967 ~導く者と泥中の蓮~
代筆者
第1話
窓からは木漏れ日が差し込んでいた。
それは、僕にとって、初めて世界を認識した日の光だった。
生まれたばかりの僕は、まだ言葉を知らなかったけれど、その光が優しさに満ちていることだけは分かった。
外からは、鳥のさえずりや、遠くで遊ぶ子供たちの笑い声が聞こえてきて、そのすべてが、この世界がどれほど穏やかで、幸福に満ちているかを教えてくれるようだった。
僕が光を掴もうと、手足をパタパタとしていたら、僕の顔を覗き込む人が見えた。
僕の母さん――四つ葉(よつば)だ。
「あらら、目が覚めちゃった? おはよう、導(しるべ)」
そう言って、母さんは僕の額にそっと唇を寄せる。
柑橘の香りがとても心地よい。
まだうまく喋れない僕の代わりに、母さんはいつも僕の心を読み取るように、僕が求めるものを与えてくれた。
お腹が空けば、すぐに温かい乳を与え、眠たげに目を擦れば、優しく子守唄を歌ってくれて、いつの間にか僕を深い眠りへと誘った。
僕が初めて寝返りを打ったとき、母さんは「わぁ! すごいね!」と声を弾ませて、僕を優しく抱きしめてくれた。
その温かい腕の中で、僕は自分がどれほど愛されているかを肌で感じた。
そんな母さんの隣には、いつも父さん――茉(まつりか)がいた。
「おはようございます。四つ葉。どうかしました?」
「茉さま、おはようございます。導は可愛いし、茉さまは隣にいてくれるし……幸せだなぁって思って……」
「ふふ。ずっとそばにいますよ」
父さんは、母さんのことを見るたびに、満足そうに微笑む。
その目は、他の誰でもない、母さんだけに注がれていて、その光景は僕にとって、完璧な幸福の象徴だった。
父さんは、僕の頭を優しく撫で、時にはそっと抱き上げてくれた。
「お前も、いい子にしていますね」
そう言って、僕を抱きしめる父さんの腕は、大きく、温かかった。
その胸に顔をうずめると、父さんの香りがして、僕は安心感に満たされた。
楽しそうに話す父さんと母さんを見ていたら、視界の隅に半透明な何かが見えた。
どうやら、他の人には見えないらしい。
一歳のころに、その姿はくっきり見えるようになり、二歳になるころには、それは喋るようになった。
僕が最初に言葉を交わしたのは、部屋の隅に置かれた、使い古された筆だった。
「やあ、導くん。今日も元気そうだね」
彼は、ふわふわとした筆先を揺らし、毛の間から目をのぞかせながら、僕に話しかけてきた。
声は、ひゅるひゅると風が抜けるような、少しだけ頼りないものだったけれど、僕はその声を聞くのが好きだった。
「君のお母さんは、今日はどんな本を読んでくれるのかな?」
筆の付喪神は、僕がまだ読めない漢字を教えてくれたり、物語の登場人物について話してくれたりした。
彼らにとって、僕はただの小さな子供ではなく、自分たちの存在を認識し、言葉を交わせる数少ない特別な友人だったのだ。
僕もまた、彼らのことを、この世界の不思議な一部として、心から信頼していた。
三歳くらいからだっただろうか……母さんに連れられ、よく町を散歩するようになった。
町の人たちは、僕と母さんの顔をみると、にこにこしながら寄ってきてくれる。
「茉様がいらっしゃるから、この町は平和なんですよ」
「茉様は、まるで町の守り神のようだねぇ」
「あの美しいお顔を見ると、寿命が伸びるよ」
そんな言葉を、僕は何度も耳にした。
父さんは、町の発展のために奔走し、困っている人がいれば、すぐさま手を差し伸べた。
重い荷物を軽々と運び、病気の人を見舞い、時には争いごとを穏やかに収めてみせた。
父さんの行動は、僕の目には、まるで正義の味方のように映った。
町の人々が父さんの姿を見かけるたびに、皆が自然と笑顔になる。
その光景を見るたび、僕の胸には、誇らしい気持ちと、純粋な憧れが湧き上がってきた。
いつか僕も、父さんのように強く、賢く、そして皆から慕われる存在になりたい。
父さんのように、この町の人々を笑顔にできる人になりたいと、幼いながらに強く願っていた。
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