第六話 対等の条件

「で、どうするの?」


 次の朝。女子寮の玄関先で、妙子が小声で尋ねた。

 門柱には清至が寄りかかっている。腕を組み、長い手足を持て余すように、目を閉じてじっと立っていた。


「……無視したっていいのよ。あの人は、それだけのことをしたんだから」


 絢子も冷ややかに言い添える。


 時子は深く息を吐き、首を横に振った。


「あれでも、私の“K”なの。――それに、挽回すると言ったのだから」


 言い切ると、時子は覚悟を決めて、毅然と門柱へ歩み寄った。


「おはよう」


 あいさつは彼女からだった。


「……おはよう」


 清至は背を離し、ためらいなく彼女の隣に並ぶ。

 しばらく沈黙が続いたのち、不意に低くつぶやいた。


「……俺は、カメラートの解消を望んでいない」


「それは、もう聞きました」

 時子は間を置いてから、冷ややかに続けた。

「昨日は……感情的になってすみません」


 その平坦な声音に、清至の顔色がかすかに揺らぐ。


「森本の言葉は、ただの戯れだと思っていた……。俺は、お前以外の相手などどうでもよくて――」


「ええ、気にしていません」

 時子はきっぱり遮る。

「それに、あなたにかばってほしいとも思わないわ。軍人なら、自分に降りかかる火の粉は、自分で払うものです」


「そうかもしれない……だが、俺は……」

 清至は唇を噛み、吐き出すようにつぶやいた。

「畜生、どう言えば伝わるんだ」


 時子ははっとして、思わず彼を仰ぎ見た。

 眉間に深い皺を刻み、前髪を荒々しくかき上げる横顔。


 ――この人……無関心なのではなく、ただ不器用なだけ?


 浮かんだ思いは確信に変わり、胸の奥を揺らす。

 歩調をわずかに緩めながら、時子は視線を伏せた。


 ――ぶっきらぼうな物言いも、変わらぬ表情も……冷たさではなく、不器用さゆえ?


 そう気づくと、固く閉ざしていた心がふと緩み、その隙間にくすぐったいような淡い感情が忍び込んでくる。


 ――この人……案外、可愛いのかもしれない。


 そう思った途端、胸の奥が熱くなり、時子は慌てて自分をたしなめた。

 ――いくらなんでも、簡単に絆されすぎでは?


