推しは貴族のたしなみです

スクレ

第1話

「父上、どうかお許しください。私は心の底から彼女を推しているのです!」


 ◇


 ある所にあと数か月で三十路になろうかという公爵家の跡取り息子がいた。名前をレオポルト・ド・ヴァレンティー二という。


 レオポルトの人生はまさに順風満帆だった。公爵家の一人息子として生まれ、将来は父の後を継いで領地を治めるのだと、幼いころから言い聞かされ英才教育を受けてきた。


 幸いだったのは彼が貴族という立場に胡坐をかくことがない、実直に努力を積み重ねるまじめな性格だったことだ。父の言われたとおりに勉学に励み体も鍛え、心身ともに跡取りとして相応しくあれと自身を磨き続けてきた。


 貴族であることを鼻にかけないそのあり方は、領民たちからも将来は立派な領主となってくれるだろうことを期待されてきた。


 不幸だったのはレオポルトが自身の欲求に対して鈍感だったことだ。彼は幼いころから他人の求めや期待に応えてきたが、それは自分が本当に何をしたいのか、何を求めているのかがわからないがゆえの穴埋めのようなものだったのだ。


 だからこそ、順風満帆な人生を歩み続けてきたこの歳になって、レオポルトは空しさを感じていた。


「はぁ、私の未来が手に取るようにわかる。このまま父が引退する頃には領地を受け継ぎ、数回しか話したことがない許嫁といずれは結婚。そして両家と我が領地の繁栄のためにこの身を捧げ続ける。果たしてそこに、私と言う意志は存在するのだろうか……」


 日がたつごとに空しさは募りつつも今の立場を放棄することもできず、かといって他に何をすればいいのかもわからないまま日々を同じように繰り返すことしかできない。


 そんな悩みを抱えていてもやるべきことはやらなければならない。レオポルトは今日、ヴァレンティー二家が統治する町の一つである〈アポス〉に視察に来ていた。なんでも近頃は吟遊詩人の一座が来ているというので、ついでに一曲見ていこうかとその町の広場に立ち寄った。


 一座の演目はすでに始まっており、そろそろトリに差し掛かるところだった。最後の曲を務めるのは一座の中で最も人気のある吟遊詩人だ。


「彼女が歌姫と名高いセリーヌか。聞いていたより可愛らしい見た目だが、実力はいかほどか……」


 宴もたけなわの大歓声の中、セリーヌが一礼し歌の準備をし始めると周りは徐々に静かになり始めた。そして――。


「すぅーっ、~~~~~♬」


 ◇


 セリーヌの歌が作り出した静寂が、終わりとともに切って破られた。観客たちは今日一番の大歓声を上げ指笛を鳴らして祝福する者や、涙を流しながら目を閉じて余韻に浸る者も。そして人生で初めて聞いた心を解きほぐす、絹のようにきめ細かく優しく耳に残る歌声に虜になった者がここにも一人。


 そう、レオポルト・ド・ヴァレンティ―二その人である。


 そのあとのことをレオポルトはよく覚えていなかった。まだ残っていた視察を終えて屋敷に戻り今に至るのだが、自分が視察で何をしていたのかよく思い出せなかった。


 唯一はっきりと記憶しているのは、あの可憐な少女のあたたかな鈴音のような美声と演奏が混然一体となってこの町の人々すべての心をいやそれらを超越して世界の隅々まで行き渡らんとする癒しの波動がいつまでも耳の中に残り記憶の中の彼女が何度も何度も私の為だけに歌を歌いいつまでも終わらない輪廻の中に自分が吸い込まれていって自分の思考も体も周りの音も世界も全てが一つになって調和しているかのよう――。


