第十六話 砲兵科合同演習
士官学校も二年目に入り、梅雨が明けた頃、世の中のきな臭さがついに現実となり、大国との戦が決定した。
時子も閲覧室で毎日のように新聞を開き、いずれ自分もこの渦中に立つのだと情勢を注視していた。
「ねえ時子、新聞見た? いよいよ清と開戦ですって。あなたの父上、海軍だったわよね」
寮での自由時間、妙子は日曜に町で買った雑誌『国民之友』を手に、声を弾ませた。こうした雑誌の持ち込みも、多少は黙認されているのが中野学舎の異能科だった。
「ええ。でも軍令部勤めだから、後方支援だと思うわ。もう長く艦には乗っていないもの」
「そうなんだ。――絢子はこの前も、海軍の出航に舞を奉納していたわよね」
「ええ。詳しいことは言えないけれど、元斎宮が持ち回りで務めるの。
『熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』――」
新聞を手にしていた絢子が、にこりと微笑む。
「白村江……?」
「そう。国を背負う彼らを、大神の神威で守り、鼓舞するのよ。万葉の昔から変わらないことね。」
「絢子が祈ったら、どんな艦も不沈艦間違いなしね!
なんだかもう我が国が勝ったような気がするわ。ほら、ここにも、『我が国の最新鋭の軍備を前に、大国清と言えどもおそるるに足らず』って書いてあるし」
興奮して雑誌を叩く妙子に、時子は少し苦笑する。
「もう、妙子はすぐ影響を受けるのだから。士官候補生の私たちが浮かれている場合じゃないのよ。
いくら軍備がよくたって、戦局を見誤れば勝てるものも勝てないし、そのためには一に兵站、二に兵站――」
「なにそれー、峰岸中尉の受け売り? 夢がないなぁ」
「でも、時子さんの言う通りよ」
ベッドの上で伸びをしていた妙子に、絢子が横から釘を刺す。
「異能を持つ私たちは、自分がその戦場にいたらどんな働きができるのか――常に考える癖をつけなきゃ。
私たちは一人で一個小隊にだって値する。どう動けば、皆さんがより有利に、より安全に戦えるのか……考えるべきよ」
それから間もなくして、宣戦布告を前に、海軍は清国艦隊と遭遇。火蓋が切られ、結果は大勝利――その報せが舞い込んだ。
八月一日には正式に開戦。海野の兄が従軍していることも伝わり、候補生たちは先輩の活躍を祈りながら、胸を高鳴らせ浮き立った。
だが、候補生たちの浮ついた空気とは裏腹に、学舎全体は平時以上に張り詰めていた。
卒業すれば即座に戦力となる――その現実を突きつけるかのように、授業も演習も一つひとつが重みを増し、誰もが否応なく自らの立場を思い知らされていった。
そして九月、中野学舎での二年次における、異能科の恒例行事――本校砲兵科との合同演習が迫っていた。
「異能科候補生、よく聞け!
これは合同演習とは名ばかり、その実、砲兵科との戦である!
異能科は実戦さながらに自陣を死守せよ!
砲兵科は、その身をもって異能の力を知るのだ!
諸君、己が神威を余すことなく示せ!
