始発電車と君と僕

@happy17

知ってるけど知らない二人


 今日も始発の電車の揺れを感じる。目の前の名前も知らぬ女の子は、今日も本を読んでいる。ピシッと伸びた背筋、丸メガネ、肩に届きかけている根っこから先端までしっかりと手入れされた髪の毛、まさに「文学少女」という言葉を体現している。

 

 彼女を初めて見たのは半年ほど前のことだった。訳あって自宅から遠い高校に通うことになった僕。初日から寝坊をしてしまい、愛車のママチャリで風を切ったことを今でも覚えている。駅に着き、汗が流れる隙を与えないほどに速い速度で電車に駆け込んだ。僕が入るのとほぼ同時に扉が閉まった。間に合ったことに胸を撫で下ろして、汗がダラダラと流れてくる。座席のポールに掴みながら心臓が落ち着くのを待つ。その最中、僕は澄んでいる空気の中に溶け込んでいる人影を見つけた。そう、それが彼女だ。彼女の存在に気づき、激しい呼吸を一瞬止めて余裕を見せながら席に座ろうとする僕、一方僕には目もくれず本を読んでいる彼女。彼女の向かい側に座り、彼女の方を向いた時、目が合った。彼女はその時、初めて僕の存在を認識したかのように見えた。僕の視点は自然と彼女から遠ざかってしまい、気まずくなった雰囲気から逃れるためにイヤホンをつけて曲を聴いた。彼女はというと、目が合ったことなど何も気にせず本を読んでいた。

 それから今日に至るまで、僕たちの始発での登校は続いている。毎日会ってるのに、名前も高校も年齢もわからない、知っているけど知らない…そんな矛盾しているような…僕たちの関係だ。今日も相変わらず本を読んでいる彼女。いつも何を読んでいるか気になるのだが、ブックカバーによって自分の本を守っている。そのためなんのジャンルが好きなのか、何を読んでるかすらもわからない。

(女の子だからやっぱり恋愛系?それともミステリーだったり?ホラーの可能性も…)

 イヤホンで曲を聴きながらそんなことを考えている。

 ちなみに僕は普段ラップだったりアップテンポの曲を聴いたりするのだが、おそらくその点も彼女とは異なるだろう。(彼女はクラシックとか聴きそうだし)

「次は〜静咲〜静咲〜」

 電車のアナウンスを聞いて彼女とはお別れだということを知る。彼女はアナウンスを聞くと、読んでいた本をカバンに入れて、折り畳まれた華奢な足を支えにして立ち上がり、扉の前へと向かった。相変わらず彼女の背はピシッと伸びており、育ちの良さと自信が窺える。扉が開き、彼女は電車を後にした。

(いってらっしゃい)

 さりげなく学校へ向かう彼女の背に向けて、手を振る。

 やがて電車が走り出すのと同時に僕も降りる準備をする。彼女をリスペクトして僕も背筋を伸ばすようにしている。こんなに彼女のことを意識してしまうのも無理はない。

 だって毎日会ってるんだから。


 いつもより早く起きて駅に向かったためホームで15分ほど待機した次の日。空はお世辞にも良い色とは言えなかった。いつも通りの時間に電車が来て、いつも通り乗って、いつも通り彼女の向かい側に座り、彼女のことをチラリと見た。

 しかし、そこにいたのはいつもの彼女ではなかった。

 彼女は、丸メガネをしていなかったのだ。彼女の裸の目を見るのは初めてだったので、なんだか新鮮な気持ちと違和感に襲われた。彼女の目の色がよく見える、綺麗なブラウンだ。メガネを外したからかは分からないが、彼女はいつもとは違う色気を纏っているようにも見える。

 しかし、彼女はコンタクトレンズに変えたからメガネをしていないというわけではなさそうだった。

 いつも通り、彼女は本を読んでいたのだが、目を凝らしていたのだ。

 まぁ…それだけで判断するのはあまりにも情報不足だけどね。急いでてメガネを忘れたのか、単に眠いだけなのか。こんなことは彼女に聞けばすぐに答えが返ってきて、僕は電車の揺れを感じながら曲に集中することができるだろう。でも、それが不可能なことは僕たちの関係が物語っている。別に僕は人見知りなわけではない。寧ろ対人関係は、それなりに上手な方であると思っている。クラスメイトとも分け隔てなく会話することはできるし、学級委員だって経験したことがある。(いい思い出はあまりないけど)だから一応「おはよう!」とか「元気!?」とか声をかけることができるほどの能力は持っているはずなのだが、彼女によって封じられているようだった。