「はっ!わ、私はいったい…」


実際の所は視察中も、このようにセリーヌの歌を思い出しては思考の渦に飲まれ正気を取り戻してはまた思い出して、を繰り返していたレオポルト。


「(どうしてしまったのだ私は。こんなことでは公爵家の跡取りとして職務をまっとうできるはずもない。だがしかし、もう一度あの歌を聞きたい……)」


 まさしくレオポルトはセリーヌの歌の虜になっていた。


 それからレオポルトはどうにかして時間を作り、またセリーヌの歌を聞きに行こうと思うようになった。


「爺や、次のアポスへの視察はいつになる?」


「アポスでございますか?先日行かれたばかりですので、次は3ヵ月ほど先かと」


「(3ヵ月っ!とても待てない、どうにかして時間と口実を作らねばっ)」


 レオポルトは溜まっている書類の束を普段の2倍ほどのスピードで処理していく。貴族と言う立場のため本来休暇というものは存在しない。やることや考えることなどいくらでもあるが、今は他の何をさしおいてもセリーヌの歌を聞きに行きたい気分だ。


 そのようなペースで数日間仕事をこなし、ようやく一日時間を空けることが出来た。


「爺や、私は久々に狩りに出かけようと思う。旅の支度は私が済ますから馬を手配しておいてくれ」


 今回の口実は狩りに行く事だった。貴族のたしなみとしてレオポルトは何度か父と一緒に狩りに出かけることがあった。


「かしこまりました。では護衛の者もこちらで何人か招集しておきましょう」


「っ!いや今回護衛は必要ない。今回はそれほど奥まで入ることもないだろうからな」


「なりませぬぞレオポルト様。御身はヴァレンティ―二家の跡継ぎなのですぞ、万が一のことがあっては、この爺はお父上に顔向けできませぬ。何とぞどうか」


「そ、そうだな……わかった」


 レオポルトは自身が周りの人々にとってどれほど重要な存在かをわきまえている。それゆえに爺やのこの殺し文句にはいつも納得させられてきた。しかし、今回だけはセリーヌの歌を聞くために一人で行きたい。


 自身が貴族でなかったのなら堂々とセリーヌの歌を聞きに行けばよいのだろう。だが、それは父が許さない。


『貴族たるもの偏ることなかれ、己を律し全てに対して公平なる態度で臨むのだ』


 それが父上によく言い聞かせられてきた貴族の理想像である。セリーヌの歌に聞きほれてしまった事を父に知られてしまったら、おそらく厳しく咎められ外出を制限されてしまうだろう。


 そうならないためにもセリーヌの歌は、できるだけ誰にも知られず聞きに行かなければならない。


 爺やが駄目なら護衛の方を何とかしよう。レオポルトが準備を済ませ屋敷の門を出たところに、爺やが手配してくれた馬と二人の護衛が待っていた。


「「お待ちしておりました、レオポルト様」」


「今回は同行ありがとう(さて、どうするべきか……)」


 午前中、レオポルトは護衛を伴って狩りをしていたが、結局二人を引き離す上手い口実が思い浮かばなかったので、レオポルトは発想を変えることにした。引き離せないならば二人にもセリーヌの歌を聞かせて虜にしてしまえばいいと。


