第丗九話 戦場に咲くダイヤモンドダスト
歩兵が一斉射撃を行い、砲兵科の砲弾が空を裂く。
二月末、野営演習の締めくくりとして設けられた“
昨年の合同演習で異能科に敗北を喫した砲兵科が、雪辱を晴らさんと新たな挑戦を申し出た。
それは本来の野営演習の終了後に設けられた、いわば公開試合のような特別演目だった。
指名されたのは、もちろん昨年の勝者――斎部清至と川村時子。
しかし当の時子は、結局野営演習への参加を認められず、清至の付き添いのもと司令本部で同輩たちの活躍を見守ることになっていた。
三年間の締めくくりとして、参加を熱望していた彼女にとって、それはあまりに不完全燃焼な立場だった。
そんな彼女のもとへ舞い込んだ、砲兵科からの
当然、時子の瞳はたちまち輝き、軍医監へと直談判する。
そして――彼女の熱意に押され、風張軍医監もついに「短時間なら」と許可を下した。
編み上げブーツの紐をきゅっと締め直し、スカートを翻して演習場を颯爽と歩む時子。
その横には、ひたりと寄り添い肩を並べる清至の姿があった。
二人のまとう神威が、場の空気を一瞬で鎮める。
もはや誰の目にも、二人がただならぬ絆で結ばれていることは明らかだった――それでも、誰ひとり軽口を叩けるような雰囲気ではない。
台湾での活躍はすでに本科候補生の間でも伝説めいて語られており、砲兵科のみならず、他の兵科の候補生たちも、その“武勇”をこの目で確かめようと集まっていた。
彼らの攻略には、歩兵科の三小隊が名乗りを上げ、演習場の周囲は異様な熱気に包まれていく。
「清至、悪いけど、今回はあなたの出番はないわ。
他科の皆さんを怪我させるわけにいかないし、やっぱり――陣の守備は私の方が適役だと思うの。」
「そんな寂しいことを言うな。俺には俺の守り方がある。
それに、おまえは俺がいなくては、また異能や神威を暴走させるだろう?」
「うぐっ……それを言われると、何も言えない……」
悔しげに睨み上げる時子に、清至は得意げに口の端を上げ、フフンと笑った。
「以前、おまえは俺に“自分ありきで考えろ”と言ったな。
――ならば今度は、おまえも“俺ありき”で考えた方がいい。
どうせ俺たちは、これからずっと共にいる伴侶なのだから。」
「――わかった。じゃあこれから退役まで――
二人で上げる戦果は、どちらが上とか多いとかナシ。
押しなべて等しく、二人のものとするわ。叙勲も昇格も、ぜんぶ一緒に認めさせましょう。」
時子がニヤリと笑い、清至も応えるように笑った。
互いの右手が高く上がり、乾いた音を立てて打ち合わされる。
「さすがだな――あいつら、笑ってる。」
異能科の一団の中で双眼鏡を覗いていた海野が、感嘆まじりに言った。
「そりゃそうでしょ。あの二人、昨年よりずっと強くなってるもん。
砲兵科の連中だって、きっとびっくりすると思うわ。」
横で腕を組んでいた妙子が、まるで自分のことのように得意げに笑う。
「おいっ、砲兵科の連中! 二十八糎榴弾砲の装填を始めたぞ!」
「マジかよ……! でも、全然勝てる気がしねぇ……」
ざわつく見学席。
砲兵科は、昨年の野砲九門による一斉射で異能科に敗北を喫した。
だが今年は――なんと攻城用の大砲まで持ち出してきたのだ。
今後の実戦配備を見据え、試験的に士官学校に導入された二十八糎榴弾砲。
野営演習に先立ち、演習場には候補生たちの手で砲床が築かれており、
それをそのまま“雪辱戦”に投入するつもりらしい。
「私たちが守備するのは、この小屋。
相手の兵器を壊すのも、他科候補生を負傷させるのも禁止。防護壁の常時展開も禁止よ。
――砲弾を撃ち落とし、歩兵の突撃を止める。それが任務ね。」
時子が声に出して最終確認をとると、清至は短く「ああ」と応え、軍帽を目深にかぶり直した。
氷で階段を形づくり、二人で屋根へ上がる。
その手際の美しさに、見学席の息がわずかに呑まれた。
時子は懐から銀の懐中時計を取り出し、蓋を弾く。
文字盤の針が、攻撃開始までの残りを静かに刻んでいる。
「――攻撃開始まで百八十秒。張り切っていきましょう。」
土塁の向こうに、歩兵隊の帽子が並ぶ。
銃口が昼下がりの光に鈍く光った。
「――六十秒。」
砲兵たちも砲の周りで、慌ただしく装填の準備をしているのが見える。
「――三十秒。」
時子は懐中時計を懐へしまい、両手をだらりと下ろした。
瞳を閉じ、神経を研ぎ澄ます。
「俺たちの力、遠慮なく見せつけてやろう。――時子、愛してる。」
清至は低く言い、左の手のひらを砲の方へ突き出した。
