第廿四話 女子寮の尋問

 演習場でりよから陰の気と神威の手ほどきを受け、講堂へ戻ってみれば、午前中の講義はすでに終わっていた。

 廊下は食堂へと移動する候補生たちで、ざわめきに包まれている。


 一般候補生と別行動だった海野や妙子たちも帰ってきたところで、一足先に戻っていた清至を取り囲み、矢継ぎ早に質問を浴びせていた。


 時子は背後から近づき、妙子に声をかける。


「妙子……どうしたの?」


「ちょっと聞いてよ! 時子は何か知ってる?

 斎部の目がさ、昨日まで黒かったのに、さっき見たら明るい青色に――」


 振り返った妙子は、時子と目が合った瞬間、口を開けたまま固まった。


「――ちょっと、時子さん。その目と髪の色、どうしたの?」


 絢子も振り向き、驚愕の表情を浮かべる。

 海野と森本も「なんだなんだ」と顔を向け、時子の変貌に目を見開いた。


「――前から、清至の気を整える手伝いをしていたんだけど……。何度もしていたら、なんだか目の色や髪の色まで変わっちゃって……」


 時子がわざと明るく舌を出すと、絢子が鋭く目を細めた。


「時子さん……斎部殿の気は、この上なく安定しているわ。それに、あなたからも今まで感じたことのない“神の気配”がしているのだけれど……」


「ハ、ハハハ……気のせいじゃないかなぁ?」


 時子は慌てて目を泳がせるが、絢子はじとりと視線を外さない。


「……後で寮に戻ったら、ゆーっくり聞かせてもらいますから。

 海野さんと森本さんも、斎部殿をしっかり吐かせてくださいね?」


「了解ー。斎部、覚悟しとけよ? さあ、飯だ飯だー。」


 この場で真相を吐かせるのをあっさり諦めた海野は、真っ先に食堂へと歩き出した。


 彼らに解放された清至は、時子のそばへ寄り、耳元でぽそりとつぶやく。


「……母さんと特訓していたのか。大丈夫だったか? あの人、容赦ないから――」


「ええ、色々と手ほどきを頂いたわ。特に――身体に触れずとも、陰の気を常にあなたに送る祝詞を教わったの。これから役に立ちそう。午後の自主鍛錬で、試させてほしいわ」


 微笑む時子に、清至はわずかに安堵の色を浮かべる。

 そして、そっと垂れていた彼女の手の指に、自分の指を絡めてきた。


「それは興味深いが――」


 甘えるように、清至は指の腹で彼女の指を撫でる。

 それは、言葉にせずとも“肌と肌をもっと触れ合わせたい”と訴える仕草だった。


「……うん、もちろん、それだけじゃ完全ではないっておっしゃっていたわ。

 でも、将兵の目がある戦場では、いつも手をつなげるわけじゃないから――」


「そうか……。こちらは父と打ち合わせていた。先方が日程を決め次第、連絡をよこしてくれるそうだ」


「そう……」


「ちょっとー! そこ二人! やっぱり怪しいよ! 二人でコソコソしないー!」


 少し前を歩いていた妙子が、ぷくっと頬をふくらませて振り返る。


「出征の打ち合わせよー!」


 時子は何でもない顔で、さらりと答えた。



 +++++



「で――時子さん。私たちには話してくれるわよね?」


「そうよ。私たちの仲じゃない。黙ってるなんて水臭いこと、しないでしょ?」


 その夜、就寝前の自由時間。

 時子の部屋に集結した妙子と絢子は、彼女を四方から問い詰めていた。


 ベッドの上に座った時子はどこまで話そうか迷い、あーだこーだとうなっていると、しびれを切らした絢子が人差し指をピンと立て、時子の鼻先をちょんと突く。


「昨夜あなたは救護室へ泊まり込んで、夜通し斎部殿の治療をしていた。

 そして帰ってきたら――目の色も髪の色も変わり、あなたからは神威を感じられるようになった。

 しかもその変化した目の色は、奇しくも斎部殿のご両親のそれと一致する。

 斎部家の神威は夫婦神……。これじゃあ、あからさま過ぎて隠しようがないわ!」


「ねぇ、時子。絶対に誰にも言わないから。必要なら今後、私たちも協力するわ。

 だから、正直に教えてよ!」


 妙子までぐいっと詰め寄ってくる。

 時子は、とうとう観念した。


「……以前から、清至の体調を整える手伝いをしていたのは本当よ。

 彼、定期的に陽の気が暴走して、倒れたりしていたの……。

 それで、出征が決まったでしょ? 彼は活躍を期待されているけれど、現状ではとても……。

 だから――その――私……彼と契って、彼の妻神に――」


「ちょ、ちょっと待って! それってつまり、時子、斎部と“しちゃった”ってこと!?

