第三話 慣習だから迎えに来た、らしい
「で! 噂の斎部殿とはどうだったのよ!」
「……どうって、軽く自己紹介して終わりだよ」
「え!? それだけ? ねぇ、他に無いの? 並んで歩いたとか、手を握ったとか、名前で呼び合ったとか」
妙子が声を荒げると、隣にいた絢子も無言でうなずいた。
一日の終わり、寝る前の自由なひと時。
時子の部屋には妙子と、そのカメラート――“K”となった絢子まで押しかけていた。
最初こそ近づきがたい雰囲気を漂わせていた絢子だったが、妙子と組むことが決まってからは、時子にも親しく声をかけてくれるようになっていた。
「夕食を食べて、寮の前までは一緒だったけど、彼は私の“K”なんだから、並んで歩くのは普通でしょ?
手を繋ぐわけ――ないじゃない。名前を呼ぶ機会だって、まだ一度もなかったわ」
時子は言い捨てて、今日一日を思い返す。
斎部の相手が時子に決まった話は、瞬く間に全候補生の噂になった。
斎部は幼年学校の頃から注目株で、その相棒が誰になるかは大きな話題だった。
カメラートは形式上は在学中の制度にすぎない。だが多くは卒業後も継続を望み、それは優先して叶えられる。戦場では生死を共にし、時に配偶者以上に近しい存在になる。
決まった瞬間から、常に隣にいることが推奨される。
名簿の順も改められ、時子は斎部の次。講義も、演習も、食堂の席まで、自分の隣が“指定席”になる。
斎部は寡黙な男だった。
自分から話しかけることはなく、時子が気を使って声をかけても「……ああ」か「そうだな」で会話が終わる。
親睦を深めようという空気には、とてもならなかった。
「正直言って――苦痛よ。あんな、にこりとも笑わない、石像みたいな男。軍人として適正だとしても――どうかしてるわ」
「まあ、異能科の士官は、他の陸軍士官と比べても軽い雰囲気の者が多いからね。斎部のように硬派な軍人気取りは珍しいから――時子さんには、ご愁傷様としか」
絢子が上品に口元へ手を添えて笑うのを、時子は恨めしそうに見やる。
「いいなぁ、妙子は。最初は絢子さんも彼みたいに一線を引いたタイプかと思ったのに、こんなに親しみやすい方だなんて。
斎宮って、本当なら私たちなんて口もきけない高貴なお方でしょ? その絢子さんが、私の部屋で『ご愁傷様』なんて言うのよ」
「ふふ。だって、そういう堅苦しいのが嫌で軍に入ったんですもの」
微笑む絢子の肩に、妙子はすっと手を回し、得意げに時子へ見せつける。
「そう! 最初は女同士だから組まされたのかと思ったけど……ちょっと一緒にいただけで、彼女は私の運命だって確信したの。いやぁ、軍ってちゃんと人を見てるのねぇ」
(……はいはい、また始まった)と時子は心の中でため息をついた。
次の朝。
それでも時子は女子で固まっていたくて、絢子と妙子の後について寮を出た。
絢子と妙子の組み合わせでは、初めての登校なのに、歩幅まで自然に揃っていて、まるで昔からの相棒のようにしっくり馴染んでいる。
――これがカメラートか。
しみじみ思いながら、一歩後ろを歩く時子は、置き去りにされたような寂しさを覚えた。
女子寮の門前には、女性の“K”を持つ男子候補生が数人、自分の相手を待っている。
入校して一週間、もう見慣れた光景。時子は特に気に留めることもなく通り過ぎようとした――その時。
「……おい」
低い声に足を止める。
門柱に背を預け、腕を組んでいたのは斎部だった。周囲の誰よりも目立つのに、表情は石のように動かない。
まさか自分を迎えに来ているとは思わず、時子はただ固まって見つめてしまう。
「……貴様、俺を無視しようとしたな」
斎部の眉間に皺が寄る。
――年を取ったら、ますます気難しい顔になるんだろうな。
暢気にそんなことを考えながら、時子は肩をすくめて彼の方へ身体を向けた。
「だって、迎えに来るなんて思わなかったもの。……意外と律儀なのね」
「……俺を何だと思っている。男女のカメラートは、男が女子寮まで迎えに行くのが慣習だと聞いている」
……ああ、慣習だから迎えに来たのね。
時子は内心で苦笑するが、表情には出さず、すました顔で返した。
「お気遣いなら無用です。意に染まない相手をあてがわれて、不満でしょうから――」
「不満ではない」
斎部は即答し、ほんのわずか眉をひそめた。
耳をそばだてていた女子候補生たちが、一斉に黄色い囁き声をあげる。
「聞いた!?」「不満じゃないって――!」
妙子は驚いた顔で口に手を当て、絢子は意味深に口元をゆがめていた。
時子は自分が注目されていることに気づき、顔に血が上るのを抑えられない。
(……ちょっと待って、なんで私が赤くなるのよ!)
