偏差値レバニラ

獬豸

第1話:効食の国で、レバニラを夢見る

 昼休みのチャイムが鳴り響いた。

 教室に一斉に広がるのは、銀色のパックから押し出される無味のペースト。机の上には白くも灰色ともつかないドロリとした物体が並び、そこに生徒たちはためらいなくスプーンを突っ込む。誰も不満を言わない。言う必要がない。これが「効食こうしょく」――この国で人間が口にする唯一の食糧だからだ。


 そのなかで、ひとりだけ異彩を放つ声が上がった。


「うわぁ……やっぱり味しない! これじゃ集中力が切れるよ~。レバニラ炒めだったら三倍速で宿題終わるのに!」


 机に突っ伏しながら、天羽灯莉あもう あかりは大げさに呻いた。スプーンの先から落ちかけた効食をキャッチすることも忘れ、机をドンドン叩いて騒ぐ。


 周囲の生徒たちは「また始まった」とでも言いたげに苦笑し、視線を逸らす。


 ただひとり、冷ややかな目で彼女を射抜く少女がいた。


「……天羽、授業の疲労を栄養で回復するのは効率的。でも、“味”なんて不要だろ」


 声の主は篠森澄玲しのもり すみれ

 背筋を伸ばし、銀色の瞳を細めるその姿は、整然と並ぶ教室の空気そのもののようだった。彼女の効食パックはすでに空になり、机の端にきっちりと畳んで置かれている。


「味が不要? いやいやいやいや! 澄玲ちゃん、わかってないなぁ。レバニラだよ!? レ・バ・ニ・ラ! 鉄分パワーとニラの魔力で脳が“効率超え”しちゃうの!」


「……効率超え?」


 澄玲は眉ひとつ動かさず、わずかに首を傾げる。


「うん! 効食ってのはさ、ただの燃料タンクにガソリン突っ込むみたいなもんでしょ? でもレバニラは違うんだ。あれは魂をブーストする創作料理。母さんが昔ね、こっそり作ってくれたんだよ」