「なにそれ。」
時子がくすりと笑う。
その直後――
「――撃てぇっ!」
掛け声が上がり、轟音が大地を揺らした。
砲撃開始から続く集中砲火の中、二人は息を合わせ、無理なく迫りくる砲弾を処理していく。
飛距離の半分ほどまでは清至が灼熱の異能で弾体を焼き切り、そこから漏れたものを時子が氷壁で受け止めた。
昨年の反省を生かし、氷壁には内部から神威の結界を網目状に張り巡らせてある。
そのおかげで強度は格段に上がり、もはや単なる氷ではなく、神威の盾そのものだった。
清至の灼熱をすり抜けた二十八糎榴弾砲の砲弾――
二百キログラムを超える巨弾すら、時子の氷壁はきしみもせずに受け止める。
攻城砲にすら、悠然と立ち向かう女――。
その圧倒的な力の前に、異能科の同期生たちも言葉を失い、ただ目を見張るばかりだった。
集中砲火がやむと同時に、歩兵たちが村田銃を手に突撃を開始する。
時子は接敵を前に、周囲に薄いヴェールのような結界を展開した。
清至は一歩前に出て、敵を威圧する神威を放つ。
その場に立つだけで、空気が震えるような圧が広がる。
「こ、これが……神威の威圧……!」
「だめだ、足がすくんで動けないっ!」
「くそっ、こんなものに負けてたまるかっ!」
威圧の下、何とか放たれた銃弾も――
時子の結界を通過するたび、小さな氷壁が花のように咲き、音もなく弾を叩き落としていった。
持てる異能と神威を余すことなく発揮するうちに、時子の身体は次第に陰の気へと傾いてゆく。
だが、場を支配する清至の神威がその均衡を保ち、彼女を再び中心へと引き戻した。
歩兵たちにとっては身をすくませるほどの威圧も、
時子にとっては――ただ心地よく、身を温める光でしかなかった。
やがて砲は沈黙し、歩兵も弾を撃ち尽くす。
神威に屈しなかった強靭な精神の持ち主たちも、
時子の手によって氷柱の檻へ閉じ込められ、それ以上進むことはかなわなかった。
戦場が静まり返ったのを確かめると、時子はそっと両手を掲げる。
次の瞬間、演習場全体に
傾いた冬の陽にそれが煌めき、幻想のような光景が候補生たちの前に広がる。
「清至――口付けを。」
氷の煌めきが二人の姿を覆い隠す。
時子は清至の胸倉をつかみ、ためらいもなく自ら唇を重ねた。
清至は虚を突かれて目を見開くが、すぐに彼女を抱き寄せて主導権を握り返す。
細氷が空気に溶けて輝きを失くすまでの刹那に、陰陽の気の調整と、戦闘の高ぶりを愛情の確認で昇華させる。
「なんだこれ――すごいな……」
「こんな広範囲に、異能を展開させるなんて……」
「これが、異能特務局次世代の出世頭か……」
驚きと畏怖の声が、沈黙した演習場に小さくこだました。
時子の目論見は見事に成功し、美しい光景の中で二人の口づけは完全に隠された。
やがて光が薄れ、視界が戻る。
時子は静かに結界を解き、氷柱の檻を霧散させた。
とらえていた歩兵科の者たちを解放し、自身もゆるやかに戦闘態勢を解除していく。
「あーあ、二十八糎榴弾砲まで持ち出しても勝てないとはなぁ……。
歩兵部隊も、誰一人傷つけることなく食い止めるし……完敗だ。」
砲兵科の教官が、軍帽を脱いで頭を掻きながら、
小屋の下へ飛び降りた二人へと歩み寄る。
「まあ、彼らは規格外ですからね。
これを基準に異能者を測られても、こちらとしては困りますが――」
瀬川少尉も苦笑を浮かべながら近づいてきた。
「まあな。そもそも対人相手に攻城砲を持ち出して、ためらいの“た”の字もない時点でおかしいんだ。
――本当に、こいつらが味方で良かったよ。」
歩兵科の教官も眉を下げながら、ため息まじりに言う。
「でも、斎部の威圧をくぐり抜けた候補生も、なかなかだったぞ。」
「ああ。今後は、異能者による“威圧”を想定した制圧訓練を取り入れなければならない。
――日清戦争の反省を生かしたまでだ。」
教官の後ろから、候補生たちも三々五々と集まり、
やがて清至と時子を取り囲んだ。
「斎部候補生、川村候補生――悔しいが、君たちの完全勝利だ。
まもなく卒業だな。任官後は、その力を帝国のために大いに振るってくれたまえ。」
砲兵科の教官が言い終えると、
二人は姿勢を正し、ぴたりと敬礼を返す。
その後、演習に参加した砲兵科や歩兵科の候補生たちと、
次々に固い握手を交わした。
互いの健闘をたたえ合うその輪の中に、
冬の陽が柔らかく差し込み、氷の粒がまだきらめいていた。
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