 とまぁ、色んなことを言っているけど要するに話す勇気がないということだ。仕方ないことだ、彼女は、the話しかけてこないでくださいオーラを放っているのだから。こんなに僕が考えていることも知らずに彼女は本を読んでいる。というより、僕が考えすぎているだけなのだと思う。実際オーラというのも僕のただの偏見で、ただ彼女が僕に興味がないだけなのだろう。

 いつものアナウンスが鳴ると、彼女は席を立ち、やがて電車を後にした。

 僕は、彼女がいなくなった後でも腕を組みながら彼女のことを考えていた。そのせいで乗り過ごしたことは、ここだけの秘密だ。


 登校中にシャワーを浴びたくないから雨具を着ていた次の日、いつも道だと思っていたところがその日だけは川に見えたのだ。

「方舟に乗らないと」なんて朝から意味わかんないこと言いながら愛車を停めて、ホームへ向かう。雨具を鞄に入れながら、こんなものを世に出している百均はなんと恐ろしいお店なのだろうと思った。ベンチに腰をかけている時に昨日のことを思い出した。彼女のメガネのことについてだ。今日彼女がかけているならば、ただ忘れただけなのだが、かけていなかったら、彼女は大切な丸メガネを紛失したことになる。まぁ、僕としては後者の方が…なんて、気づかぬうちに沈思黙考していた。彼女のことを考えることに夢中になりすぎたのか、思った以上に早く、電車の挨拶が聞こえてきた。

 悪いテストの点を見る時の悪あがきのように目を閉じながら、謎の緊張でぎこちなくなっている足を動かして電車の中に入る。ゆっくりと目を開き、左を見るといつも通りの席に彼女がいた。眼鏡は……外している!さっきまでの緊張から一瞬で解放されたのと同時に、鎖が外れた足をウキウキで動かして、僕もいつもの席に座る。

 バレないように彼女を見る。いつも通りの彼女だ。本を読んでいて姿勢が良いthe清楚な女の子、加えてメガネを外したことによって露呈した綺麗な瞳を持っていることを昨日知ったので、それを見ようと照準を顔に合わせると、そこには安心しきっている猫のような寝顔。ん?寝顔?

 そう、彼女は眠っていたのだ。本を開いたまま、すやすやと眠っている彼女。汚れが一切ない寝顔をしており、ほぼダヴィンチの作品である、なんという破壊力だ。

 おそらく、彼女は学校生活の中でも真面目な子だろうから、授業中も寝たりしないだろう。つまり、彼女の寝顔を見たことがある人間は、選ばれし者である、と勝手に解釈している。それに僕にとって一番良いことは、彼女の顔をまじまじと見ることができることだ。改めて思う、綺麗な顔をしていると。そうやって彼女の寝顔を凝視していると、彼女のアンダルサイトのような綺麗な茶色い瞳が顕になった。凝視していた僕の目と彼女の宝石は、定規で線を引かれてしまった。

 その瞬間、僕の視点は、彼女から無理に引き離そうとしたせいで、三秒ほど迷子になった末に下を向いた。おそらく今の一瞬で彼女は、僕に対して挙動不審のこっちをまじまじと見てくる変態という印象を持ったに違いない。僕は彼女と何もアプローチをとっていない、それ故僕に対する印象は常に0をキープしているはずなのだが、今の出来事でマイナスになってしまったかもしれない。それを確認するために僕は、もう一度彼女の顔を窺う。彼女は、本を読んでいた。

 しかし、彼女は少し照れているような、そんな薄いピンクのような色が頬から耳にかけて広がっていた。冷静に考えてみれば、彼女の面子からして他人に寝顔を見られるなどほとんどあり得ないことだ。そんな慣れないイベントが起きたら恥ずかしくなるに決まっている。この日の始発の車内は、普段の澄んでいる空気に少しだけ暖かい色が付け足されたようだった。

