第四話 相克の二人

「それでは、本日から異能による戦闘訓練に入る。他の兵科の者たちも厳しい鍛錬を積んでいる。忘れるな、負けるな――励め!」


 担当の瀬川少尉が鋭い目を光らせると、候補生たちは一斉に背筋を伸ばした。


 その瞬間、時子の脳裏に五日前の光景がよぎる。

 ――市ヶ谷台の本校を見学した日。

 中野学舎とはまるで違う、張り詰めた空気がそこにはあった。

 彼らの好奇と羨望、そしてわずかな侮蔑の混じった視線――。

 その痛みを思い出し、いつか必ず黙らせるだけの実力をつけようと、時子は拳を握りしめた。


「では、一限目の座学を思い出せ。異能の分類を――斎藤、述べよ」


「はいっ! 異能は基本的に四種類、火・水・土・風です。稀に光と闇が現れますが、わが国にはまだ明確な術者はおりません。また、まれに複数の属性を併せ持つ者もおります」


「よし。そうだ。西欧諸国には光と闇の異能使いがいる。しかし希少で、まず戦場でお目にかかることはない。

 ――だが、光と闇に代わり、我が国には“神威”がある」


 瀬川少尉の視線が鋭く動き、時子の隣に立つ清至を射抜いた。


「斎部。神威について述べよ」


「はい。我が国は神の国。八百万の神々がおり、その力を受けた依代が振るうものこそ、神威であります。

 神により力は異なり、その効力も固有でありますが――総じて場を威圧し、人も人ならざるものも制圧可能であります」


 時子はちらりと目を向ける。

 いつも短文でしか口を開かぬ彼が、淀みなく長く語っている――その光景は、どこか不思議に見えた。


「よろしい。神威は、異能の中でも人の理を凌駕するものだ。その筆頭におわすのは――大元帥たる陛下である。

 陛下は唯一の現人神にして、依代である貴様らとは一線を画す御存在。ゆめゆめ忘れるな!」


「はいっ!」


 候補生たちが声を揃えて返事した。


「カメラートを組んだばかりだが――まずは同属性同士で二人一組に分かれろ。既に同属性の“K”はそのままとする。」


「教官、風と土が一人ずつ余ります!」

 すかさず二名が手を挙げた。


「よし。風の近藤は私と組め。土の真崎は、第二学年の橋口候補生を呼んである。そちらと組め」


 そう言っている間に、次々と組ができあがっていく。


「時子ちゃんは水だよね。俺と組んでくれるかな?ほら、俺の“K”は火だからさ。」


 時子に声をかけてきたのは、海野幸昌だった。

 親指で示した彼の“K”、森本は既に清至に話しかけて組になっている。

 女子と組みたくても、絢子も妙子も風。結局、時子はどうしても余ってしまうのだった。


「では、海野さん。お願いします」


 時子が軽く会釈すると、海野はニヤリと笑った。


「“幸昌”でいいよ?」


 ――軽い。軽すぎる。


 時子は渋い顔で鼻白んだ。

「……“K”ではありませんので、控えさせていただきます」


「ははっ、堅いなぁ。気にしなくていいのに」


 全く動じない海野に、時子はますます訝しげな視線を投げかけた。



 その日は、教官の瀬川少尉以外に異能特務局から三名の少尉が招かれていた。

 風以外の各属性を担当し、候補生たちに固有の基礎技を実地で指導するのである。


「水は……二名か。今年は少ないな。君たちはカメラートか?」


 水担当の依田少尉は、物腰の柔らかい青年で、親しげに時子と海野へ声をかけた。


「いえ。自分たちはカメラートではございません。自分はあちらの森本、川村は斎部と組であります」


 いつも軽口の海野も、このときばかりは背筋を伸ばして答える。


「……そうか。君は海野少尉の弟だったな? なら神威持ちか。斎部も神威持ちだし――今年は妙な巡り合わせだ。

 慣例では神威持ちは同属性同士で組むのだがな。

 斎部中将の奥方も、水属性だったな……まさかとは思うが」


 彼は時子を頭のてっぺんから足先まで値踏みするように眺め、口の端をわずかに上げた。


 さらに聞こえるか聞こえないほどの声で、

「……これは、面白いことになりそうだ」

 とつぶやいた。


「君たちのカメラートはいずれも火属性か。だが――火と水は本来、相克の関係にある。水は熱を奪い、火は気を乱す。互いの術域が干渉すると、制御の難度が跳ね上がる。

 川村は斎部と組むゆえ心配はいらん。だが海野は神威持ちの水。神威を持たぬ火の森本と組む場合には、細心の注意が必要だ」


「それはどういうことでありますか」

