事故物件に住んでみたらちょっとエッチな幽霊ちゃんに執着されちゃいました

あやめいけ

第1話 引越し初日


「これでお荷物全部ですね。この度は当社を選んでいただき有難うございました!」


 こんがりと日焼けした肌。テキパキと動き回った証の汗を滲ませた額。捲り上げた袖から見える筋肉。白い歯。快活な口振り。

 数社に見積もりを依頼して一番安い業者を選んだ手前、その仕事ぶりに過度な期待を抱くのは禁物と考えていたけれど、最初から最後までとても気持ちのいい引っ越し業者だった。もしまた引っ越すことになれば、間違いなくこの業者を選ぶだろう。


 もしかすると、そう遠くない内に再び彼らに引っ越しを依頼する時が来るかもしれない。


 ひとりになった途端、チカチカと点滅を始めた照明を見上げながら、やれやれと呟いた。





———2週間前のこと。



 土曜日の午前10時。普段鳴ることのないインターホンの音を聞いてようやく布団から這い出した私は、ボサボサの頭とヨレヨレのパジャマ姿のまま玄関の扉を開けた。

 インターホンを押したのはこの築55年の木造アパートを管理する大家のおばあさんで、明らかに寝起きの年頃の娘(と言っても28歳の立派な成人女性だけれど)の頭から足先まで目線を二往復させてから、ようやく「おはようございます」と上品に挨拶をしてくれたのだった。



「え!?取り壊しですか!?」

「そうよ〜。もう半年も前に告知してあったでしょ?退去の日が決まってないの花井さんだけなのよ〜」


 そうだった。完全に失念していた。築55年の木造アパートは老朽化が進み、改修工事よりも一度取り壊して更地にしてから新たなアパート建設を計画しているらしく、半年以上前から入居者へ退去勧告が為されていたのだ。

 そういえば最近、薄い壁の向こう側から物音がしなくなったとか、外の階段を上り下りする足音が聞こえなくなったとか、人の気配が無くなってきたことには薄々気付いていた。なんなら両隣が空室になったことで、テレビの音量を気にしなくて良いからラッキー、なんて呑気に考えていたくらいだ。


「取り壊しっていつでしたっけ?」

「もう2週間後だけど…。新しいお家、決まってるのよね?本当は退去日に渡す予定だったけど、これ家賃の6ヶ月分」


 明らかに忘れていたであろう私に対して、それでも大家さんは絶対に出ていって欲しいという至極当然の願望のもと、引き攣った笑顔で茶封筒を私の手に押し付けてきた。


「退去日が決まったらなるべく早く教えてね。それじゃ、お邪魔様」


 呆然と立ち尽くす私に有無を言わせない内に、大家さんは丁寧に会釈をしてから錆びきった鉄の階段をカンカン音を立てながら降りていった。


 部屋に戻って先程受け取った茶封筒を覗くと、中には1万円札が数十枚。家賃の6ヶ月分ということは、5万円×6ヶ月で30万円だ。一瞬喜びかけてから、すぐに現状の危うさに気が付いた。


「え?2週間以内に引っ越さないと家無くなるってこと?」


 札束を握りしめたまま発した質問は、誰にも拾われることなく茶色く焼けた畳にぽろりと落ちて吸い込まれて消えた。


 花井由乃はないよしの 28歳。もうすぐ家が無くなります。いや、まじで。




「2週間以内?随分と急ですね」


 商店街を抜けたところにある一番近い不動産屋に駆け込んだのは、あれから僅か1時間後のこと。

 突然やって来て、2週間以内に新しい部屋を借りて引っ越したいという私に、不動産屋の若い営業マンが苦笑いを浮かべながらパソコンを操作している。


「何か具体的な条件とかありますか?」

「綺麗で、駅から近い所がいいです。できれば徒歩5分以内で。あと、なるべく安い所がいいです」

「あー…。そう、ですよねぇ」


 何言ってるんだコイツは。そんな顔をされた気がする。聞かれたから答えただけなのに。


「お一人ですよね。ワンルームでしたら単身者向けの物件がいくつか御座います」

「できれば1LDK以上がいいです。あと、服が多いのでウォークインクローゼットがあると嬉しいです」

「左様でございますか…。因みにお家賃はいくらくらいを希望されてますか?」

「今のアパートが5万円なので、それくらいで。頑張って7万円…、いや、やっぱり6万円……」


 どんどん表情が曇っていく営業マンに、どうやらヤバい客と見做されているかもしれない、とようやく気が付いた。


「って、難しいですよね、そんな物件」


 あははと笑ってみたけれど、私をチラリと見ただけでニコリともせずすぐにパソコンに目線を戻され、しゅんと肩を落とした。


「少々お待ちください」


 突然立ち上がった営業マンが、カウンターの奥にあるパーテーションを潜って中に引っ込んでしまった。僅かに開いた隙間から、営業マンとその上司らしき小太りの男性が何やら話し込んでいるのが見える。


