第十五話 赤い夕日とKの約束

 ちょうど運悪く、職員寮から学舎へ向かっていた教官たちの目に留まった。


「斎部八千代、斎部清至、川村時子――教官室に来い! 後西院絢子、渡辺妙子もだ!」


 区隊長の峰岸中尉が、即座に問題の渦中の候補生たちを指さして怒鳴りつける。

 その背後では、時子たちの主任である瀬川少尉が「あちゃー」という顔をし、八千代たちの主任・武茂少尉は心配そうにのぞき込んでいた。


「はっ」


 清至は憮然と答え、抱えていた時子を立たせてから、落ちていたカバンを拾って手渡した。

 時子はあたふたとそれを受け取り、清至の後に続く。

 絢子は義憤に燃えて眉間にしわを寄せ、妙子は「何で私まで」と言いたげに肩をすくめて時子へ視線を送った。

 八千代はようやく泣き止み、ぐずりながら鼻をすすり上げ、一番後ろから続いた。




「で――いったい何があった。斎部が声を荒げるなんて、珍しいじゃないか」


 十五期生は四人並ばされ、そろって瀬川少尉の前で事情聴取を受けることになった。

 真っ先に口を開いたのは、絢子だった。


「斎部候補生はまったく悪くありません! あの八千代とかいう娘が、昨日から一方的に斎部候補生へ言い寄り、彼のカメラートである川村候補生を侮辱したのです。斎部候補生は、それに抗議しただけです!」


「……そうなのか、斎部?」


「……概ね、その通りであります」


 清至は憮然としたまま答えた。


「斎部八千代候補生が、お前を婚約者だと宣言していた、との報告もあるが――」


「そのような事実は一切ございません。彼女の父親が以前申し入れてきた経緯はありますが、その時点でお断りしております。士官候補生の本分に背くような真似は、決していたしません」


 探るような瀬川少尉の視線を、清至は真っ向から受け止めた。

 しばしにらみ合った末、瀬川少尉がため息をつき、視線をそらす。


「――では。斎部は一方的に言い寄られ、川村はカメラートとして侮辱を受けた。

 後西院と渡辺は、ただ居合わせただけ……そういう理解でいいな」


「はい。間違いありません」


「わかった。相手方の聴取結果と照合のうえ、後日上申する。処分は追って通知する。……災難だったな」


 瀬川少尉は表情をわずかに緩め、同情をにじませた苦笑を浮かべた。





 その日の午後――。


「まあ、私たちに処分がなくてよかったわ」

 伸びをしながら妙子が言うと、絢子は口をとがらせた。


「当たり前でしょ? 斎部殿も時子さんも、何も悪いことはしていないもの」


 校庭の隅。いつもの六人は輪になり、先ほど瀬川少尉から告げられた処分について話していた。

 清至と時子には、お咎めなし。

 一方の八千代は、来週のカメラート発表まで寮で謹慎。さらに、校内での清至および時子への接触を禁じられた。


「八千代、だっけ? あの子、校内で斎部殿や川村に会っても、挨拶すら許されないんだろ? ……それでおさまるかな」

 森本が首をかしげると、清至は首を横に振った。


「おさまるさ。そうでなければならない。破ったら、次は重営倉(懲罰房)送りだからな」


「それもだが――斎部。お前、俺たちに言うことないか?