 海野が身を乗り出す。心配はいらないと言われた時子も、理由を知りたかった。


「川村がいかに優れていようと、斎部を喰うことはまずない。

 だが海野――お前は水属性のうえ神威持ちだ。火の森本は、どうしても圧倒的に不利になる。

 もっとも、お前とカメラートを組める時点で、森本も相当な使い手であることは間違いない。……だが、万一事故があって、お前の力が森本に直撃すれば――」


「わかるよな?」

 依田少尉は海野の胸に人差し指を突き立てた。


「しかし――恐れる必要はない。海野。お前が的確に術を操れば、相克同士のカメラートは、互いの弱点を補う無二の相棒となる」


「はいっ! 人一倍鍛錬にはげむ所存であります!」


 依田少尉の真剣なまなざしに、海野もまた真剣な眼差しで応じた。

 そのやり取りを見ていた時子も、胸の奥が熱くなる。

 ――自分も負けてはいられない。

 無意識に、拳を固く握りしめていた。




 初日ということで、二時限通してみっちりと基本の属性技を叩きこまれた。

 現役少尉による属性別演習は次回までと告げられ、やがて昼を告げる鐘が鳴る。


 時子と海野は依田少尉に敬礼して、先に解散していた清至と森本千尋に合流した。


「よう、斎部、それに千尋。火属性はどうだった?」

 海野が軽く、並んでいた二人の肩に手を回して問いかける。


「造作ない」

 清至はいつもの無表情で短く答える。


「斎部殿は、本当にお見事でした。いらしていた少尉殿も褒めるばかりで、すっかり面目を失っておられました」


 森本は陶酔したような目を向け、清至をほめちぎる。

 その熱にあてられ、時子はわずかに居心地の悪さを覚えた。


「千尋~、なんだか斎部をべた褒めじゃあないか。君の“K”としては、少々妬いてしまうぞ」


 海野が冗談の声音で茶化して、森本を睨む。


「そうなんだ、海野。我々を指導してくださった牧野少尉も、ご自分がカメラートの組み合わせを考える立場なら、迷いなく斎部殿には僕を組ませるっておっしゃっていた。

 斎部殿ほどの方なら、おなじ火属性の優れた使い手と組めば、向かうところ敵なし、だと。」


 森本は熱にうかされたような顔で言い切ると、キッと時子を視界にとらえて挑むような視線を投げかける。


「なのに――、なぜ、相克の水属性の、女などと組んでいるのか、理解に苦しむ、と。場合によっては、異能特務局――いや、我が国の損失である、とさえ仰っておられた。」


「……牧野少尉はそこまでおっしゃってはおられなかった。」


 清至は軽く目を瞑り、ぼそりとつぶやく。

 しかし森本の声は止まらない。


「やはり、このカメラートの組み分けはおかしい! 水属性で神威持ちの海野が、川村と組めばもっとしっくりくるはずだ。――そうでしょう、斎部殿!」


 清至は無表情のまま瞼を閉じて、答えない。

 森本はそれをどう受け取ったのか、一歩踏み出し、今度は時子を射抜いた。


「なぁ川村。お前もそう思わないか? 斎部殿の“K”として力不足だと、引け目を感じないのか? それとも、……斎部殿をよく思わぬ連中が、お前をあてがったのでは?」


 迫られた時子は思わず一歩下がる。だが森本は畳みかけた。


「いや、まさか――川村。お前、卑怯な手を使ったんじゃあるまいな。実力も伴わぬくせに、女としての武器で斎部殿を――!」


 あまりに飛躍した侮辱に、時子の頭が真っ白になった。喉が凍りつき、声が出ない。


 海野は清至が校長に直談判して、時子と組になったことを知っている。

 目線だけで「どうするんだ」と清至に問いかけた。


 清至はゆっくりと瞼を上げ、怒気を宿した目で森本を射抜いた。口を開きかけた、その瞬間――。


 場が凍り付いた。

 比喩ではない。文字通り、空気が凍りつき、刺すような冷たさが頬をかすめる。


「……森本候補生。今すぐ撤回してください。今の言葉は、明らかに私への侮辱です」


 時子の目は据わり、吐く息は白い。森本に向かって突き出した手のひらから、二の腕にかけて、びっしりと霜が張りついていた。


「ひっ……!」

 森本が後ずさると、その足元から氷柱が音を立てて突きあがった。


「なっ、氷?!」

 海野も思わず一歩退く。


「撤回を」


 時子がもう一度言うと、今度は森本の背後に無数の氷柱が林立した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る