採光

秋都 鮭丸

1

「この部屋は日当たりがいいんですよ」

 担当してくれた不動産営業の男は、随分元気な若手だった。事務所から持ってきた鍵を取り出しながら、彼は意気揚々と言う。

「すぐ埋まっちゃうんで、内見に来れたのはラッキーですよ」

 それは事実か、はたまた営業トークなのか。私に判断はつかなかった。


 ひと月前、私はこの辺りに引っ越した。上に転勤を命じられ、都会の本社を遠く離れ、遠路はるばる北の国。未だに残る桜の中で、歓迎の酒を飲みながら、「冬は寒い」と脅された。左遷などでは決してなく、むしろ出世の道すがら、新たな職場もいい雰囲気。「これならやっていけるぞ」と、安堵したのもつかの間に、私を襲うある脅威。

 それが隣人トラブルだった。


 転勤にあたり越してきたアパート。1LDKと、独り身には少々広いが、家賃は都会のワンルームよりずっと安い。会社にも近く、スーパーも徒歩圏内。良い立地の場所だった。

 「良い部屋が見つかってラッキー」と思っていたが、その評価はすぐに覆ることになる。


 私の部屋は角部屋になっていた。そのため、「隣の部屋」というものは一つしかないのだが、その住人は実に繊細であった。私が帰宅した扉の音、テレビや動画をつけた音、電子レンジの完了の音、ドライヤーの音、水の音。私の発する、ありとあらゆる音に反応し、私の部屋と隣人の部屋とを隔てる壁を殴りつけた。

 ドンっと響くその音をもって、私に密やかな暮らしを強要していたのだ。


 私は常識の範囲内で暮らしており、騒音は決して出していない。これはアパートのオーナーにも確認してもらっている。しかし隣人の耳はいやに過敏であり、「もはや耳栓をして暮らしたほうがよいのでは?」と心配するほどの反応の良さであった。

 オーナーを挟んだ隣人とのやり取りにも疲弊し、私はついに痺れを切らした。新たな部屋を探すため、不動産会社へと飛び込んだのであった。


「ほら、見てください。玄関開けただけで明るさが分かるんじゃないですか?」

 不動産営業の彼は扉を開け、中を見るよう促した。確かに、外からの光がよく入っているように見える。第一印象は悪くない。

 スリッパをはいて中に上がると、部屋の隅々まで明かりが届いているのがわかった。

「角部屋なので、南と東に面して窓があるんです。この二つの窓の位置関係が絶妙で、部屋中に光が行き届くんですよ」

 営業の男は得意気に説明した。言う通り、確かに二つの面に窓がある。南側が大きな、ベランダにつながる窓のようだ。壁一面がほぼ窓になっており、真昼の青空で染まっている。

 そして東側。こちらの窓もなかなか大きい。私の腰あたりから、頭を超えて数十センチほどあるだろうか。東の空も青く、いくつかの雲が遠くに浮かぶ。

二つの窓が照らす部屋。明るく眩しいその部屋が、私の未来が輝くことを暗示しているように思えた。


「ふむ、なかなかいいですね」

 トイレや浴室、収納なんかも覗きつつ、私の心は固まりつつあった。ここに来るまでにも三つの部屋を見させてもらったが、ここが一番よさそうだ。好感触の私を前に、営業の彼も嬉しそうな笑みをこぼす。

 私は最後に、ベランダに出てみることにした。ここは二階の部屋だが、正面に高い建物がなく、広い景色が見渡せる。これも、この部屋の明るさに寄与しているのだろう。

 ベランダからふと眼下を見下ろすと、そこはかなり大きな空き地になっていた。

 なにやら看板が立っている。ふむ、ここからでも読めそうだ。どれどれ。

「商業施設建設予定地?」

 看板を読み上げた私に、営業の彼が反応した。

「そうだ、そうだ! 実はこの目の前の空き地、ショッピングモールの建設予定地なんです!」

 彼はベランダに身を乗り出して言った。

「徒歩圏内にショッピングモールなんて、最高じゃないですか!?」

 ダメ押しまで決まった、とでも言いたげに、彼はにんまりと笑っている。なるほど、それは確かに悪くない。買い物のしやすさは、生活のしやすさに直結する。ショッピングモールともなれば、大概の物は揃うだろう。これ以上ない好条件に見える。

「あれ、でも、それって、結構高い建物になりますよね……?」

「え? えぇまぁ、そうだと思いますよ」


「となると、この窓からの光って……」


「……あ」


 全く光が入らない、ということはないだろうが、今ほど明るくはならないだろう。建物レベルの「隣人トラブル」。またも私を襲うとは。

「ショッピングモールが透明だったら『最高』だったんですけどね。『再考』の必要がありそうです」

 私の部屋探しは、もう少し時間がかかりそうだ。



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採光 秋都 鮭丸 @sakemaru

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