 ええっ!? それ、かなりまずいんじゃ……!」


「ぐ……軍紀違反なのは重々承知よ!だけど、彼の体調の安定のためには仕方なかったの!

 それに、昨年の春日井候補生みたいに、戦場では命の危険があるって思ったら……いてもたってもいられなくて……。彼のためならって……」


「つまり――彼の健康と引き換えに、自分の純潔を差し出したってわけね」


 絢子の容赦ない一言に、時子は耳まで真っ赤に染めてうつむいた。


「……後悔はしていないけれど、外見までこんなに変わるなんて思っていなかったのよ。

 その上、なぜかすぐにばれて、朝一番で清至のご両親までやってきて……うちの親にまで挨拶に行くことになって……」


「それは当然よ。だって、もし黙ったまま出征して、何かあったら――家同士の問題じゃ済まなくなるわ。

 陸軍の御曹司と海軍将校の令嬢が、候補生の立場で淫行した。

 そんな話が公になったら、陸軍と海軍を巻き込んだ大問題になりかねないもの」


「ううう……」


 時子はうめいて、抱えていた枕に顔をうずめた。


「もう、絢子ったら。そんなに時子をいじめなくてもいいでしょう?

 そんなことより、私が聞きたいのは――」


 今度は妙子が、好奇心を隠そうともせず身を乗り出してくる。


「実際のところ、どうだった? 斎部、優しくしてくれた?

 初めてはやっぱり痛かった? それとも……案外、気持ちよかった??」


 容赦のない追及に、時子は一瞬、凍りついたように硬直した。


「し、知らない知らない知らないーっ!」


 顔を真っ赤にしたまま、手近にあった布団を頭からすっぽりかぶり、完全に会話から逃亡してしまった。



 +++++



 次の昼過ぎには、清孝を通じて時子の父・貞一との面会日程が知らされた。

 貞一は事態を重く受け止めたらしく、翌日の日曜日には自宅へ来るよう厳しく指示を出してきた。


 急なことだったが、清至と時子はそろって外出を申請し、翌日に備えることになった。


 申請書を提出した帰り道、並んで歩きながら清至が口を開く。


「……時子の父上は、どんな人物なのだ?」


「うーん……私にとっては、優しいお父さんかな。

 軍人だけど、言葉遣いは荒くないし、基本的に怒らないし、手を上げるなんてこともないの。

 でもね……家に遊びに来た部下の人たちは、『笑顔の鬼』とか『微笑の狂犬』とか、なんだか怖い呼び名で呼んでいたわ」


 時子は、父の優しげな顔を思い浮かべながら答えた。

 だが答えるそばから、そんな父を裏切ってしまったのだと思うと、腹の底が冷えていくような気がした。


 それでも――清至のためには仕方のないことだった、と自分に言い聞かせる。


「そうだ、清至に謝らなきゃいけないんだけど……。

 あなたとのこと、絢子と妙子に全部バレちゃったの。……その……しちゃったことも、ぜんぶ」


 時子はふと思い出し、声を落として謝った。


「そうか……。実は俺も、昨夜、海野と森本に全部吐かされた」


「えっ、そっちも? ……あ、そういえば絢子、海野さんに清至を尋問するよう言いつけてあったのよね」


 何を話したのだろう、と時子は一瞬気になった。

 だがもし聞いてしまったら、恥ずかしくて海野や森本の顔をまともに見られなくなるかもしれない――そう思い直し、やめておく。


「……結局、バレてしまったな」


「うん。でも、あの人たちが言いふらしたり、私たちを困らせるようなことはしないって信じてる。

 味方が増えたって、いい方向に考えましょう」


「そうだな……」


 清至の手がそっと時子の手に触れる。

 一瞬指を絡ませて、すぐに離れる。


 そのたった一瞬で、二人の心には恋情の灯がともり、明日の決戦への勇気が湧いてくるような気がした。

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