第十四話 俺の“K”はお前だけだ
「斎部殿? こちらの“大変礼儀正しい”お嬢様は、どちら様でございまして?」
絢子がピキピキと表情を引きつらせながら、嫌味たっぷりに問いかける。
海野も森本も思わず一歩引き、妙子は立ちつくす時子と清至を見比べて、ただハラハラしている。
「まあ! あなたが若様のカメラートかしら?」
ひらりと清至から離れた八千代は、挑むように絢子へと顔を寄せる。声には礼儀よりも警戒心と独占欲がにじんでいた。
「いいえ、違うわ。私はただの同期よ。」
「なぁんだ。じゃあ、若様のカメラートはどなた? そちらの殿方?」
八千代はくるりと振り向き、今度は海野を値踏みするように見やる。
「いんや、違うぜ。斎部の相手は、そこの時子ちゃんだ。」
海野が差した先へ、八千代の視線が光の速さで突き刺さる。
気まずげに目をそらす時子を見て、八千代は勝ち誇ったようににんまりと笑った。
そのまま時子の傍へと歩み寄り、頭のてっぺんからつま先まで、舐めるように見回す。
「なーんだ、あなたが若様のカメラート? ……ふぅん、なんだか地味ね。
あ、わかった! 八千代が入校するまで、変な虫がつかないように“仮置き”されてたんでしょう? お役目ご苦労さま♡」
わざとらしく首をかしげて“可愛い角度”を作ってみせ、フフンと時子を見下す。
「これからは八千代が若様の御寵愛を独り占めするから、安心して下がっていいのよ」
時子はどう反応していいのかわからず、ギギギと音がしそうなぎこちない動きで清至に助けを求める。
だが当の清至も、どうやら八千代が苦手らしく、引きつった顔のまま固まっていた。
しばしの間、場を沈黙が支配した。
その沈黙を破ったのは、早々に八千代を敵認定し、心の中で箒を逆さに構えて“ぶぶ漬け”を叩きつける勢いの絢子だった。
「斎部清至! 貴様はまた一年前の轍を踏むつもりか!!
時子さんを言いたい放題させておいて、黙っているとは――この腑抜けがぁっっっ!」
「絢子ぉ~! キャラ崩壊してるぅぅぅ……! でも、よく言ったぁぁぁ!」
気迫に涙目になりながら、妙子が必死に唸る。
絢子の喝で我を取り戻した清至は、一歩踏み出し、表情を引き締めた。
「八千代。俺の“K”を侮辱するんじゃない。
それに、ここでの俺は一候補生だ。“若様”などと呼ばれるのは迷惑だ。」
「まあっ! それって――御実名でお呼びしていいってことかしら!?
清至さま♡ ……きゃあああっっ! き・よ・し・さまぁぁぁぁ!」
八千代はひとりで勝手に盛り上がり、頬を真っ赤に染め、両手を胸の前で組んでくねくねと身をよじる。
「うへぇ……強烈だなぁ……」
森本がさらに一歩引き下がり、うんざりした顔をする。だが八千代は止まらない。
「清至さま! この八千代、“仮置き”のカメラートにまでお気遣いくださる清至さまのやさしさ――感激いたしました。
もっとご一緒していたいのですけれど、寮の方で行事が残っておりますの。ですから、また明日の朝、お待ちしておりますわ!
必ず、八千代を迎えに来てくださいまし~!」
言うが早いか、彼女は本当に嵐のように去っていった。
八千代が去った後、一同はしばらく呆然と立ち尽くした。
「……何て言うか……酷いな。あれでよく士官学校に受かったもんだ。」
海野が苦笑まじりにつぶやくと、妙子は小首をかしげる。
「でも――絢子みたいに特別な事情がない限り、幼年学校からの受験でしょ? 一つ下にあんな子、いたかしら。」
時子も、あまり親しくはなかったとはいえ、一応は知っている一つ下の後輩たちの顔ぶれを思い浮かべる。
けれど、あんな強烈でやかましい生徒に覚えはなかった。
「あいつ――斎部八千代は、俺の従姉妹だ。
あれでも学業は優秀、異能の才も申し分ない。
……ただし、酷い内弁慶でな。俺に関わらない限りは、しとやかで控えめ――そういう評価を受けている女だ。」
清至のつぶやきに、絢子が目をむいた。
「内弁慶?! そんな言葉で片付けられますか?!
あの方は士官学校を何だと思っていらっしゃるのかしらっっ!」
「まあ、あの子がどれだけ騒いだって、カメラートは同期でしか組めないんだ。
斎部の“K”をどうこうしようなんて無理なんだから、時子ちゃんは堂々としてなよ。」
海野が軽く肩をすくめてなだめると、清至はハッとしたように時子を見やった。
「……時子。従姉妹とはいえ、酷い物言いを、すまなかった。
本当に――俺の“K”はお前だけだ。あんな妄言、どうか気にしないでくれ。」
時子は、「大丈夫。びっくりしただけ」と言って、にこりと笑った。
――その笑顔の裏で、胸の奥にはまだ小さなざわめきが残っていたが、今はそれを口にするつもりはなかった。
その夜、寮の部屋でベッドに仰向けになり、時子はぼんやりと今日の出来事を反芻していた。
よくよく思い返せば、一つ年下とは思えないほど、八千代はあだっぽい顔立ちに、起伏のはっきりした身体つきをしていた。清至と並べば、まるで絵に描いたような美男美女――自分などより、よほど似合いの組に見えてしまう。
――本当に、八千代が清至の許嫁なの?