 昼飯の時に、ちらっと耳にしたんだが……『斎部のカメラートは“K相棒”じゃなく、“G恋人”だ』って噂だ」


 海野がぎろりと清至をにらむ。


「……それも、事実とは異なる。――今は」


 清至は目を閉じたまま、平然と言い放った。


「『今は』って……おい!」


 清至からこれ以上引き出せないと見た海野は、今度は気配を殺していた時子へと視線を移す。


「……ええ。現時点で、清至はまぎれもなく私の“K”デス。“G”などというような、特別な関係ではアリマセン。」


 どこかぎこちないデスマス調で、両掌をぶんぶん振って否定するが、頬が赤い。


「斎部殿がね、挑発に乗って大声で宣言しちゃったのよ。『時子は俺の嫁! 俺の女だ!』って。

 それを耳にしていた女子候補生が、噂にしたんでしょうね」


 横から絢子が鋭く口を挟んだ。


「まったく、軽率だわ。今回は処罰を免れたけれど、教官方は今後あなたたちを注視なさるでしょう。これからの行動には、細心の注意を払いなさい。」


「え、斎部……マジかよ」

 海野の責めるような視線に、清至は無言で応じた。


「本当に、時子さんが可哀想よ。なんだかんだ言って、結局は斎部家のごたごたに巻き込まれて、振り回されているんだから。

 今後は、カメラートとして彼女を――本当の意味で守ってほしいものね」


「聞いてるの?!」

 詰め寄る絢子に、清至は憮然としたまま、

「……わかった」

 とだけ答えた。



 その日の寮への帰り道。

 清至と時子は、絢子と妙子から少し離れて、並んで歩いていた。

 噂になってしまった手前、以前のように軽率に二人きりになるのは憚られる。

 それでも――今朝のことも含め、二人には話す時間が必要だった。


「時子……今朝のことだが――」


 切り出したのは、清至だった。

 咳払いをし、視線を泳がせ、言葉を探すように唇を結ぶ。

 いつもの不遜さは影を潜め、珍しく年頃らしい戸惑いをまとっていた。


「……あんな形で告げることになったが、あれは――でまかせじゃない。本心だ」


「……」


 時子は返す言葉もなく、ただ頬を染めるばかりだった。


「困らせるつもりはなかった。ただ……卒業したら、結婚を申し込もうと思っていた」


 清至の声は、時子にだけ届くほどの小ささ。

 それでも時子は、誰かに聞かれていないかと周囲をおそるおそる見回してしまった。


「……なんで私なの。いつから……」


 時子も、彼にだけ届く囁きで返した。


「初めて目にした瞬間、運命だとわかった。入校式のあの時だ」


「なにそれ、信じられない。あの時、私たち――あなたに叱責されたのよ?」


「ああ。あの時、俺は半身を見つけたような喜びを、顔に出さぬよう必死だった。

 それからお前のカメラートの座を得て、共に過ごすうちに――直感は確信に変わった」


 清至は、周囲に悟られぬよう、ごく自然に時子の指へ自分の指を絡ませる。


「魔力の相性は相克にもかかわらず最高。陰陽の調整も難なくこなし、容姿端麗、学業優秀、胆力もある。……すべてが好ましい」


「……私が容姿端麗って……両親にだって言われたことないわよ。どんな節穴なの……」


「惚れた欲目、とも言うだろう。だが――俺は心からそう思っている。それでいいじゃないか。

 男が女を好きになることに、理屈など些末にすぎん」


 時子は、自分がこれ以上ないほど赤面しているのを自覚した。

 そして、とんでもなく気障なセリフを吐いた清至が、どんな顔をしているのか見てやろうと盗み見る。


 ――彼もまた、少し恥ずかしそうにしていた。


 それだけで十分だった。

 今日の夕日が、この上なく赤いことに感謝する。


「私は――、最初、『なんだこいつ』って思ったの。

 不愛想だし、何を考えているのかわからないし、仲よくしようとか協力しようって姿勢がまるで見えなかったから――」


 時子は絡められた清至の指をぎゅっと握った。


「でも、一緒にいてわかった。君はただ不器用なだけだって。相性がいいってのも、なんとなくわかる。

 一緒にいると心地よいし、それに――あなたは、私の唇を奪ったのよ」


「じゃあ――」


 清至の声に喜色が浮かんだ。

 だが、時子は首を横に振る。


「今は“K”のままでいましょう。私も、あなたが好き。ずっと相棒でいたい。

 だから……卒業後も一緒に戦場に立てるように――今は候補生としての距離感を守って、節度を持った関係でいたいの」


 時子の笑顔に、清至は愕然とした表情を見せる。

 その顔に小さく噴き出し、時子は笑いながら続けた。


「そんな顔をしないで。私にだって、すぐにあなたに応えたい気持ちもある。

 でも――、私は、あなたとの関係を大切にしたいの。」


 時子は眉を下げる。


「それに、候補生でいられるのもあと二年。長い人生の中ではほんのわずかな時間だわ。

 でもきっと、この二年は何物にも代えがたい、貴重な時間になる」


「……わかった」


 清至は顔を背けた。

 だが、繋いだ手は離れず、しっかりと握られたまま、二人の頬は夕日の色にまぎれて赤く染まっていた。

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