 ものの数分そうした後、勢いよくパーテーションが開いて営業マンが私の前へと戻ってきた。

 その手には一枚の紙が握られており、それはまさに私の理想を叶える物件の案内だった。


「お待たせしました。少し特殊なご案内になってしまうんですが…、こちらの物件は如何でしょうか」


・築3年

・駅徒歩2分

・15階建マンション最上階

・2LDK

・リビングダイニング16畳


 他にもオートロック、敷金礼金0円、床暖房、浴室乾燥、全室エアコン付属、広々バルコニー、オール電化、心理的瑕疵有り、などなど。そして極め付けは家賃の安さ。なんと1ヶ月3万8千円。管理費は別途月9千円払わなければならないが、合計しても4万7千円でこの家に住める……、なんて、………ん?


「心理的…?」

「しんりてきかし、有りです」


 首を捻る私に、営業マンは淡々と言った。


「この物件、お安いのにはそれなりの理由がございまして…。俗に言う事故物件です」

「事故物件」

「はい。事故物件です」


 あまりにも表情ひとつ変えない営業マンは、事故物件という言葉をハッキリと繰り返した。


「内見なさいますか?」


 あまり乗り気ではなさそうだが、一応形式上の質問をしてきた営業マンに、私は黙って頷いた。





 そのマンションは予想以上に綺麗で、今住んでいる築55年の木造アパートとは比べ物にならない程だった。このマンションを見てしまうと、もはや取り壊し寸前のボロアパートになんの愛着も持てそうにない。

 ホテルのロビーのようなソファが並べられたエントランスを抜けて、エレベーターで15階へ上がると、降りてすぐ正面の部屋がこれから案内される1506号室だった。


「お部屋の中、自由に見て回っていただいて構いません。申し訳ありませんが、私はここでお待ちしております。何か質問があればお声がけください」


 営業マンは部屋の鍵を開けて扉を手前に引きながらそう言った。つまり私は中には入りませんと堂々と宣言したのだ。


「はぁ、そうですか。では失礼しますね」


 何をそんなに嫌がっているのか分からないが、入らないと言われれば無理に入れとも言えないので、私はひとりで玄関の敷居を跨ぐことにした。


 物件案内のペラペラのコピー用紙一枚を手に持って、玄関から続く廊下をすごすご進むと、廊下の正面にリビングダイニングキッチン、右側に6畳の洋室、左側に風呂、トイレがあって、リビングの奥にもう一部屋洋室があった。

 収納は廊下と各洋室にクローゼット。それと脱衣所にもタオルなどを入れておける収納棚がついていた。


 流石は築3年。室内もキッチンもほとんど未使用レベルの綺麗さで、全く問題ないように見える。本当に4万7千円で住めるなら、今すぐにでも引っ越したいくらいだ。


「あのー、」


 廊下から外にいるはずの営業マンに声をかけると、営業マンが扉の影から顔だけ覗かせた。決して中には入らないという強い意志が感じられる。


「ここって、どんな事故があったんですか?」


 そういえば何も聞かされていなかったので、もうほとんどここに住むことは心に決めたものの、一応聞いておこうと思ったのだ。


「若い女性がお亡くなりになりました、とだけ。詳細はお伝えできません」

「女性が…。で、この部屋、何か起こるんですか?」

「ここまでお安い家賃を考慮していただければと思います」


 会話になっているようで微妙に噛み合わない。けれど、この優良物件。破格の家賃。決して足を踏み入れない営業マン。


 よし、決めた。


「ここにします。今日契約できますか?」




 そのまま不動産屋に戻って書類を交わし、ボロアパートに帰って引っ越し業者に見積もりを依頼した。

 一番安い業者に決めて、引っ越しの日程が決まった事を大家さんに伝えた時の安堵した表情ときたら。

 「どうせ取り壊すから、要らないものは置いていっても良い」という大家さんの言葉に甘えて、大半のものはアパートに置いてきた。




 引っ越し業者が荷物を運んでくれている内に、電力会社への連絡を済ませてライフラインを確保。

 改めてマンションの管理人室へ挨拶をしに行き、しっかりと用意した菓子折りを規則だからと受け取ってもらえないまま、部屋に戻ってきた。


 相変わらずチカチカと点滅する照明が鬱陶しくて壁のスイッチを押す。夕方ということもあって、西陽のおかげでそこまで暗いと感じることはなかった。

 はぁ、と何の気なしに溜め息を吐いた瞬間、なんの操作もしていないのに切ったばかりの照明がパッと光った。


 おいおい。初日から飛ばしすぎだろ。声には出さないが、眉尻ぐらいは釣り上がったかもしれない。すぐ顔に出ちゃうタイプなもので。


 何はともあれ引っ越しも無事終わり、住所不定にならずに済んだ。コンビニにでも行ってお弁当と飲み物、明日の朝ごはんも買ってこよう。

 私は財布と家の鍵を掴んで、今点いたばかりの照明を「フン」と気合を入れて消してやった。


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