「二人とも、午後からはアポスの町に向かいたい。何でも吟遊詩人の一座が来ているらしいのだが、前回の視察では聞くことが出来なくてな」


 レオポルトは人生で久しぶりに嘘をついたことに小さな罪悪感を覚えたが、きっとセリーヌの歌を聞けば二人も感動し秘密を共有してくれると確信していた。


 そして時間は過ぎ先日訪れたアポスの広場に到着。今回はセリーヌの歌が始まる少し前に到着した。


「レオポルト様、ありがとうございます。吟遊詩人の歌を聴くのは初めてなのでとても楽しみです」


「自分もであります」


「ああ、二人も彼女の歌を聞けばきっと虜になるだろう」


「えっと、レオポルト様は歌姫の歌を聞いたことがあるのでしょうか?」


「(しまった!)い、いや、歌姫の評判は有名だからな。貴族の間でも噂になっているのだ」


 セリーヌの事を推したくてつい熱が入ってしまったレオポルトは慌てて取り繕う。そうこうしている内にセリーヌの歌の順番が回ってきた。


 ◇


「感激であります!このような美声はこれまで聞いたことがない!」


「素晴らしいですね!これが歌姫、容姿の可憐さもさることながら演奏ときれいな歌声が調和しています」


護衛の二人もセリーヌの歌声に沸き立っていた。そしてレオポルトは、


「…………、まさに、至福――」


 目から一滴の涙を流し感無量と言った様でセリーヌの歌を噛みしめていた。


 そして一座のメンバー全員が並んで一礼したあと、おひねりの時間がやってきた。吟遊詩人達の収入は主に公演による町からの依頼料と町民からのおひねりで成り立っている。


 一座のメンバーがそれぞれ帽子や箱などの器をもって回り、観客たちは思い思いに銅貨や銀貨をその中に放り込んでいく。レオポルトもそれにともないおひねりを入れようとした。入れるのはもちろんセリーヌが持っている器にだ。


 おひねりを入れるついでに何か感謝の言葉を伝えねばと、レオポルトは頭の中で数十通りの賞賛の言葉を思い浮かべてはああでもないこうでもないと切り捨て、ようやく考えがまとまってからいざセリーヌの元へ。


 しかしセリーヌを前にして考えていたセリフはなぜか喉から出てこなかった。


「(あああああああぁぁ、わ、わたしは、な、何を言うのだったか……)」


 レオポルトの立ち尽くす姿にセリーヌは首を傾げる。仕方なしにレオポルトはせめておひねりだけでもしっかり入れようと、手元の財布に入っていた有り金を鷲掴んで入れた。


「あ、あの!さすがにこんなにいただくのは申し訳ないです」


 セリーヌが遠慮するのも当然だ。レオポルトが鷲掴みにして入れたそのほとんどが金貨である。この世界換算で一般市民の2年分の給料をポイっと入れられては、もらう側も戸惑ってしまうというもの。


「い、いや気にしないでくれ。君の歌はその、とても素晴らしかった。それに対する正当な対価だと思ってくれ(あぁぁ~っ、なぜこんなありきたりな言葉しか出てこないのだ私はっ!)」


 居ても立ってもいられずレオポルトは逃げるようにその場を立ち去ってしまった。


 ◇


 それからしばらくたったある日の執務室。二度目のセリーヌの歌を聞き一時は平静を取り戻したかに見えたレオポルトだったが、


「(聞きたい聞きたい会いたい会いたい、セリーヌに会いたいセリーヌの歌が聞きたい)」


 流れるように書類を処理しつつも頭の中はセリーヌのことで大嵐だった。それからのレオポルトはより一層セリーヌへの推し活に熱を出すことになる。


 ある時は屋敷周辺で乗馬の練習をしたいからといってこっそりアポスまで馬を走らせたり。またある時は内密に自分そっくりの声を出す身代わりを立て執務室にずっとこもっているように見せかけたり。


 あの手この手で屋敷を抜け出してはセリーヌの歌を聞きそして感無量。帰りは秘密の抜け穴を通っていつも通り執務をこなしている風を装った。しかし、そんな日々も長くは続かず――。



