第廿三話 父の叱責、母の教え

「お前たち……その目の色……いったい何があったんだ?!」


 瀬川少尉は思わず椅子を蹴って立ち上がり、つかつかと二人へ詰め寄った。


「体調不良にて、以前から川村候補生に“処置”を施させておりました。

 この度の出征要請を受け、恒久的に陰陽の気を均衡させる必要があったゆえ――」


 清至が淡々と告げる。しかし瀬川少尉は理解が追いつかず、現実を確かめるように二人を交互に見た。


「“処置”って……お前たち、まるで斎部の両親の眼と同じ色に――」


 そこまで言いかけて、息を呑む。

 瀬川少尉は気が付いてしまった可能性に目を見張り、清至を凝視した。

 だが清至は有無を言わせぬ厳しい眼差しで見返すばかりだった。


「少尉――私は息子と内々に話す必要がある。悪いが、席を外してもらおう。」


 背後から、父・清孝の低い声が響いた。その響きは否応なく従わせる威を帯びていた。


 瀬川少尉は父子を見比べ、こめかみを押さえるようにして黙り込む。

 やがて無言で一礼すると、重たい足取りで応接室を出て行った。


「……清至、昨夜、私たちの神威に揺らぎを感じた。まさかと思ったが……

 私たちがこうして緊急に来校した理由は、わかっているな。」


 扉が閉じられるのを確かめ、清孝はため息まじりに鋭い眼差しを息子へ向けた。


「承知しております。」


 震えそうになる声を、腹に力を込めて押さえつける。清至の返答に、時子は思わず顔を上げそうになったが、すんでのところで自制した。


「……そちらのお嬢さんを、紹介してもらえるか?」


「彼女は川村時子。第十五期生の同期で、俺のカメラートです。」


 紹介を受け、時子は敬礼の姿勢を取り、「川村です」と簡潔に答えた。


「それだけか? ほかにも言うことがあるのではないか。」


 清孝の眼差しはなおも鋭く、息子を逃さぬ。清至は観念したように目を閉じ、深く息を吐いた。


「……彼女は俺の伴侶です。陰陽の気の均衡を保つうえで不可欠な存在であり、昨夜、契りを結びました。卒業後は必ず結婚するつもりです。」


「ほう……では、なぜ卒業まで待てなかった? 候補生の身でありながら、なぜ関係を持った?

 目先の欲に負けたのか、それとも出征前の感傷か?」


 畳みかける清孝に、清至はカッと目を見開き、堰を切ったように叫ぶ。


「陽の気が暴走して、どうしようもなかったんだ! このままじゃ戦場で足手まといになる!

 なのに二月に手紙を出した時、あんたの返事は『いずれ治る』だけだった! ただの慰めにもならない言葉しかくれなかったじゃないか!

 だから俺は――……俺だって、本当は時子の純潔を、卒業まで……結婚まで守りたかったんだっ!」


「清至……あなたの状態がそこまで悪いなんて、思いもしなかったわ。

 だって、手紙に時子さんのことを一言も書かなかったでしょう? もし書いてあったら、私たちも対処を変えられたのに……」


 母・りよが横から口を挟んだ。


「……母さん、書いていれば……違ったのか?」


 愕然と母を見つめる清至に、りよは静かにうなずいた。


「ええ。父さんも若い頃、同じようなことがあったの。

 それはね、将来の伴侶――つまり妻神の依り代にふさわしい娘がそばにいると、夫神が婚姻を促して、陽の気を暴走させてしまうのよ。

 もしそれだとわかっていれば、一時的に抑えて、せめて卒業までは待てる方法もあったのだけれど……」


 りよはちらりと時子を見やり、申し訳なさそうに目を伏せた。


「……時子さん、だったわね。あなた、清至のために決断してくれたのでしょう?

 この子のために、大切なものを差し出させてしまって――何とお詫びすればよいのかしら。

 でも、本当にありがとう。陽の気が暴走したまま出征していたらと思うと、胸が凍る思いよ。」


「いえ……」


 時子は、清至を誘惑したと母親から叱責される覚悟でいた。

 だが、思いもよらず謝罪の言葉を受け、戸惑いを隠せない。


「はぁ……確かに清至は命拾いをした。しかし、一度起こってしまったことは、どうしようもない。これからのことを考えねば……」


 清孝は眉間に皺を寄せ、こめかみを揉みながら重い息を吐く。


「士官学校の軍紀違反は、何としてももみ消そう。命にかかわる“がゆえの”致し方ない事態だったと処理する

 ……問題は、時子くんのお父上だな。」


「時子の……父上?」


 思いがけない名に、清至は息を呑んだ。時子も不安げに清孝を見つめる。


「ああ。どれほど言い繕おうと、お前は彼女の純潔を奪い、その未来を決定してしまったのだ。

 親御さんへの謝罪なくしては、不誠実のそしりを免れまい。黙っていればいるほど、印象は悪くなる。」


「……そう、ですね。」


 想定していたはずなのに、改めて突きつけられると現実の重みは鋭く、清至は俯いた。


「時子くん。君のお父上はどちらで何をしていらっしゃる? ご実家は?」


「え、あ……実家は麹町です。父は川村貞一、海軍少将で、軍令部勤めなので、東京におります。」


「……海軍少将閣下か。……清至、おまえ、殺される覚悟はしておけ。」


 清孝がにこりともしない真顔で言った。


 時子の父への説明と謝罪は、清孝が電報を打ち、直接訪問の打診をすることで決まった。

 清至と今後の事を話しあいながら部屋を出ようとする清孝とは対照的に、りよはそっと時子へ振り向いた。


「時子さん、このあと少しいいかしら。授業でしたら、私が言って抜けさせるから。」


「はい。出征準備なので、大丈夫ですが……なにか?」


 時子が答えると、りよは一歩近づき、声を潜める。


「……若いお嬢さんに大変言いにくいのだけれど……一度契って妻神の依り代になったからといって、もう関係を持たなくてもいい、というわけではないの。

 定期的に陰と陽を調えてあげないと、斎部の男は持たないのよ。

 でも戦場では兵や将校の目がある。――人前で手を繋いだり、肌を触れ合わせることはできないでしょう?」


「ええ……」


 彼の母の言葉に、時子は顔が熱くなるのを感じながらも、どうにか返事をした。


「だから――効果は弱まるけれど、身体が触れ合っていなくても陰の気を送り続ける方法を教えるわ。常にしていれば、肌を合わせる頻度を抑えられる。戦場ではきっと役立つはずよ。」


「そんな方法があるのですか? 私にできるでしょうか。」

 時子は切実に問いかけた。


「そうね……見たところ、あなたは私以上に妻神――“美都香比売”の依り代に合っているように見えるのだけれど。……もう妻神たちにはお会いになった?」


 時子は何のことか分からず、首を横に振る。


「まあ……まだなのね。でも大丈夫だと思うわ。神威の使い方も一緒に教えてあげる。

 ふふ、使いこなせればあの子に匹敵するし、二人で組めば無敵よ。」


 いたずらっぽく微笑んだりよに、時子は胸の奥にじんわりと温かさが広がるのを覚えた。


 ――りよさまは武家の御出だと聞いていた。もっと厳しく厳格なお方と思っていたけれど……

 この方のもとなら、嫁いでもきっとやっていける。


 そう胸の内で思いながら、

「よろしくお願いいたします」

 と、時子は頭を下げた。

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