 やがて彼女はいつもの駅で降りた。特に傘など持っていなかったため、彼女もおそらく雨具持ちであろう。


「あの子は僕のことをどう思っているのかな」

 仰向けになりながら、天井の光にそんなことを言ってみる。普通に考えて、毎日一緒の時間を過ごしていはずなのに何も会話もないというのは、単に僕に興味がないことの表れであろう。僕には、これと言った特徴もない。特別顔が良いわけでもないし、背も平均身長よりほんの少し低い、ただの男子高校生というステータスだ。彼女が僕に興味を引かないのも無理はない。ていうか、なんで僕はこんなに彼女のことを考えているのだろうか…


 昨日の雨が幻のように思える天気だった。川も道に戻っており、愛車もウキウキで走ってくれる。今日は、少しだけ髪の毛を変えてみたのだ。これは、彼女が興味を引くかどうかというただの実験だ。決してイメチェンとかそんなものではない。

 しかしながら、我ながら似合っているとは思う。やはりこのためにいつもより早く起きて、〈男子高校生 髪型 かっこいい〉で検索をかけた甲斐があった。

 ホームで試合前のアップのように足踏みをして、戦場に行く。少し軽やかな足取りで余裕そうな顔をしている僕は、自分にとってはキメ顔であり傍から見たらただの変顔をして、彼女の方に目をやった。

 その瞬間、僕の頭の中にあった風船が割れた。

 彼女は、本を読んでいなかった。バックを膝の上に乗せていて、誰もいない窓ガラスの方を見ている。それだけだったら僕の風船ももう一度膨らむことができただろう。

 しかし、彼女の髪型が変化していたことが、僕の風船に穴を開けたのだ。ファッションに疎い僕でもあの髪型の名前ぐらいは知っている。そう、ポニーテールだ。

 またしても、昨日のように足がぎこちなくなりながらも席に着く。チラリと彼女の方を見るが、当然目が合ってしまう。すぐに引っ込めて鞄を漁るフリをする。コンマ0.1秒で僕が理解したことは、彼女がものすごく可愛いということだ。驚いたのは、メガネや髪の毛やら色々いじったにも関わらず、依然として清楚な容貌をしているところだ。それにしても、なぜだろう、心臓が、ものすごく生きてるよアピールをしてくる。おそらく僕は、〈あなたはロボットではありませんか?〉というボタンを押す必要はないだろうな。これはドキドキなんて擬音語で済むものではない、一向にオーバーヒートしないマシンガンを心臓が打っているようだ。この乱射を止めるには、彼女が駅から降りるしかないだろう。

 でもなぜだろう、降りてほしくない…彼女には悪いが、可能なら、静咲という駅を消してやりたい。なんて愚かで無様なことを考えているのだろう。なんて思っているけど、これが僕の本心だ。そんなことを伝える勇気もなく、ただ始発で出会うだけの関係で終わるのだろう。そう思うと、せっかくセットした髪のことなど何も気にせず鞄に顔を埋めた。もう彼女から見たらただの変人だ。

 少し落ち着いたところで、ゆっくりと穴から出る。ぼやけた視界の先には、いつも通り本を読んでいる彼女。

 やはり僕は、彼女のことを考えすぎなのだとつくづく思う。わかっていたはずだ、彼女が僕に興味を示さないことなんて。さっき迄の自分がいかに阿呆だったか改めて思い、いつも通りイヤホンで曲を聴く。

 10分ほど経っただろうか…一つの違和感に気づいたのだ。彼女は確かに本を読んでいる、しかし僕が見た限り、一度もページをめくっていない。彼女がサンスクリット語で書かれている本を読んでいるならば話は別だろうが、そんなことがあるはずはないので、ぼーっとしているのか、もしくは…。何だか曲にも飽きてしまった。イヤホンを外して窓の景色でも見ようかと思ったその時だ。

「あ…あの!」

 澄んでいる車内の中で、音の存在が確認できたのは彼女の声のおかげだった。その声は、僕が生きてきた人生の中でおそらく一番…勇気と慈愛に満ちている声だった。

 僕は目を丸くしていた。それと同時に完全に固まってしまった。当然返事などできそうにないのにも関わらず、彼女は二発目を僕にお見舞いしようとしてくる。

「わたし……!」

 彼女が、頭の部分を言ったたその時。

「次は〜静咲〜静咲〜」

 このアナウンスを聞くと同時に、彼女は言おうとしていた言葉を忘れ、慌てふためいた表情で下車の準備をした。一方僕は、彼女の二発目を受けなかったことにホッとしたと同時に、受けられなかったという悔しさも感じ、やはり静咲は消さなければならないと思った。

 そんなことを思っている時間はない、もう彼女はいつもの良い姿勢で扉の前にいるのだ。おそらく彼女は、あの声を出すことが大罪のような空間で、罪を犯してまでも僕に声をかけてくれたのだ。それがどんな言葉であっても…そんな勇気を出せる彼女はなんてかっこいいのだろう。

 僕も…彼女と共犯者になりたい!