「このような時間までどこに行っておったのだ、レオポルト?」


その日もこっそり抜け出して秘密の抜け道から帰ってきたレオポルト。しかし抜け道を出た先で待っていたのは、レオポルトの父ランパルト・ド・ヴァレンティ―二だった。


「ち、父上、このような時間になぜこのような場所に」


「先に聞いておるのは儂だぞレオポルト。今までどこに行っておったのだ?」


 こうなってはいた仕方ない、とレオポルトは全てを打ち明けることにした。


「つまりお前は執務を放り出して、市井のただの吟遊詩人にうつつを抜かしていたということか!?」


「ただの吟遊詩人ではございません!彼女は――」


「黙れ!しかも貴様には許嫁もおるのだぞ。結婚を控えた身で他の女に懸想するとは何事か!」


 ランパルトの発言を聞いてレオポルトはなぜか驚いたように目を見開いた。


「け、懸想?私はセリーヌ嬢の事をそのような対象として見たことはございません」


 レオポルトのその発言を聞き今度はランパルトが不意を突かれたように目を少し見開く。


「どういうことだ、お前はそのセリーヌという吟遊詩人のことを異性として慕っているのではないのか?」


「まったくもってそのような事はございません。私はセリーヌ嬢のことを、推しているのです!」


「推し、ている、とはどういう意味の言葉なのだ?」


 聞きなれぬ言葉にランパルトの眉は軽くハの字に曲がる。


「町民達から聞きました。市井では特定の人物を応援する事を〈推す〉という言うのです」


 レオポルトの説明は簡潔だったが、それでもランパルトは理解に数秒を要した。


「父上、どうかお許しください。私は心の底から彼女を推しているのです!」


「~~っ、だがっ、執務を放り出すなど言語道断だ!」


「いいえ放り出してなどいません。セリーヌ嬢に会いに行く時は執務を前倒しで処理してから赴いております」


 ランパルトはおでこを抑えながら我が息子のまじめさと優秀さを、この時だけは恨めしく思った。そして深々とため息をついた後、


「だがたとえ懸想を抱いていなかったとしても、その吟遊詩人に対するお前の入れ込みようを許嫁殿が知ったら、きっと快くは思わないだろう」


「そ、それは……」


 価値観は人それぞれだとして、例え恋愛感情でなかったとしても彼氏や夫が他の女のことばかり考えているのを、快く思わない妻や彼女がいることは間違いないだろう。


「頭を冷やして考えるのだ。レオポルト、お前が許嫁殿と結婚することは両家とその領地の恒久的な平和と繁栄のためにも、必要不可欠なのだからな」


 そう言い残してランパルトは屋敷の中へと戻っていった。それから数分後にレオポルトも自室に戻った。頭の中では両家の未来とセリーヌへの気持ちを天秤にかけ、されどどちらに傾けることもできずにその日は眠りについた。



 ランパルトから言われたことが頭から離れず、されどセリーヌへの推し心を捨てきることもできぬまま日々は過ぎていく。そんな中、久方ぶりに婚約者と顔合わせすることが決まった。


「レオポルト、あれから考えはまとまったか?」


 あれとはつまりセリーヌへの推し活を自粛するかどうかということだろう。


「……いいえ。申し訳ありませんがどうやらこの気持ちは簡単に捨てることが出来ないようです」


「そうか、思えばお前があれほど何かに夢中になったのは初めてかも知れぬな。だが今は切りかえろ。許嫁殿との顔合わせをしっかり果たしてくるのだ。もしかすれば、話している内に考えもまとまるやもしれぬ」


「……はい」


 レオポルトは正直にいうと、許嫁に対して特別な好意も嫌悪も抱いていない。数回顔合わせをしたが、どうにも心の内が見えてこず話していても何か別のことを考えているかのような、そのような印象だ。


「(おそらくあちらも私に興味などないのだろう。所詮は両家の関係を固めるための政略結婚か)」


 ともかく今は貴族として為すべきことを成そうとレオポルトは無理やり気持ちを切り替えたのだった。



 ヴァレンティ―二家の屋敷内にある庭園。その一角の噴水の傍にあるテーブルに一人の女性が座っている。名をシルヴィア・ド・テネブレという。


 シルヴィアはじっと座ったまま、どこか退屈そうに虚空に視線を置いていた。


「お待たせして申し訳ない、シルヴィア殿。本日も、御身の美しさはお変わりないようで何よりだ」


「お世辞は結構です。あなたもお変わりなさそうですねレオポルト様」


 このやり取りもレオポルトにとっては慣れたものだ。貴族として出会い頭に女性の美しさを褒めたたえるのは当然のことなのだが、シルヴィアはいつもそれに対して冷たい反応を取る。


