


部屋の空気は、もう“打ち上げの延長”ではなくなり、完全に、ふたりだけの、個人的な時間へと変わっていた。

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