存分に、砲兵科に思い知らせてやれ!!」
演習場への移動を前に、いつもは少し頼りない瀬川少尉が、ここぞとばかりに檄を飛ばした。
「ずいぶん張り切ってるわね」
こっそり耳打ちしてきた妙子に、時子は肩をすくめる。だが無駄口は叩けない。
自分たちよりも教官たちの方が、よほどピリピリしていて、とてもそんな雰囲気ではなかった。
それも当然だった。異能科と本校との交流はほとんどない。二年次の砲兵科との合同演習と、卒業前の野営演習だけが、異能科の存在とその力を知らしめる数少ない機会なのだ。
砲兵科の演習場に着くと、異能科へ向けられる視線は容赦なかった。
じろじろと値踏みする好奇の目、面白半分に笑う侮蔑の目――。
「やっぱり異能科は身体がなってない。色白で、胸も薄い」
「あの髪型はなんだ、だらしないじゃないか」
「女がいる! 女がいるぞ、本当にいる!」
あまりの正直さに、時子たちは思わず頬をゆるめてしまった。
「――お前たち、見かけに騙されるな」
本校の教官が低く声を響かせる。
「異能科の女は、女と思うな。ばけものと思え」
カメラート一組に対して一門の砲が割り当てられた。
使われるのは炸薬を抜いた鉄の塊――模擬弾。だが、本来は人に向けて撃つものではない。
砲兵科は異能科の頭上めがけて狙い澄まし、容赦なく着弾させる。
異能科は迫りくる砲弾を、己の異能で処理することを求められていた。
「こういう時って、火の異能者は不利よね。攻撃は得意でも、防御は……」
時子は自分たちの陣地の前に分厚い氷壁を展開させた。
ちょうど飛来した砲弾が氷壁に当たり、空中へと氷の花が咲く。砲弾は氷に包まれ、力を失って地に落ちた。
砲兵科の候補生たちが、動揺を隠せずに次弾の準備をしているのが見える。
「そんなことはないぞ」
清至はニヤリと笑い、飛来する砲弾めがけて跳躍した。
神威を纏わせた軍刀が振り下ろされる――金属が裂ける甲高い音を立てて、砲弾は真っ二つに割れた。
次の瞬間、炎が奔り、破片は紅蓮に包まれて空中で灰と化す。
「やるじゃない」
時子が軽く笑って褒めると、清至も得意げに彼女を見やった。
「見直したか? だが、これでは物足りんな」
「そうね。でも、じきに集中砲火が来るわ。それまでは温存しておきましょう」
時子は迫る砲弾を再び氷壁で受け止める。
鈍い衝撃音とともに砲弾が氷にめり込み、霜煙がぱっと舞い散った。
防御に長けた組にとっては、砲弾の処理など造作もない。
だが不得手な組は、あっけなく自陣に着弾を許し、そこで終了となる。
撃破した砲兵科の砲は、次の標的に照準を移し、他の部隊の援護に回る。
つまり時間が経てば経つほど、異能科の組が落ちれば落ちるほど、残った者への砲火は集中し、難易度はいや増していくのだった。
「え……妙子たちが落ちたわ。少し早すぎない?」
「風属性同士だからな。砲弾の処理には向かんだろう」
異能科が半分になる前に、妙子と絢子の組は退場していた。
なるほど、風同士の組はやはり持ちこたえられないようだった。
「やっぱり土は強いわね。見て、土の真崎候補生! 土壁の芯に木の根を生やしているわ。あれで強度を増しているのね……私にも応用できないかしら」
「ふん。おい、海野たちが落ちたぞ。腑抜けめ」
清至が鼻で笑った。
また一組、また一組と、仲間たちは次々に退場していった。
気がつけば、残っているのは時子と清至の組だけだった。
九門の大砲が一斉に火を噴き、容赦ない集中砲火が降り注ぐ。
硝煙の匂いが立ち込め、絶え間ない砲撃に耳の奥がきんきんと鳴り、土煙が舞い上がる。
時子はもはや軽口を叩く余裕もなく、迫る砲弾を氷で絡め取り、霜煙に変えては落としていく。
清至もまた、刀を振るって砲弾を真っ二つに裂き、紅蓮の炎で燃やし尽くした。
「おい……あれで、二回生だよな? 二人で九門相手だぞ……」
「片方は女だぞ? しかも涼しい顔をしてやがる」
「男の方も、片っ端から砲弾を真っ二つ……実弾でないとはいえ、そんな芸当できるか?」
次の門、さらに次の門と、弾を撃ち尽くした砲兵科の組が脱落してゆく。
やがて最後の一門が沈黙した。
「――撃ち方、やめ!」
号令が響くと同時に、砲兵候補生たちは動きを止める。
「砲兵科は砲弾を撃ち終えた。異能科の勝利とする」
瀬川少尉が喜びを押し殺し、平静を装って言い放った。
「チッ……ここ数年は我が砲兵科が勝利していたというのに。見誤ったか」
砲兵科の教官は、唇を噛みしめて悔しげに俯く。
時子は清至と手を打ち合わせ、共に脱落して見学に回っていた仲間たちの方へ駆け寄っていった。
「……あれだけの弾をさばいて、まだ余裕で笑ってる」
「すごいな……」
「……ばけものだ」
その囁きが連鎖し、静まり返った演習場に重くのしかかる。
「――わかったか。あれが異能科だ」
砲兵科の教官は、候補生たちを振り返り、低く言い放った。
「味方なら心強い。だが……ばけものだ」
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