 時子は小さく咳払いをして気を取り直し、視線だけを彼へ向けた。


「……私たちに必要なのは、お互いを知ることだと思います。理由はどうあれ“K”になったのだから、歩み寄る努力をすべきでしょう」


 清至は見下ろす瞳を揺らし、言葉を繰り返した。

「お互いを知る……歩み寄る努力……?」


「ええ。隠し事はしない。思うことがあればきちんと伝える。

 そして、互いに興味を持ち、敬う――対等な関係でいること」


「……俺は、口がうまくない」


 俯いた清至の前に、時子はすっと立ちはだかった。


「そうやって逃げないで。うまくなくても、伝えようとすることが大事よ。私はきちんと聞くから。

 そして、あなたも――私の声に耳を傾けて」


「わかった、努力する……」


 小さく答える清至に、時子は頷き、再び前を向いて歩き出した。


「でも――よかったわ。ちゃんと聞いてくれて。

 もし『女ごときが』なんて言っていたら……懲罰房行きでも構わず、あなたを氷漬けにしてたところよ」


「――それは、勘弁願いたいな……寒いのは得意じゃない」


 清至が歩調を合わせながら、わずかに表情を緩める。


 時子は思わず口元をほころばせた。

「清至のことを、一つ知ったわ。寒いのは苦手、ね」


 清至を見やる瞳も、自然とやわらいでいた。





 その日から、清至は律儀に毎朝彼女を迎えに来た。時子は、話題を必ず一つ清至に返した。

 許可を受ければ、日曜日や祝日は市街に出かけることができる。

 週末、二人は並んで外出の申請を出した。


「で――時子さんは、私たちを差し置いて、さっそく斎部殿と“でえと”ですかぁ?」


 外出の支度に軍服を着こむ時子の横で、妙子がベッドに寝転がり、にやにやと笑っている。


「ち、違うわよ。同性なら寮でだって一緒にいられるけど……私たちはそうはいかないでしょ。

 だから――お互いを知るために、外で過ごす時間が必要なの」


 時子は襟に、異能特務局所属を示す五芒星の徽章を留めた。


「時子さん、外で本校の連中に絡まれても、絶対に相手しちゃだめよ。その徽章も、スカートの軍服も……良くも悪くも目立つから」


 ベッドに腰をかけ、妙子の髪を指で三つ編みにしていた絢子が、少し心配そうに諭す。


「わかってるわ。銃剣でも持たない限り、彼らは私より弱い。だから、相手にしない」


「ええ、それから――その本音も、彼らに悟らせないでね」


「気を付ける」


 まとめ上げた髪に軍帽を目深にかぶり、影に瞳を隠す。鏡で身なりを確かめると、時子はくるりと振り向いた。


「さあ、私は出かけるわよ。あなたたち、いつまで私の部屋にいるつもり?」


「はーい、出て行きますよー。あーあ、私たちも外出申請すればよかったなぁ」


「妙子、来週は私たち二人で靖国神社へ参拝しましょうね」


 のろのろとベッドから起き上がる妙子の腕を、すでに立ち上がっていた絢子が引いていった。



 寮の門には、待ち合わせの時間より早く、すでに清至の姿があった。

 いつものように門柱に背をあずけ、腕を組んで目を閉じている。


「おはよう、待たせた?」


 気さくに手を上げると、清至は目を開き、背を離して裾を整えた。

「別に。大して待っていない」


 二人並んで歩き出す。


「ならいいのだけれど。で、今日はどこへ?」


「……宮城きゅうじょうと靖国神社。それだけだ」


「ふふ、絵にかいたような候補生の初外出ね」


 宮城まではおよそ十キロ。

 中野学舎の周辺では、十五期ともなれば異能科のカメラート制度も浸透しており、男女が軍服姿で並んで歩いていても眉をひそめる者はいない。むしろ「帝国の未来を担う若者」として、道すがら頭を下げる者や、後ろから駆け寄って敬礼する少年の姿さえあり、微笑ましく思えるほどだ。


 だが、中野を離れるにつれて、彼らに向けられる視線は次第に厳しくなる。

 異能特務局は自らを宣伝をせず、その存在は一般兵や国民から、「よくわからない連中」として遠巻きにされていた。

 一人の候補生ですら小隊に匹敵する戦力を持つことも、将来は隠密任務に従事することも、公には知られていない。だからこそ、ただ「年頃の男女が軍服で連れ立って歩く」姿だけが目につき、眉をひそめる者も少なくなかった。


「清至のご両親は軍人なのよね?」

 道すがら、時子はここぞとばかりに問いかける。


「二人とも、四十を過ぎてもまだ現役だ」


「ご実家は東京?」


「出は神津毛かみつけだが、俺は東京生まれだ。邸は中野にある」


「まあ、それなら学舎のすぐ近くに実家があるのね。これからは週末によく帰るつもりなの?」


「いや、両親は官舎暮らしだから、邸の管理は使用人に任せている。

 ――おまえは?」


 清至が、先日の約束を律儀に守って時子へ話を振った。


「私も東京育ちよ。麹町に実家があるの」


「それなら道すがらじゃないか。寄っていくか?」


 清至が眉を上げて尋ねると、時子はすぐに首を横に振った。


「遠慮しておくわ。あなたを連れていったら、きっと大きな誤解をされるもの。

 父は海軍少将で、軍令部勤務だから……今ごろ家にいるはずよ」


「……カメラートとして、ご挨拶をした方が……」


「やめて。結婚の挨拶と間違えられるわよ。父は軍人だけど、異能特務局については詳しくないわ。」


 清至は眉を寄せ、ほんの一瞬黙り込んだ。

「……そういうものなのか」


「そうね。母は異能を持っているけれど、軍属じゃないから、両親は何にも知らないわ。」


 時子は肩をすくめて笑った。




 宮城が近づくにつれ、時子たちと同じように外出中の本校士官候補生たちとすれ違うようになった。

 中には女子候補生を初めて目にする者もいて、遠慮なく時子を値踏みするように見つめてくる。


「あの徽章……異能特務局か。女の軍人なんて、あんな細腕で務まるのか?」

「士官候補生同士とはいえ、男女が休日に連れ立つなど破廉恥だ!」

「男の方も坊主頭じゃない……やはり異能科は気風が乱れている」


 石畳に馬車の轍が響き、風に旗がはためく。否定的な声がその音に混じって、時子の耳へ届く。だが、それは彼女にとって初めての体験ではなかった。


「清至、気にしなくていいわ。幼年学校でもよく言われたもの」


 隣で肩を強ばらせている清至の袖を、時子はそっと引いた。


「しかし、あいつらはお前や我々を侮辱して――」


「彼らと事を構える方が問題よ」


 時子はじっと清至を見上げる。清至は唇を噛み、納得できない様子を隠さない。


「……だが、君は先日、森本に怒っていたじゃないか?」


「森本候補生とは対等だから。でも、彼らは違う。異能を持たないもの」


 時子は本校の候補生たちと目を合わせぬよう、歩調を崩さずにすれ違おうとした。

 だが血気盛んな一団が進路をふさごうと動き出す。――その肩を、上級生たちが素早く押さえたのが見えた。


「貴様ら、異能科にかまうな。女だからと侮れば痛い目を見るぞ」

「異能科の女は女じゃない。一個小隊に匹敵する力がある」

「……お前、砲兵科か?すぐにわかるさ。演習で、あいつらを“的”にするんだからな」


 ――全部聞こえてるんだけどなぁ……


 時子はそう思いながらも、きっぱりと敬礼してすれ違った。

 上級生は顔をひきつらせつつも敬礼を返し、下級生たちは不満げに睨みつけてくる。


 清至は拳を握り込んだまま、ぎこちなく敬礼した。

 ――歩調は、崩さない。

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