「……創作料理……?」


 教室の空気がピクリと揺れた。

 その単語を耳にして、何人かの生徒がさりげなく顔を上げる。だが澄玲は気にする様子もなく、まっすぐに灯莉を見据えていた。


「天羽。規則で禁止されているのは知ってるな? 効食以外の摂取は“非効率行為”として処罰対象だ」


「だって食べたいんだもん!」


 灯莉は机を叩いて立ち上がる。

 スプーンから零れた効食が床に落ちるのも構わず、彼女は声を張り上げた。


「わたしはレバニラを食べたい! 効食じゃ絶対に満たされない何かが、あの味にはあるんだよ!」


 その瞬間、ざわ……と教室の空気が濁った。

 先生の目が光り、生徒たちの視線が一斉に灯莉へと注がれる。

 それでも彼女は胸を張って言い切った。


「だからわたし、もう一度レバニラを作る!」


 ……バカだ。

 澄玲は心の中で呟いた。

 だが、不思議と視線を逸らすことができない。


 ◇◇◇


 放課後。


 澄玲は、なぜか灯莉の背中を追っていた。

 校門を出たあと、彼女は街の外れの廃棄区画へと足を運んでいたのだ。


「……天羽。まさか本気で創作料理を……?」


「しーっ! 声が大きいよ、澄玲ちゃん」


 振り返った灯莉は、悪戯っぽく唇に指を当てて笑う。

 その瞳は昼休みのふざけたものとは違い、なぜか真剣に煌めいていた。


「母さんの部屋を整理してたらね、古いノートを見つけたんだ。そこに――レバニラのレシピが載ってたの!」


 灯莉は胸元から古びた紙切れを取り出し、両手で大事そうに掲げる。

 黄ばんだページには、手書きの文字で材料と手順が書き込まれていた。


「ほら、“レバー200g、ニラ1束、醤油大さじ2”……ね? これがあれば、きっとまた食べられる!」


「……正気か」


 澄玲は目を細める。

 効食以外の食材など、研究所や裏市場にしか存在しない。しかも、当局の監視は厳しい。

 見つかれば、ただでは済まない。


「天羽。もし捕まったら――」


「それでもいい!」


 灯莉は即答した。

 頬を紅潮させ、ノートをぎゅっと抱きしめる。


「レバニラはただの料理じゃないんだ。母さんが最後にくれた“生きてる実感”なんだよ。効食ばっかの世界で、どうしてももう一度あの味に会いたいの!」


 言葉が、胸を打った。

 澄玲は思わず息を呑み、返す言葉を見失った。


 ◇◇◇


 やがて二人は廃倉庫に辿り着いた。

 錆びついた鉄扉を押し開けると、埃っぽい空気がむわりと広がる。


「ここならきっと、誰にも見つからない……」


 灯莉が息を弾ませながら呟く。

 その手には、持ち帰ったレシピノート。


「澄玲ちゃんも、一緒にやろう? レバニラを取り戻す冒険!」


 差し伸べられた手を、澄玲はしばし見つめていた。

 非効率。危険。愚か。

 ――それでも。


 気づけば澄玲は、灯莉の手を取っていた。


 ◇◇◇


 廃倉庫の扉を押し開けると、埃と錆の匂いが鼻をついた。

 薄暗い空間に、昔の棚や割れた箱が散乱している。


「うわ……ホコリすごい」

 灯莉はくしゃみをしながら身をかがめ、棚の下を覗き込む。


 小さな木箱の中から、ひょろりとニラの束が出てきた。

 葉は少し枯れかけているが、なんとか調理に使えそうだ。


「やった! ニラ確保!」

 灯莉は小声で歓声を上げる。


 一方、澄玲は冷静に周囲を見渡していた。

 監視カメラやセンサーはないか、音や光で警告される仕掛けはないか――。

 この倉庫は長年放置されていたらしいが、油断は禁物だ。


「次は……レバー。普通の市場じゃ絶対手に入らないんだよね」

 灯莉は壁際の古びた冷蔵庫に目をつけた。鍵はかかっていない。


 中を開けると、半ば凍った肉塊がいくつか残っていた。

 「生きてるうちに作ったら、こんなに冷たくなっちゃったんだろうな……」

 灯莉は小さくつぶやきながら、レバーを慎重に取り出した。


 澄玲は手際よく包丁を持ち、レバーを下処理し始める。

 灯莉の慌てた動きとは対照的に、澄玲の手元は正確で無駄がない。


 ◇◇◇


 材料が揃った。

 しかし問題は調理器具だ。効食しか使わない世界で、フライパンなんて存在するのか?


「母さんの部屋で見つけたフライパン……あれしかないかも」

 灯莉は紙切れのレシピを見つめる。


 倉庫の隅に埃をかぶった鉄鍋を発見した。

 底は少し錆びているが、水で洗えば使えそうだ。


「これでいける……かな?」

 灯莉が不安げに澄玲を見ると、澄玲は淡々と頷いた。


「安全確認をしながらやる。無駄な冒険はしない」


 二人は息を合わせ、鉄鍋をコンロ代わりに倉庫の簡易ヒーターにかける。

 火力は弱く、思うように温度は上がらない。

 だが灯莉の目は輝いていた。


「いくよ……レバニラ、再起動!」


 ニラを細かく刻み、レバーをフライパンで炒める。

 鉄の音、油の跳ねる音、香ばしい匂い――効食には絶対ない感覚が、灯莉の脳を震わせた。


 ◇◇◇


 香りが倉庫に漂う。

 灯莉は目を閉じ、深呼吸した。


「うわ……これこれ! これが欲しかったんだ!」


 澄玲も無言で鍋の中の食材を混ぜる。

 無口だが、確実に手は動く。

 少しずつ、レバニラが完成に近づく。


 しかし、その瞬間――


 「――そこにいるな」


 低く、冷たい声が倉庫に響いた。

 二人は同時に振り返る。


 暗闇の中、影がゆっくりと近づいてくる。

 監視者だ。


「効食以外の摂取を確認。立ち止まれ」


 灯莉の手がフライパンに止まる。

 心臓が激しく鼓動する。

 しかし灯莉は、澄玲を見上げ、微笑んだ。


「……もう、やめられないよ」


 澄玲も小さく息を吐き、覚悟を決める。

 二人の間には、確かな絆と、反逆の意志が生まれていた。


 鉄鍋の中で、レバニラは静かにジュウジュウと音を立てていた。

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