「くだらないことを言っていないで、行くぞ」
斎部は周りの反応などお構いなしに学舎の方へと歩き始める。
困って妙子たちを見ると、二人はそろって「早く行け」と手で合図していた。
「ごめんなさい。本当に、斎部殿が迎えに来るなんて、夢にも思っていなかったから……」
追いついた時子が謝ると、斎部は歩調を緩め、ちらりと彼女を見た。
「……『清至』でいい」
「……へ?」
唐突な申し出に、変な声が出てしまう。
「俺も貴様を『時子』と呼ぶ」
「は?」
頭が真っ白になり、理解が追いつかない。足が勝手に止まる。
斎部も一歩進んで立ち止まり、振り向いた。
「これから、毎朝迎えに行く。寝坊するなよ」
命令口調なのに、不思議と胸の奥がふっと熱くなる。
思わず彼の横顔を見上げると、石像の口元が、ほんの刹那だけゆるんだ気がした。
――笑ってる……? 冗談を言っているつもりなのかしら。
清至は満足したのか、また学舎の方へ向き直ると、すたすた歩き出してしまった。
その背中を、周囲の女子たちは名残惜しそうに、男子たちは物珍しそうに見送っている。
彼はそんな視線など意に介さず、歩幅を崩すこともなかった。
「……ほんと、勝手な人」
時子は小さくため息をつきながらも、結局は彼の後を追いかけていた。
+++++
「おい、時子。行くぞ」
一限目が終わり、二限目から昼までは野外演習。講堂から演習場へ移動しようとした時子に、清至の声が飛んだ。
決して大きな声ではないのに、よく通る低音は講堂の隅々まで響き、一瞬にして静寂が落ちる。
「おいっ、今、斎部が川村のこと、名前で呼んだぞ」
「いや、彼女はヤツの“K”だから、名前で呼ぶのは当たり前――」
「でも、斎部が、だぞ? まさか名前で呼ぶとは……」
講堂に残っていた候補生たちの囁きは、しっかり時子の耳に届いていた。
妙子と絢子は目を輝かせて手を握り合い、男子たちは信じられないとばかりに顔を見合わせている。
――もう……なんで、わざわざ名前を入れるの……。みんな、変な空気になってるじゃない。
時子はげんなりしながら立ち上がり、隣の清至を恨めしげに見上げた。
「はいはい、教科書を片づける時間くらい、いただけますかね」
「もちろんだ、時子」
再びの名前呼びに、遠慮など捨て去ったどよめきが一斉に上がった。
「今の、わざとだよな?!」
「え、ちょっと、それって……」
「まさか、斎部に限って……!」
「キャー! もう二回目よ!」
時子は耳まで熱くなり、カバンに教科書を押し込む手がぎこちなくなった。
――もう! 絶対に誤解されてる! そして、絶対に噂になる!
何考えてるのよっっ。わざわざなんで名前を繰り返すのよ!
これじゃあ、明日には――いや、今日の夜には候補生中に変な噂が広まってる!
直接文句を言う度胸のない時子は、胸の内で清至をありったけののしった。
清至は周囲のざわめきなどどこ吹く風で、仕度をしている時子を見つめていた。
その横顔は石のように無表情――けれど、ほんの一瞬だけ口元が緩んだように見えた。
「斎部、露骨すぎだぞ……時子ちゃん、困ってるだろ」
ツカツカと寄ってきた海野が耳打ちすると、清至は驚いたように彼に振り向く。
「なぜ困る? 彼女は俺の“K”だ。名前で呼んで何が悪い」
心底不思議そうに言い放つ彼に、またも講堂がざわめく。
時子はもう破れかぶれで、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「……本当にわかってないなら……斎部、お前、結構鈍いの、な」
海野は同情のまなざしを時子に向けた。
わかっていない清至は、馬鹿にされていることだけは察したらしく、眉間にしわを寄せると「行くぞ」とだけ言って講堂を後にした。
「ちょ、待っ――」
時子は慌てて教科書を抱え直し、その背中を追う。
背後では、まだ小さなざわめきが尾を引いていた。
その中に一つ、燃えるような嫉妬の視線があった。
時子はそれに気づかぬまま、講堂を後にした。
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