 今ので挨拶が済んだとばかりにシルヴィアは再び虚空を見つめる。遠巻きにとはいえ従者や護衛が周りに控えているため、形だけでも良好な仲を装わなければならない。しかし私には関係ないとばかりにこのシルヴィアはいつも必要最低限の会話しかしなかった。


「(まさに今日も変わらず、か……)先ほどは虚空を見つめておられたようですが、何をお考えになっていたのですか?」


 せっかくの顔合わせで何も話さないのは気まずすぎるので、レオポルトは取っ掛かりとして気になったことを聞いてみたのだが、


「別に、他愛もないことです。レオポルト様がお気になさることではありません」


 この返答も予想通り、まったくもって会話をつなげようとする意志が感じられない。レオポルトはもういっそ思い切って、自身の気持ちを打ち明けることにした。


「シルヴィア殿、今まで何度か顔合わせしていただいたにもかかわらず申し上げにくいのですが、私はこの婚約にはあまり前向きではありません。あなたもそうなのではないでしょうか?」


「っ!」


どうやら核心を突けたようでシルヴィアの美しい無表情にがわずかな反応があった。


「……ええ、両家の関係を強固にするための政略結婚。わたしはそんなものに全く興味がありません。これまでも何度か縁談を頂きましたが、全てお相手から破棄なさるよう仕向けてきました。あなたもそうしてくれるのでしょうか?」


 やはりか、とレオポルトはシルヴィアに対して抱いていた印象が正しいと言うことが分かった。ならばとレオポルトは自身の中で決心を固めた。


「私は少し前までは、このまま身を固めてしまっても良いと考えていました。あなたのお気持ちはこれまでの顔合わせで察していましたが、それが両家の、そして領民の幸せにつながるならば、と」


「くだらないですね。貴族らしい、いかにも自身の幸せを度外視した考え方です」


「ふふ、そうかも知れませんね。ですが最近は、本当にこのままで良いのかと考えるようになりました。私の中にある気持ちが芽生え、それゆえに決断することができなかったからです」


「ある気持ち、ですか。他にお慕いする女性でもできたのでしょうか?だとすればなおさら私にとっては好都合です」


 レオポルトも結婚に前向きでないことを知ったからか、シルヴィアはいつにもまして言葉を選ばず冷たい返答をする。


「いいえそうではありません。恋心とは違う、これはいうなれば推し心です」


「推し、心……?」


「はい。特定の人物を応援したい気持ちのことを、市井では〈推し心〉というのです。シルヴィア殿、私は先日ある吟遊詩人の少女の歌を初めて聞きました。気づけば彼女の歌の虜になり、次はいつ会いに行こうか、どのような言葉を届けようかと、寝ても覚めても彼女の事ばかりを考えるようになってしまったのです」


「そ、それは、」


「私は吟遊詩人の歌姫、セリーヌ嬢をこの上なく推しているのです!ですからシルヴィア

殿、私との婚約は今日を持って——」


 気持ちの高ぶりのままレオポルトは婚約の破棄を伝えようとしたが、シルヴィアがテーブルを強くたたき突然立ち上がったためセリフは途中で遮られた。そして、


「ああ、あ、あ、あなた、セリーヌ様のお歌をどこで……?」


「ど、どこでというと、アポスの町です。セリーヌ嬢が所属する一座が公演のために長期滞在しておりますので」


 それを聞いた途端シルヴィアは頭を抱えて何やら独り言を言い出した。


「し、知らなかった。まさかアポスに訪れているなんて。まさか母上が意図的に情報を伏せて……」


 しばらく何やら自問自答を繰り返した後、急に顔をあげてレオポルトの方を見る。


「レオポルト様、確認いたしますがセリーヌ様のどういう所、お、推しておられるのですか?」


 何やら急に雰囲気がかわったシルヴィアに戸惑うレオポルトだったが、セリーヌの話を振られたとあっては黙っていられず、思い思いの言葉で彼女を誉め称える。


「どういう所も何も、歌、容姿、礼儀作法に観客に向ける屈託のない笑顔、サービス精神共々全てですっ!」


 そのあと、まるでダムが決壊したかのごとくとめどなく溢れるセリーヌへの推し心。これまで忍んで聞きに行った数々の歌、そしてそこで体験し僅かながらにセリーヌと接してきた中での印象や嬉しかったこと、感激したことを余すことなく感情のままに話す。