 駅に着き、彼女は腑に落ちないような表情で、右足を出した時…

「あの…!」

後ろから聞こえた当然の声に、彼女は驚きながらもそっと振り向いてくれた。

「いってらっしゃい!」

そう…僕はいつも心の中で思っていたことを漸く口に出すことができたのだ。

 彼女はクスッと笑い、何か返事をする前に、面会終了と言わんばかりにドアが閉まった。

 そうして無常にも電車は、静咲を後にした。

 フルマラソンを完走したかのように心臓は活発になっており、僕も息切れをしている。嬉しい…僕の身体はその感情で満たされていた。彼女に話すことができたこと、彼女が笑ってくれたこと。今日起きた全ての出来事が、僕のことを上へと押し上げてくれたように感じた。その日の太陽は、いつもより暑かったが、鬱陶しくなかった。


 嬉しさの余韻が一日中消えなかった僕は、明日に備えて早く寝ようと仰向けで暗闇を見ている。サンタさんのプレゼントを楽しみに待つ子供のように明日を楽しみ寝る。


 僕の心の中の靴下は、プレゼントでいっぱいになっていた。朝起きたら真っ先にそんなクサいことを思っている。

 顔を洗い、髪をセットしようと思ったが、やり方を忘れてしまったため再び調べた。朝食を済ませ、家族が起きる前に愛車で駅に向かう。

 あぁ…なんて気持ちのいい風なんだ。駅へ向かう時間がこんなにも有意義な時間だとは、過去の自分は思ってもみなかっただろう。

 ホームで5分後の電車を待つ。始発の電車だ、僕以外誰もいないはずなのに、オーディエンスが僕に声援を送ってくれているように見えた。そのオーディエンス達にファンサービスのように手を振る。こんな姿を他人に見られたら、本当に異常者だと思われるだろうな。

 そして、電車がニコニコの笑顔でやってきてくれた。僕は、電車に対してお辞儀をして、優しくて汚れなき右足を電車の中へ運んだ。




 その日…彼女はいなかった。




 10秒ほど扉の前に立ったままあたりを見渡す。何度も確認した。何度も何度も…。それは彼女がいないというのを強調するだけの愚行であった。

 いつもの席に着く。向かいの窓から見える橋や河川敷も、彼女がいないことを示しているようで、薄暗い空は少しだけ曇っていた。

 イヤホンをしてみるも、聞こえるのは走行している電車のノイズだけだ。心臓は止まってしまった…完全に無となってしまったのだ。

 彼女がいるかのように正面の席を見る。そこには、見たことしかないブックカバーのされた本が置いてあったのだ。

 多分ではない、これは絶対に彼女のものだ。僕は彼女の本を手に取った。本に触れることで、この無の感情から少しでも脱却できたのと同時に、彼女がどんな本を読んでいたのかずっと気になっていたのだ。

 見た感じ400ページほどの分厚い文庫本だ。ブックカバーを外してタイトルを見る、おそらく恋愛小説だろう。

 1ページ、2ページとパラパラめくってみると、243ページの栞に止まった。

 そこには、ボールペンで引かれた文字があった。誰が引いたのかは、僕にはわかる。引かれていた文字は、句読点を含めてたったの6文字だ。

 しかし、それだけでその人が何を伝えようとしているのかがわかるものだった。僕は、その本に再びブックカバーをして、その人に返すために鞄の中に入れた。

 やがて僕が降りる駅に着く時間だ。

 背筋をしっかりと伸ばして、扉の前に行く。

 今まで心の中で思っていた「いってらっしゃい」は彼女と自分に対しての言葉だったのかもしれない。今日、その言葉が僕の肩を押してくれる。

 〈次は〜静咲〜静咲〜〉

 

 深く深呼吸をする…過去の自分を失望させないように。

 

「いってきます!」

 そうして僕は、電車を後にした。

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