ふと、一年前のことが脳裏をよぎる。あの時もまた、清至の妻となる人について、想いを馳せたのだった。
清至が神威を行使するには、陰陽の調整が欠かせない。昨年の夏、そのことを身をもって思い知らされた。
うかされた熱の中、清至は手近にいた自分に手を伸ばし……そして居合わせた縁者の伊狭間中佐は、妻神を迎えるべきだと勧めていた。
そして今日、目の前に現れたのは――清至の許嫁を自称する女。
しかも清至と同じ斎部の娘で、学業も異能も遜色ないと清至自身が言った相手だ。
――本当に、私は虫よけの“仮置き”だったの?
時子は布団をぎゅっと抱きしめる。
――いいえ。清至ははっきりと言った。「俺の“K”はお前だけだ」って。
あの夏の夜の、口づけを思い出す。
必要な処置――そう言い聞かせてきた。
けれど確かに、ときめいていたのだと。今さらながら自覚して、時子は布団の中で小さく身を縮める。
「清至……唇をあげたんだから、私だけが特別だって……言って……」
無意識にこぼれたその声に、自分で気づき、唇をかみしめた。
+++++
翌朝――。
朝一番から、時子は嫌なものを見てしまった。
「あの女狐……斎部の周りをうろちょろしおって……」
一緒にいた絢子が眉間にしわを寄せ、低い声で吐き捨てる。日頃の清楚な雰囲気もどこへやら、八千代のこととなると怒りを隠さない。
「絢子は本当にあの女が嫌いなんだねぇ。でもさ、そんなに怒ってたら、本来怒りたい時子が怒れなくなるよ?」
妙子は半ば呆れながらも、まあまあと肩を抱いてなだめる。
視線の先、清至はいつものように門柱に寄りかかって時子を待っていた。
だがその傍らには、キャンキャンと一方的に騒ぎ立てながらまとわりつく八千代の姿。
「清至さまぁ~! もう行きましょう? 八千代を迎えに来てくださったんでしょう?
そんな照れてないで、手も繋いでくださいな♪ 許嫁なんですからぁ♡」
近づくにつれて彼女の声が耳に入り、時子は言いようのない不快感に襲われる。
何だか関わりたくなくて、そっと通り過ぎようとしたが――清至は気配を察し、すぐに動き出した。
「おはよう」
清至は迷いなく時子の隣へ陣取り、いつものように声をかける。
「……おはよう」
昨夜のもやもやを思い出して、時子は気恥ずかしさに俯いた。
と、二人の間へ八千代が乱入した。
「もぉっ! そっちじゃなくてぇ、本妻はこっちでしょぉ?
カメラートは同期じゃなきゃダメってのは百歩譲るけど、授業と演習以外は私を優先して!!」
八千代は腰で時子を押しやり、清至の腕に縋りつく。
「きゃっ」
思わずよろめいた時子は、つまずいて転んでしまった。
清至の腕にすがる八千代は勝ち誇った顔で時子を見下ろしている。
――何なのよ。いきなり現れて、一つ下の癖に偉そうに、軍紀も何も顧みず振る舞って――
怒りが胸にこみ上げる。しかし同時に、そんな彼女に良いように振り回され、負けている自分の情けなさが、どうしようもなく惨めだった。
立ち上がれずに俯いたその時――。
「時子っ、大丈夫か?!」
八千代の腕を振り払い、清至がすぐに時子へ駆け寄った。
「清至さまぁ、そっちじゃないよ、ねぇっ!」
慌てて清至に縋りつく八千代。しかし彼は心底嫌そうにその手を振り払う。
なおもしつこく肩へ手が伸びたとき――清至の堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろっ! 叔父上が何を言おうと、俺はおまえを許嫁にした覚えはない!
そして今後も、決してそのようなことはないっ!」
「そ、そんなぁ……! だって八千代の方が、その女よりも――小さい頃から清至さまと一緒だったし、
勉強だって、異能だって、頭だって……なにより八千代の方が、ずっと可愛いのにっ!
ずっとずーっと、清至さまのお嫁さんにふさわしいのにっっ!」
「はぁ? ふざけるな! 比べる話じゃない。俺にとっては時子だけだ!
時子ほど俺の嫁にふさわしい女などおらん!
時子こそ、俺の女だっ!」
言い切った清至は、肩で荒く息をついていた。
八千代は一瞬ぽかんとしたのち、子どものようにわっと泣き出す。
妙子と絢子は、驚きのあまり言葉もなく、その場に立ち尽くしていた。
時子は――。
清至の腕の中で呆然と彼を見上げていたが、言葉の意味を理解した瞬間、頭の芯まで真っ赤に染まり、ゆでだこのように沸騰した。
胸の奥がどくん、と跳ねる。
――私が、清至の……女……?
「お前たち!! 何をやっているーーっっ!!」
向こうから騒ぎを聞きつけた教官たちが、ばらばらと駆け寄ってくる。
しかし――その場にいる誰ひとりとして、動けなかった。
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