 話を聞いている最中シルヴィアはうんうんと頷ずくことが多かったが、最終的には、


「ふんっ、まだまだ俄か、ですのねレオポルト様」


と、勝ち誇ったかのようにシルヴィアはそう言い放つ。


「それはどういう意味ですかシルヴィア殿?」


 普段は温厚なレオポルトもセリーヌへの推し心を軽んじられたとあって、眉根が険しくなる。


「言っておきますが、わたしの方があなたよりももっと前にセリーヌ様の虜になり、あなたより長くセリーヌ様のファンとして活動してきたのです!」


「わ、私よりも、もっと、前にっ!?」


 まさかのシルヴィアがセリーヌのファンであり、レオポルトよりも前からセリーヌの追っかけをしてきた猛者だったとは。それを知ったレオポルトは生まれて初めて感じる衝撃に足元がふらついた。


「初めてセリーヌ様のお歌をお聞きしたのは4年前。そのころは今よりさらにあどけない少女でしたけれど、その天才的な歌唱力はすでに開花しており私は一瞬で心を奪われました……」


 まるで親心のような、私が育てたのだとでも言いたそうな、そんなあの日を懐かしみ頬を緩ませた状態でシルヴィアの自慢話は長々と続く。


「——そして一年ほど前にようやく、ようやく念願かなって、セリーヌ様の一座を我が屋敷に招待する事が叶いましたの!」


「や、屋敷に招待っ!!そ、その手があったかぁ……」


「ふふふ、どうです羨ましいでしょう?ですが彼女は吟遊詩人、風と共に移ろい世界を舞台として歌を奏でし存在。その時に一度、我がテネブレ家お付きの歌い手にならないかと聞いてみたのですが、断られてしまいました」


「さすがセリーヌ嬢。吟遊詩人として誇りとあり方を持つがゆえに、あの繊細でありながら気高さを感じる歌声を出せるのか……」


 レオポルトは深々と納得したが、それに対しシルヴィアは再び冷たい表情に戻り、


「先ほどからセリーヌ『嬢』とは少し馴れ馴れしいのではないでしょうか?俄かとはいえあなたも一人のファンであるのなら様付けは必須でしょう」


「お言葉ですがシルヴィア殿、彼女はそのような敬称ごときを気にするような浅い器の持ち主ではないはずです。彼女の歌声はまさに女神のごとしですが、歌とは貴族や平民など階級関係なく広く大勢の人々に届けることを、彼女は是としているはずです」


「セリーヌ様との交流などたいして持たないくせに、よくもまあ想像で彼女を語りますわね……」


「はっきり言って、私はあなたが羨ましい。あなたに比べれば彼女との交流などないに等しいというもの。ですから、これから彼女を屋敷に招待し交流を深めようと思います」


「あっ、卑怯ですわ!私だってまたセリーヌ様とお話ししたいのにっ!」


「そうと決まれば今日の所は顔合わせは以上ということで。私はこれから一座と連絡を取り歓待の段取りを決めなければ」


 善は急げとばかりにレオポルトは立ち上がり屋敷に戻ろうとするが、その腕をシルヴィアが体全体で掴み阻止する。


「待ちなさい、歓待の日取りが決定したならば私もその日に招待しなさい」


「あなたはすでにテネブレ家に彼女を招待したでしょう!今回はヴァレンティ―二家の縁者だけご招待します。あなたの出る幕はありません!」


「いや!いや!いや!私も会いたい会いたい会いたい!!」


 これまでの氷のような印象はどこへやら、今は我がままを言う子供のようにレオポルトの腕に縋り付くシルヴィア。遠巻きに見ていた従者や護衛達も何事かとうろたえ始めた。


「わかった、わかりました!歓待の日取りが決まり次第テネブレ家にも招待状をお送りいたします!」


「絶対、絶対ですよ!嘘をついたら父上に『レオポルト様に襲われそうになった』と報告しますからね!」


「戦争を起こす気ですかっ!」


 ひと騒動あったが何とか丸く収まった今回の顔合わせ。なおこれまでの顔合わせを知っている従者や護衛達が、いつの間にこれほど仲良くなったのかと噂していたのはまた別の話。


 後日レオポルトはさっそくセリーヌが所属する一座に歓待の招待状を送った。それから親類縁者、とりわけテネブレ家にはシルヴィアとの約束通りしっかりと招待状を送っておいた。


 ◇


 ヴァレンティ―二家における吟遊詩人一座の歓待は、親類縁者にとっても文句なしの好評だった。一座の他のメンバーの演奏なども良かったが、やはりセリーヌの歌は飛びぬけていた。その日、彼女の歌を聞いたものはその美声に酔いしれ、またしても彼女のファンを増やす結果となった。


 ちなみにレオポルトとシルヴィアの二人はというと、


「すんっ、すんっ、ひっくっ……」


 号泣していた。親類縁者だけとはいえ社交界的側面もある歓待の場で、レオポルトは手で、シルヴィアはハンカチでかろうじて目元を覆い天使の歌声を噛みしめていた。


 それから数か月がたったある日の事。





 天気は快晴、大地の果てまで祝福を告げるかのごとく教会の鐘は盛大に鳴る。


「一時はどうなることかと思ったが、お前の気持ちが固まってくれてよかった」


 ランパルトは、数か月前の息子のあり様を思い出していた。あの時はこの婚姻が上手くいくのかどうか多少の不安があったが、レオポルトならば両家と領地の繁栄のために最善の決断をしてくれると信じていた。


「しかし、シルヴィア嬢との仲はそれほどよくないと聞いていたが、今のお前は心の底から彼女との結婚を嬉しく思っているようだな。いい加減どのような心境の変化があったのか教えてくれんのか?」


 一座の歓待を終えてから、レオポルトとシルヴィアは顔合わせを頻繁にするようになった。これまでのいたたまれない凍てついた雰囲気の顔合わせから一変、今では互いに笑顔を向けて何やら楽し気に話し込んでいるのを従者や護衛たちもよく目にしていた。


「ふふ、秘密ですよ父上。私と彼女だけのね」


 今日はレオポルトとシルヴィアの結婚式である。両家と領地と、そこに住まう領民たちの繁栄が約束されるめでたき日。そしてレオポルトとシルヴィアにとっては——。


「始めは互いのことなんて全く興味がなかったのに、今はあなたとこうやって結ばれることが、こんなにも嬉しいなんて」


「私も同じ気持ちだよシルヴィア。それもこれもきっと……」


「ええ、そうですね……」


 お互いに言葉にはしなかったが、思い浮かぶのは一人の少女の姿だ。まだほんの少し幼いがその透き通るような歌声には気高さと自由な生きざまが乗せられている。どこか空しい人生に生きがいと、そして最愛のパートナーを運んできてくれた大恩ある少女の姿が。


 それから月日は巡り、吟遊詩人の一座は再びアポスの街を訪れ公演を開くことになった。演目のトリは数年前より大人びつつも、その歌声により一層磨きがかかった絶世の歌姫が務める。


 それとは別に街の人々の間ではある噂が飛び交っていた。セリーヌを見に来た観客の中にひと際目立つ二人がたびたび目撃されていたのだ。変装しているつもりかもしれないが町民たちにはわかっていた。わかっていて邪魔しないという暗黙の了解ができていた。


 なぜなら、その二人の夫婦はセリーヌの演奏前には誰よりも大きな歓声を上げ、演奏後には誰よりも感無量と言った風に号泣していたからだ。


 絶世の歌姫にも負けないくらいその公爵家夫婦は、領民たちに親しまれ愛され続けていくのだった。

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